第7話 私ってもしかしていじわる? なの?

ああ、眠い……。


授業中、先生の声と窓からふんわりと包み込むようにやさしく流れ込んでくる、初夏の風が眠気を増大させている。

夕べ遅くまで起きていたのが効いている。


ベッドの上でもんもんと浮かび上がる、あの感覚に悶絶しながら、眠れぬ夜を過ごした。

春香とのキス。

まだその感覚が残っている。いまだにこの唇にやわらかく、触れ合う春香の唇の感触がふっと湧き出るように私の脳内に広がる。


当然、先生の声なんか耳に入ってくるだけで、留まることなく消えていく。

どうしてこの季節の風は、なにかを物語らせたくさせるんだろう。

窓の外に映る日差しの光が、グラウンドに引かれた白線を、くっきりと浮かび上がらせているような感じに見える。


朝、生徒口玄関で春香の姿を見た。

後姿だったけど。

そして今、私の斜め右前の、二つ席を飛ばしたところに春香がいる。


教室の中では春香と話すことはほとんどない。

いつものメンバーが、彼女を取り囲むようにしながら話をしている。

その中に私が入り込む力は絶対にない。


なんだろう、その中に入るこむためには、目に見えない分厚い壁が私の行く手を遮っている。

その壁を壊す力など私にはないのだ。

もしかしたら、それは一方通行な壁なのかもしれない。春香の方からなら、そんな壁はもしかしたら存在しないのかもしれない。だったら私にその手を差し伸べてほしい。

でもそんなこともない。


休み時間にちらっと、春香の姿を目に入れるだけ。あんまり見つめていると、ほかの誰かに何かを感づかれてしまう。

そんなこと春香事態迷惑なことかもしれない。

こんな陰キャな私と、関わることなんか、真逆の太陽のような春香の光に、陰りをかざすことは出来ない。

だから目を合わせることも出来ないんだ。


チャイムが鳴りだした。

聞きなれたチャイムの音。ロンドンのウェストミンスター宮殿のビッグベン。その時計塔の鐘が奏でる音が、一般的な学校のチャイムの音になっている。


『すべての時をとおして主よ導きたまえ 汝の御力によって迷いは消え去る』

『主よわれらの神汝よ導きたまえ 汝の助けによって迷いは消え去る』


その歌詞が頭に浮かぶ。

なんか今の私にピッタリのフレーズだ。

主よ! 我に救いの手を差し伸べて……ううん、私のこの心を導いてほしい。春香のところに。



ざわめきだす教室内。

「ねぇ次体育だよね」

「うんうん、今年初の水泳だよ。でもなんかまだちょっと寒そうだね」

「だからさぁ、まだ寒くない? 室内、それとも屋外?」

「多分屋外のはずだけど」

「マジかぁ、やっぱ寒そう!」

そっかぁ次は体育だった。しかも水泳……ああ、苦手だなぁ。て、そもそも、体動かすこと事態、苦手なんだよなぁ。


運動音痴。

走らせれば亀のごとし、飛び出す球に恐れをなし、水に沈める身は鉛のごとし。

それでも出席せねば単位は取れず!!


実際体育の評価はちょっとやばいかも。もうじきやってくる成績表を開くのが恐ろしい。


軽くため息が出そうになるのを抑えながら、自分のロッカーを開き用意してあるはずの水着を取り出そうとした……が、ない!! 持ってきたはずだと思っていた水着の入ったバッグが見当たらないのだ。

「嘘! そんなはずは」

用意した記憶はある。そして持ってきた。……拙く残る朝の記憶をたどりながら思い出す。


確かに部屋を出る時は持っていた。その核心は確かなものだ。しかし、家を出る時、そのバッグを手にしていたのかと言うのは自信がない。つまりは、玄関に忘れてきたことが明白に浮かび上がる。

「はぁ―――――!!」ついに重いため息が口から吐き出てしまった。


その時「どうしたの?」と後ろから耳に問いかける声。

意識が三分の一喪失した状態で「忘れた……水着」と答えた。

そのあとで、声の主にどきんと胸がはねた。


振り返れば、すぐ後ろに春香のにこやかな顔が、私の目に飛び込んできた。

ポンと肩に春香の手が乗り「そっかぁ―、忘れたかぁ。裸で泳ぐのも問題だしなぁ。あ、そうだ私の貸してやるよ」

「へぇっ!」思わず変な声が出た。

「貸すって、春香の?」

「うん」とニカっとした顔が返ってくる。


「サイズ、多分大丈夫……」と言いながら、春香の視線が私の胸に注がれた。

ぐぅううううう! 存在感の優位については春香の方が間違いなく強い。


遠慮しながら、小さな声で

「でも、いいよ」

「ん、でも出てた方がいいと思うよ。優奈体育成績あんまし良くないんだろ。生理だったら休んでも単位はくれるけど、水着忘れて来て休んだら、単位はくれないと思うんだけど。何せ先生、水泳部の顧問だし」


「……でも春香はどうするの?」

「あ、私。私はほら、部活のがあるからそれ着るよ」

「水泳部の?」

「もち!」にんまりとした顔が変わらず、私に注ぎ込むように投げ込まれてくる。


春香は自分のロッカーを開け、中からスポーツバッグを取り出し、「ほれ」と言いながら水着とタオルを私の手に渡した。

「本当にいいの?」

「うん、いいよ」


そう言い返し「ほら、急がないと遅れちゃうよ。さぁいこ!」と、軽く私の腕に手をかけ、更衣室へと向かわせた。



その時ふんわりと、あの柑橘系の春奈の香りが私に注がれる感じがした。

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