605
「無事に戻ってこられて何よりでした」
洒落たスーツを着たその黒い肌の男は、横に居る男に、そう語りかけた。
「なにしろ
「そうですね、非常に幸運だったのだと思います」
黒い男の隣に立つ、オーガスト・モーリーは、白い顔でそう答えた。
「まだまだ私は何も知らないに等しいですが、ここにまたこうして居られる事が大変な幸運だった、という事くらいは分かるつもりです」
背後を流れる青い光の奔流の、その照り返しを受けながら、オーガストは微笑んだようだった。
ベイフィールド半島北端、人型の洞窟の頭部。崩れ落ちた床板に成り代わるように、木の根のような何かが荒い網目のごとくにはびこったその空間に、オーガストと『黒い男』は居た。
空間の中心は、一抱えほどの太さで青い光が垂直に通り抜けている。床下、人型の洞窟のはるか下から、頭頂部を抜けて地上に向けて。
「ここは、かつては神殿だった、のですね?」
オーガストは、黒い男に聞く。
「そのようです。その頃の事は、私も知らないのですが」
黒い男は、何でもない事のように答える。その答えに、少し意外だと言う顔で、オーガストは聞き返す。
「あなたは、何もかも御存知なのかと思っていました」
黒い男は、帽子の鍔に手をやって、首を横に振る。
「基本的に私は、私が生まれてから体験した事しか覚えてません。もちろん、『
黒い男は、足下に目を落とし、続ける。
「『私』同士であっても、必ずしも情報交換出来るほど友好的ではない事の方が多い、という事もありますし、そもそも別の『私』とは、情報交換どころか会話すら成り立たない事だってあります。なかなか上手く行かないものです」
黒い男は、目を上げる。
「その意味で、あなた方は大変お付き合いしやすくて助かります。私を理解して頂けるかどうかはともかく、とりあえず会話は成立する。特にあなたのような、私を理解しようと勤めてくださる方は、本当に有り難い存在です」
「畏れ多い事です」
オーガストは、黒い男に視線を向けず壁の絵文字を眺めたまま、答える。
「この一両日で私が知り得た事は、真理の入り口にもたどり着いていないでしょうが、それでも、あなたが想像を絶する存在である事は理解出来ました……いや、訂正します、理解出来るような存在ではない事を理解した、あなたは、うかつに目を合わせる事すらはばかられる存在である。あなたを理解しようなどと、はなから思わない方が良い、そう理解出来た、そういう事です」
音など発していないはずなのに、轟音を纏っているかのような光の奔流の照り返しを浴びながら、黒い男は、嗤ったようだった。
「……あなたの目的は、何なのですか?」
ぼそりと、オーガストは呟くように聞く。
「あなた方に分かりやすく言うならば、破壊と混沌、でしょうか」
黒い男も、壁を見たまま、ぽつりと答える。
「ひどく安っぽい言い方になってしまいましたが、そういう事です」
「それにしては、あなたのやっている事は、矛盾しているように思います。あなたは、私が知識を得る手助けをしてくれています。まあ、その結果として私が破滅する可能性は高いわけですが」
オーガストは、黒い男に少し向き直って、聞き直す。
「ああ、それは簡単です」
黒い男も、オーガストに顔を向ける。
「私は、あなたを利用しているだけなのですから」
「お気づきでしょうが、私は、私の力だけで、それなりの破壊、あるいは破滅を引き起こす事は出来ますし、実際、やろうとした事もあるのです。あなた方の言葉で言うならば、若気の至り、と言うのでしょうか」
「その言い方からすると、失敗した?」
オーガストの反応を見るように言葉を切った黒い男に、オーガストは聞く。黒い男は、肩をすくめ、大げさに両手を広げる。
「大失敗です。そして、思ったのです。つまらない、と」
「つまらない?」
オーガストは、首を傾げる。
「はい。失敗してしまったのは勿論なのですが、思えば、力任せに何かをしたところで、たとえ成功したとしても、あまり面白くなかっただろうと気付いてしまったのです」
自嘲的に肩をすくめながら、黒い男は答える。
「なるほど……」
オーガストは、思わず相槌を打つ。もし、黒い男のもたらす破滅が成功していたら何が起きていたか、そこには思い至らずに。
「ですから、私はやり方を変える事にしたのです。可能な限り自らは動かず、直接手を出さず、誰かをそそのかし、その気にさせて、結果として大きな破滅と混沌を呼び起こさせるように」
「では、私はまんまとそそのかされた?」
聞き返すオーガストに、帽子の下から黒い男は笑みを返す。
「重ねて言うなら、この場所も、先日の湖畔のあそこも、私以外の『私』が用意したものをこっそり利用させてもらったに過ぎません。あなたに関しても、たまたま、あなたが
「なるほど。つまり、あなたはあなたの利益で動く。その為に、我々に有利に見える取り引きを持ちかける。それを生かすも殺すも、成功するも破滅するも我々次第、そういう事ですね」
「ご理解頂けたようで何よりです。まれに、騙されたとご立腹される方もいらっしゃるのですが」
「何かを得ようとすれば、何かを諦めなければならないし、望みが大きいほど失うものも大きい、私は、分かっているつもりです……既に、失ってもいますし」
オーガストは、自分の手を見ながら、言った。
「……それはそうと、何やら、上の方が騒がしくなって来たようですね」
どこからともなく、三人目の、男の声がした。黒い男の声によく似ているが、微妙に、声の重さが違う感じがある。
言われて、黒い男は、洞窟の入り口、頭部空間の上の方から斜め上に向かって開口する横穴の方を見上げつつ、呟くように言う。
「……ああ、確かに」
その横穴から微かに聞こえてくる騒音に気付き、オーガストも相槌を打つ。何かが打ち付けられる音、何かが倒れるような音が、小さく、思い出したように散発的に、だんだんに大きく聞こえてくる。
「どなたか、いらしたようです。心当たりは?」
黒い男に聞かれ、自分が嬉しそうに微笑んでいる事には気付かないまま、オーガストは答える。
「同じ事を考えていらっしゃるのでは?」
オーガストも、黒い男が見上げる横穴を見上げる。一瞬、横穴から聞こえる騒音が途切れ、そして、次の瞬間。
「……オーガストぉ!」
聞き覚えのある叫び声と、それに続いて、直径11mmの大口径重量弾を黒色火薬で打ち出す
尻餅をついた事も、狙いを外した事も意に介した様子のないユモは、後ろに投げるように銃を放り出すと、横穴から身を乗り出して叫ぶ。
「あたしのペンダント!返しなさぁい!」
「だーかーらー」
放り出された銃を受け取り、眼下の男達を指さして仁王立ちのユモの、軍用コートのポケットから取り出した11×60mmRモーゼル弾をリロードしながら、雪風が愚痴る。
「そーゆー行き当たりばったりな行動、反省したんじゃなかったのかよ」
「うるさいわね!」
ユモは、ちらりと雪風に視線だけ向けて、言い返す。
「反省したわよ!反省したけど!だからって頭に来ないわけないじゃない!」
「……それで、私を止めて、ペンダントを取り返しに、わざわざ来られたのですか?」
面白そうに口元を緩めている黒い男の横で、オーガストが、横穴を見上げながら聞く。その声が微かに震えていることに雪風は気付いたが、その理由まではわからない。
「……止める気なんかないわよ?」
ユモは、そのオーガストを
オーガストの表情が、わずかに、動く。
「あんたの書き置きとメモは読ませてもらったわ。人の身のままじゃ真理に近付けないから、
「あたし達は、オーガストさん、あなたが何の目的で何をしようと、基本的には止めたりしません。そりゃ、今から世界征服始めようとか、そういうんなら全力で止めますけど。あたし達は、ただ、あたし達が居たところに帰りたいだけなんです」
ユモに続けて、雪風が口を挟む。
「だから、ユモのペンダントを返してください」
「ユモ?ジュモーさんでは……ああ」
何事か納得したオーガストが、手を打つ。
「そういう事でしたか。お名前を……」
「乙女のたしなみよ。あたしは、見ず知らずの殿方にみだりに名を名乗るようなあばずれじゃないわ」
オーガストの言葉に、ユモが言葉を重ねる。
「そんな事はどうでも良いわ。さあ、さっさとペンダントを返して。それからニーマント!あんた、どう考えてもあんたは
「……これは参りましたね……」
オーガストの軍服の胸ポケットから、声がする。
「私としては、私は独立した意識体であって、誰の所有物でもないつもりなのですが……」
「あんたは
おずおずと述べられたニーマントの意見を、ユモはぴしゃりと一刀両断に切り捨てる。
「男らしく、隠れてないで出てきなさい!」
「私にとって、性別も本来意味の無い概念なのですが……ミスタ・オーガスト」
ニーマントに促され、オーガストは胸ポケットからニーマントを、
その二つのペンダントがオーガストの胸ポケットから取り出された事を確認し、フンスと大きく鼻息をついたユモは、一言、
「……
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