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「恐らくだけど。あいつ・・・は多分、空を飛んだり、そういう事は出来ないんだと思う。だから、あそこ・・・からここ・・まで歩くのが嫌で、っていうか普通に移動すると間に合わないから、あの光を使って一旦ユゴスに行って、また戻って来るんだと思う」

「済まない、あそこってのは、大尉が居たロッジのある、リック湖?リッグ湖?周辺の事だよな?で、あいつってのは……」

「正体はよく分からない。多分、人が触れるべきではない存在だと思う」

 質問を挟んだスティーブに答えながら、ユモは体の前で何かを持つような仕草をする。スティーブが瞬きした途端、まるで魔法のように、そこには百科事典のような、淡く光る大きな本が現れる。

――いやいや。魔法のように、じゃない。これが、魔法そのもの、なんだ――

 スティーブは、ここ数日で驚くという感情が麻痺してきたのを感じつつ、思った。

「……見えてるみたいね?これ、ママムティがこの」

 胸元から水晶玉のペンダントを片手で出して示しつつ、ユモは言葉を続ける。

「ペンダントに、色々『知識』を『圧縮』して仕込んでおいてくれたの。まだ全然『解凍』出来てないんだけどね、容量が大きすぎて……ああ、そもそもこれ、物理的な本じゃないのは分かってる?」

「いや……そうなのか?」

 分かってなかったスティーブは、即座に聞き返す。

「ここのペンダントに封じてあるのは、純粋な『知識』。形なんてないんだけど、こういうイメージを与えた方が、内容を読み出すにも、追記するにも、やり易いだけ」

「なんだ……俺はてっきり、魔法使いってのは、とんがり帽子に魔法の本持って、魔法の杖使って呪文を唱えるもんだと思ってた」

「ですよね?それって、魔法使いって言うより錬金術の先生のイメージらしいんですけど」

 スティーブのつぶやきに、雪風が同意する。

「絵本みたいに、杖の一振り、呪文の一言だけで何でも出来りゃ、苦労ないんだけど……それはともかく、多分、あいつ・・・の正体とかは、この『知識』のどっかに書いて・・・あると思うけど、今、他の知識の解凍を優先してるから」

 ユモは、肩をすくめて苦笑する。

「それで、そのよく分からないヤツと、君たちは事を構える?」

「構えないで済むなら、その方が良いんですけどね」

 雪風も、肩をすくめる。

「何しろ、平気で一晩で冥王星まで行って帰ってくるようなヤツですから」

「ユゴスは、冥王星じゃないわよ?」

「だっけ?まあいいわ、でもさ、一つ気になってるんだけど」

 雪風は、ずっと引っかかっていた疑問を、この時とばかりに持ち出す。

「あの光が、星を渡るガイドビームだかビーコンだか、そんなもんだとしてよ?地球にしろ目的の星にしろ、常に自転と公転で位置は変わってるわけでしょ?そんなに都合よく行ったり来たりできるもんなの?」

「わかんない……そもそも、そんな事出来るんなら、地上での移動も苦労しなさそうだけど」

「済まない、俺にも分かるように話してくれないか?」

 魔法使いであるが故に二十世紀の物理天文学より若干進んだ知識を持つユモと、技術者である父の影響からどちらかというと理工系の二十一世紀人である雪風の会話に、二十世紀前半、しかも天文学は方角その他を知るための実用中心でしかないスティーブの知識は、とっくについて行けなくなっていた。

「あー、えーっと」

「あの洞窟から出る光に乗って月に行こうとしても、キチンと月に向いた瞬間にやらないとダメ、って話よ」

 非常に簡単明瞭に、ユモは話をまとめる。

「この辺、緯度はどれくらいだっけ……どっちにしても、黄道面からかなり外れてるわよね」

「ウィスコンシンって、北海道と同じくらいの緯度だっけ?したら北緯四十度くらい?自転軸の公転面に対する傾きって二十度ちょっとだっけ、なら、昼夜で四十度以上の自由度があるから、黄道面に対して二十度から六十度くらい?なら、相手の公転軌道の傾斜角次第だけど、行けそうな気もするわね」

 頭の中でCG的なものをひねくり回しながら、雪風が答える。

「……つまり、あれだ」

 テントを背に、顔を北に向けて立っていたスティーブが、そのスティーブに顔を合わせるために北に背を向けていた二人に、その二人の背後の宙を見ながら、言った。

「そのヤツ・・ってのが、今まさに帰ってきたと、そういう事か?」

 言われて、驚いてスティーブの視線を辿って振り向いたユモと雪風は、例の洞窟のあるあたりから立ち上る青く細い光の柱を見て、絶句した。


「……マジか……」

 ぼそりと、雪風が呟く。

「……って、こんな事してる場合じゃないわ!行くわよユキ!」

 言いながら、ユモはオーガストのメモをスティーブに投げ渡す。

「それ預けとくから!」

「え?」

 軽くお手玉しつつそのメモを受け取ったスティーブに、ユモは言葉を重ねる。

「あたしが持ってて、もし落っことしたりしたら大変だから!持ってて!」

「準備良いわよ!」

 大急ぎで、サドルバッグからガンベルトを取り出して腰に巻いていた雪風がユモに声をかけた。その声に頷き、ユモは雪風に駆け寄る。

「チャックがオーガストの書き付けを持って戻って来るはずだから、それと併せてそのメモ分析したいから、ちゃんと持っててよ!」

 雪風の背中によじ登りながら、ユモはメモを指さしてスティーブに言いつける。

「ここに居れば安全だから!」

「行くわよ!しがみついて!」

 言うが早いか、雪風は雪原を蹴って、跳ぶ。あっという間に視界から消えた少女達の後ろ姿を目で追っていたスティーブは、しかし、倒木に立てかけていたライフルM1896を手に取ると、呟く。

「……そう言われても、なあ……」


「ねえ、聞いても良い?」

 ユモをおぶって駆けながら、雪風が聞く。

あいつら・・・・、死んだの?」

 雪風の声は、固い。ユモには、雪風の聞きたいことは、すぐに分かった。

「……あんたのせいじゃないわ。ああなったら、もう、どうにもならない。それだけの事よ」

 あたしは、殺してない。動きを停めた、ただそれだけ。雪風に聞けば、きっとそう言うに違いないと、ユモは思う。どういうカラクリかは分からないけれど、『れえばていん』と雪風が呼ぶその木刀、白木を削り出したらしい木で作った剣は、どうやらただの木剣ではないらしい。少なくとも、例の洞窟の広間の床を1発で切り崩したり出来る程度には。

 しかし、その雪風をしても、やはり人を殺すことには抵抗があるのだ。それはそうだろう、ユモは思う。あたしだって、人を殺すなんて冗談じゃない、そう思う。

 熊を殺したのだって、生きるか死ぬかの瀬戸際、無意識だったとはいえ、やはり嫌なもの。雪風が、雑談の途中でぽつりとそう言ったのを、ユモは思い出す。だから、後先になったけど、食べたのだと。食べるために殺す、それは多分、数少ない、許される殺す理由だから、と。

「……そうか……それだけの事、か……」

 雪風は、呟く。

「そうよ。あたし達のせいじゃないわ。それどころか、このあたしが、この魔女見習いユモ・タンカ・ツマンスカヤが直々に清めてあげたんですもの、むしろ感謝して欲しいくらいだわ」

 ユモは、あえて声を張る。

「……うん。そうだね。あたし達のせいじゃないし、あたし達はやれることをやった」

「そうよ。御主人様マイスターであるこのあたしが言うんだから。使い魔一号フェアトラート・エアステは黙って納得しておけばいいのよ」

「へいへい、おおせのままに」


「そういえば、さ」

 多少は吹っ切れた風の雪風が、改めてユモに聞いた。

「その水晶玉の情報の解凍って、まだかかるの?」

「えっとね……」

 ユモは、雪風の首筋にしがみついていた体を少しだけ浮かせ、右手で服の上から胸元のペンダントを押さえる。

「……もう半日はかかるかな……うん、多分、もう一晩あれば確実、くらいかな」

「結構かかるわね、どんだけ大容量なのよ?」

「そりゃ、ママムティの本気の知識てんこ盛りだもの」

 雪風にしがみつきなおしながら、ユモは続ける。

「ただ解凍するだけならもうちょっと早いんだけど。知りたいところ、先に回してるから」

「知りたいところって?」

あいつ・・・の、とっちめかた」

「うは……」

 雪風は、感嘆する。

「マジで、やる気?」

「まっさかあ」

 聞かれて、ユモは軽く返す。

「あたし、そんなにバカじゃないわよ?ただ、あいつ・・・やイタクァが何者で、どうやれば退けられるか、そもそも退ける方法があるのか、知っておけるならそれに越したことはないじゃない?」

「彼を知り己を知れば百戦あやうからず、ね」

「何それ?」

「孫子って知ってる?」

「東洋哲学は苦手なのよ……あんた、本当に思ったより学があるわね?」

「お?この早大学院中はやだいがくいんちゅうの戦闘妖精、雪風姉さんにケンカ売ってる?」

使い魔一号フェアトラート・エアステのくせに生意気よ?」

 ユモも、雪風も、分かっていた。

 互いに、無意識のうちに、軽口を叩き合うことで、緊張を和らげようとしている事を。

 それほどまでにあいつ・・・は危険だと、一歩一歩近づくほどに濃くなる放射閃オドから、二人はそれを感じ取っていた。

 だから。

「……とりゃあ!」

 ひょっこりと、森の木々の間から現れた新たな『ウェンディゴ症候群患者』――今度は女だった――に、雪風は駆ける勢いそのままに、ユモをおんぶしたままドロップキックをかます。

 自分達の運動エネルギーの大半をその両足から相手に受け渡し、そのまま軽く上に跳躍しながら、雪風はおんぶしたユモの尻を支えていた右手で、左手から木刀れえばていんを抜く。

「せいっ!」

 そのまま、雪風は片手で木刀れえばていんを真一文字に振り下ろす。少女二人分の突進力を受け止めさせられ、大きく姿勢を崩した女は、その鈍色にびいろに光る白木の木刀の一撃を受けて、へたりとその場にしりもちをつき、そして糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。

 その目前に、一刀一足の間合いで着地した雪風は、それでも片手で構えた木刀れえばていんを突き付けたまま、構えを崩さない。

「父と子と精霊の御名のもとに、魔女見習いユモが願う。この者の魂に安らぎ有れかしと。エイメン」

 右手の指で十字を切り、ユモがごく簡単に、弔いのまじないを唱える。その言霊が振るわせたエーテルのさざ波が収まるのを待って、雪風は木刀れえばていんを血振りし、構えを解く。

「……手ごたえも臭いも、だんだん強くなってきてるわ」

 テントを離れてから三体目の『ウェンディゴ憑き』を見下ろしつつ、雪風がつぶやく。

「パーティに遅れちゃ申し訳ないわ。行きましょ」

 遠く、北を見つめながら、ユモは言う。

「あいよ」

 木刀れえばていんを持ったまま、両手でユモの尻を支えておぶりなおした雪風は、一息大きく息を吸って、再び走り出した。

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