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 さほど長い時間では無かったが、それでも私は気が気ではなく、ひたすらにぬるくなったポーク&ビーンズと乾パンを詰め込みつつも、視線はほとんどその男の手元から離さなかった。

 その男はしかし、二つのペンダントを手に持ち、じっくりと眺め、たまに自分の多面体トラペゾヘドロンと見比べるばかりで、正直言って私には何をどう調べているのか皆目分からなかった。


 私は、男がペンダントをどう扱うかを注視しつつ、男の身体的特徴その他の観察も行った。男の肌は黒人のそれとまごうばかりに黒いが、顔つきや体つきはアフリカン・ニグロイドのそれとはかけ離れている。彫りの深いその顔は、肌の色が濃すぎることを除けば、アラブ人のそれに思えた。白いスーツは大変仕立てが良いようで、薄ピンクのシャツに濃いピンクのネクタイを合わせ、白い中折れ帽も濃いピンクのリボンがあしらわれている。靴はエナメルの白、靴下もピンク。痩身と相まって気障この上ないが、男はそんな事はまったく意に介さないかのようにその服を着こなす。背の高さは6フィートに近いだろうか、目深に被った中折れ帽が落とす影のおかげで、その表情は読み取りづらい。いかにも気障で鼻持ちならない、私のような軍人の対極にいるような人種。見てくれからはそう思えるが、その言葉には知性と教養がふんだんに載っており、一筋縄ではいかない底の知れなさに、私は緊張が高まるのを感じた。


「……このペンダントの多面体トラペゾヘドロンは、私の多面体トラペゾヘドロンを模して作られた事は、どうやら間違いなさそうです」

 その男は、ペンダントを見つめたまま言った。その言葉は、どうやら私に聞かせるためのものであるようだった。

「その事に、一体どんな意味があるのです?」

 私は、メスキットをボロ布ウエスで拭いながら聞いた。

「そもそも、あなたは何者で、なんの目的でここに居るのです?何を知っていて、何を知ろうとしているのです?」

 私の中で、疑問が堰を切った。緊張が頂点に達していたのだろうと思う。

「あなたは、誰なのですか?」

「その質問にお答えするのは、大変に難しい事です」

 私の方に歩いて近づきつつ、彼は言った。

「分かりやすいことからお答えしましょう。私の目的は、楽しむこと。愉快でありたい、それだけです」

 私の手を取って、その手に二つのペンダントを乗せながら、男は言った。

「知識欲を満たすのも、楽しいことです。その知識を、誰かに分け与えるのも」

 その時、私は初めて、至近距離で男の目を見た。つい、体に染みついた礼儀として顔を上げ、視線を合わせようとしてしまい、目が合ってしまった。

 そして、私は、男のその黒い、底なしの闇をたたえた目から視線が離せなくなってしまった。

「ですから、私はあなたにも、ほんのちょっとだけ、知識を分け与えましょう。その多面体トラペゾヘドロンのペンダントは、私の多面体トラペゾヘドロンを模したものですが、本来これはこの地上で作る事も、人間に使いこなすことも出来ないものです」

「……え?」

 私は、彼の言葉が理解出来なかった。地上で作る事が出来ないとは、どういう事なのか、と。

「あなたは、これを偶然手に入れたとさっき言いましたね?先ほど言ったとおり、これは人間に作れるものでも、使えるものでもありません。ですが、私には、唯一、その両方の条件をクリア出来る人物に心当たりがあります。そして」

 彼は、私の手のひらの上の、今朝方までは光っていた水晶玉を指さして、言った。

「このペンダントに込められた魔法、これこそは、その人物がここに封じたものに間違いありません。つまり、あなたはその人物と直接、あるいは間接的にかも知れませんが、接触を持った、そういう事でしょうか?」

 彼が何を言っているのか、私はまだ理解出来ていなかったが、それでも余りにも不自然は一言がそこにある事には気付いていた。

「いや、待って下さい。今、魔法と言いましたか?」

 私は、聞き返した。当然だろう、この科学万能の時代に、魔法だなどと、世迷い言にも等しい。

「そんな子供だましな。魔法だなどと!」

 今、メモを書きながら思うに、その時の私は少し精神が不安定だったのだろう。険のあるその一言を、しかし男は受け流し、慈愛と哀れみに満ちた目で、私を見た。

「なるほど、そのように思われるのも無理ないでしょう。最近の人間は、科学とやらにどっぷりとつかって、それ以前のことを忘れてしまっています。しかし、しかたのない事です。あなたたち人間は、真理に至るにはあまりに短命で、精神も肉体も脆弱に過ぎます」

 芝居がかった仕草で、彼はかぶりを振った。まるで、自分は人間ではないような口ぶりとともに。

「知識や知見といった情報は、書物などで後世に残しているようですが、体験、経験、記憶そのものは肉体の消滅と共に失われてしまう……では、私はあなたに尋ねましょう。あなたの信奉する科学、これは、その始まりは元をただせば錬金術である、このことを否定されますか?」

 化学、医学、そういったものは、確かに、パラケルススをはじめとする錬金術師とも魔術師とも呼ばれる者たちの研究から生まれている。私とて、科学全体の流れとして、それを否定はしない。

「それは、ああ、否定しないが……」

「彼らは知識人であり、その多くは同時に文化人であり、哲学者でもあり、芸術家、歴史家でもあった。自然科学、薬学、生物学にも造詣が深かった」

 まるでその時のことを思い出すかのような遠い目をしながら、彼は言った。

「であるが故に、彼らの多くはまた、不老不死を求めた。何故なにゆえに?彼らのパトロンがそれを求めた事もあるのでしょうが、彼ら自身が、研究をもっと続けるためには己の生はあまりに短いと考えていたからに他なりません」

 彼は、私に視線を戻した。

「ごくまれに、成し遂げた者もいましたが、ほとんどの魔術師は志半ばにして倒れました。その彼らが残し、未来に託したた英知の延長線上に、今のあなた方の科学が、繁栄がある。これもまた、事実です。お認めになりますか?」

「ああ……」

 彼の言っている事に、その流れに間違いはない。私は、首肯した。彼の語る一つ一つに、消せない違和感を感じつつも。

「結構。その先達の魔術、錬金術の出発点には、かなり色濃く、魔法と呼ばれる技術、あるいは思想が関与していた。この事実については、如何ですか?」

「それもまた認めざるを得ないだろう。しかし……」

 錬金術とはつまり、極論するなら、鉛を黄金に変えようとする事であり、現代科学では不可能とされているそれを行うにあたって、昔の人の一部は得体の知れない怪しげな魔法に頼った、それは確かに事実ではあった。

「……それは科学の本質ではない。科学によって、狭い意味での錬金術は否定されている」

「そうでしょうか?それは、『今現在、あなた方が知っている範囲』の科学によって、ではありませんか?」

 詭弁だ。そのような言い方をすれば、たいがいの事が否定出来なくなる。私がそう反論する前に、彼は続けた。

「科学の発展を、私は否定しませんが、今あなた方が知る科学は、まだまだ未熟です。たとえるなら、そうですね、あなたは医者だとおっしゃいましたが、黒死病、御存知ですね?あれが蔓延した時代、人々は『科学的に』入浴の習慣を否定し、人々は悪臭と寄生虫まみれの生活に逆戻りした」

「それは……」

「ああ、私はそれを否定するわけでも、糾弾するわけでもありません。ただ、未知なる物に対する無知、探求の不足から、誤った結論が導き出された、それだけの事です。仕方のないことであり、そのような経験をいくつも積む事で知識は増えてゆく、試行錯誤の過程とはそういうものであるというだけに過ぎません。ただ、そうであっても、それはその当時の『最先端の科学』であった、そういう事です」

 私は、彼の言わんとするところが理解出来た。

「魔法とは、人間が手で触れる事の出来る範囲を超えた『この世の真理』を理解し、それに干渉しようとする『学問』であって、錬金術はそのうちの物質を主に扱う分野に過ぎません。その錬金術の、さらに目で見え、手で触れられる物理現象のみに特化した分野、それが『科学』。あえて定義するならそのようなものかと思いますが、如何でしょうか?」

 そう定義するなら、彼の言は正鵠を射ていると言えた。納得すると同時に、私は、彼はペテン師だとも思った。ケチな詐欺師は、ケチな嘘で人を謀ろうとして尻尾を踏まれるが、一流のペテン師は、大ボラを吹いて人を煙に巻いて、その影でこっそりと黒を白に変える。

 私は思った。ペテンであるならば、それに抗う事で恐らくさらに深みにはまるだろうと。ならば、はまったフリをして流れに任せ、機を見て反論すれば良いと。ペテンとは、そういうものであると。

 今にして思えば、既にこの時点で私は、彼の話術に深く取り込まれていたに違いない。


「あなたの言わんとするところは分かりました。そして、異を唱えるものではありませんが、では一つ、お聞かせ願えますか?」

 私は、ずっと疑問に思っていた事を聞いてみる事にした。さて、どんな答えが返ってくるだろうか。

「あなたのお話によれば、物理現象のみを扱う科学を内包する錬金術も今現在存在し、その錬金術をも内包する魔法も現に存在する、それでよろしいか?」

「勿論ですとも」

 驚いた事に、少しは戸惑いを見せるかと思っていた私の期待を裏切って、彼は即座にそう言った。

「表立ってはいませんし、以前に比べれば相当に数は減らしてますが、それ故に洗練された魔術師、魔法使いと言っても良いですが、彼らは確かに存在します。その」

 彼は、私の手のひらのペンダントを指さして、言った。

「ペンダントが何よりの証拠です。その二つはかなり新しいものですし、何よりそれらから発する放射閃オドに、私は心当たりがあります。間違いなく、それらは彼女の手によるものでしょう」

「彼女、ですか?では、それは魔法使い、いや、魔女だとでも?」

「ええ」

 なんの躊躇も無く答え、頷く彼を見て、私は困惑した。この二十世紀に、魔女、だと?と。

「もしやですが、失礼、あなたは今、こう考えていらっしゃるのでは?『魔女など、魔法使いなど絵空事、この科学万能のご時世に、そんな者が居るはずがない』と?」

 はっきりと顔に出ていたのだろう、私の心を読んだように、彼は言った。

「では、科学の範囲で、あなたはそのペンダントの作動原理に説明を付けられますか?」

「それは……」

 私は、言い淀んだ。発光現象は、何らかの未知の蛍光物質を練り込むか塗り込むかして、放射性元素でも仕込めばどうにかなりそうな気がする。しかし、しゃべる多面体トラペゾヘドロンとは。どこぞの研究所が秘密裏に試作した超小型の蓄音機でも仕込んである?いや、それでは会話は成り立たない。第一、動力源はどうする?

「ニーマントさんでしたか、あなたはどう思います?」

 彼は、ミスタ・ニーマントに尋ねた。

「……お返事がありませんね?」

「ああ、ミスタ・ニーマントは光のある所ではしゃべれないと言ってました」

「なんと。そういう事は先に言っておいていただかないと……ランプを消してもよろしいか?」

 私は頷いて、テーブルの上のランプに手を伸ばした。彼も、リビングの柱に掛けてあるランプに向かう。

 暖炉の火も弱め、おき・・だけにした時、ミスタ・ニーマントの声がした。

「いやいや、手間をおかけします」

「ランプの明かりでもダメでしたか」

「そのようです」

 自分の手さえ見えない闇の中、私の語りかけに答えるその様子は、機械仕掛けの応答とはとても思えない。

「なるほど。それではさぞご不便でしょう」

 彼は、ミスタ・ニーマントに話しかけた。

「ええ。どうやらこの多面体トラペゾヘドロンは、光を取り込む事はしても、決して逃さない性質たちのようで、周りに少しでも光があると内部で無限にも増幅されまして。そうなると、どうにも外界への働きかけが出来ません」

「……内部で全反射しているのか?しかし……」

 私は、思わず考えが声に出た。多面体トラペゾヘドロンへの入射光が全反射するように面を構成する事自体は、理論的には可能だろう、ある特定の入射角の光線に対してだけならば。しかし、全ての方向からの入射光に対してとなると……

「……そんな事が、出来るものなのだろうか……」

「私は科学にはうといですが、この星に存在する物質では困難でしょうし、私の多面体トラペゾヘドロンですら、そんな機能はありません」

 鼻をつままれても分からないような闇の中、彼は、私の呟きに答えた。その答えは、まるで……

「まるで、あなたの多面体トラペゾヘドロンは、地球のものではないような物言いですね」

 私は、思ったままを声に出した。その口調には、きっと、やや嘲るようなものが含まれていたと思う。彼のペテンの一端だと、私は決めつけていたからだ。

「ええ、その通りです」

 だが、彼はその嘲りをまるで気に留めていないように、気楽に答えた。

「だから先ほど、私は言いました。あなたの、と言いますか、ニーマントさんの多面体トラペゾヘドロンは、私の多面体トラペゾヘドロンを模して作られていて、そしてそれはこの地球上では作り得ないと」

 確かに、そうだった。彼は確かに、先ほどそう言った。それがこの問答への伏線だとしたら、彼はまったくすごいペテン師か、あるいは……

「私の多面体トラペゾヘドロンは、見るものによって、あるいは見る時によって、違う景色を見せてくれます。私は、それを使ってあちこちに行き来出来るので大変重宝しているのですが、残念ながらこの『輝くシャイニング・多面体トラペゾヘドロン』は、ユゴスの鉱物からしか作り得ません」

 ごそごそと音がして、恐らく彼が再び内懐から取り出したのだろう、その多面体トラペゾヘドロンが、闇の中でも紅く光り変化し続ける紋様を伴って現れた。

「そして、そちらの『輝かないアンシャイニング・多面体トラペゾヘドロン』は、大きさも違えば材質も違いそうですし、何より、光を閉じ込める機能はオリジナルにはありません。しかし、なるほど腑に落ちました。『私を閉じ込める檻』であるならば、なるほどこれほどぴったりなものはまず無いでしょう」

 いよいよ、私には彼の言っている事が理解出来なくなってきた。ユゴスとはどの国のどの地方で、彼を閉じ込める檻とは、何の事なのだろうか?

「してみると、ニーマントさん、あなたは私か、少なくとも私に関連する何者かであって、彼女・・があなたを閉じ込めるためにその多面体トラペゾヘドロンを用意した、そう考えるのがもっとも筋道が通っているようです」

 闇の中でも、彼が何度も頷いているのが気配で分かる。

「彼女?」

 奇しくも、私とミスタ・ニーマントの声が重なった。

「ええ」

 闇の中で、彼がにまりと笑ったのが、私には見えるようだった。

「彼の大魔導士エイボンに連なる月の魔女、リュールカその人です」

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