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「……誰?知ってる人?」
その名前を読んだ時、ユモの声がわずかにうわずったのに気付いたユキが、ユモに尋ねた。
「ううん、大丈夫。後で、ね」
メモから目を上げたユモは、複雑な表情で苦労してユキに微笑み、メモの朗読を続けた。
具体的な名前が出てきたので、もう一度ここに記す。魔導士エイボン。月の魔女リュールカ。実在するのか、単なるでまかせかは不明だが、記録しておいて損はないだろう。
「私と、あなたが、同じ?」
しばしの沈黙の後、ミスタ・ニーマントが、その沈黙を破った。
「はい。正直に言いまして、私は、どこにどんな『私』が居るか把握していません。まあ、把握するつもりもないのですが。ですから、あなたのように、私によく似た『私』が居たとしても不思議は無いでしょう。また、その『
「すると、私はその、ただでは済まなかった『私』である、と?」
「あくまで推測ですが。腑には落ちます」
ミスタ・ニーマントと彼の会話は、私には理解が追いつかないものだった。だが、彼ら同士は互いに理解出来ているらしい。
「そこでなのですが、モーリーさん。あなたは、この『
彼の猫なで声が、私に向けて発せられた。
「
「聞かせていただければ、私に出来る事でしたら、何かしらお返しをすると約束しましょう、如何ですか?」
それこそが、詐欺師の常套手段だと私はその時思った。ギブアンドテイクは、この件については成り立たないし、成り立たせてはいけないのだ。
何故なら、私は、友と呼べたであろう者達を裏切って、そのペンダントを手に入れたのだから。
「私は、一応その全ての
ミスタ・ニーマントが言った。そうだ、ミスタ・ニーマントは、全てを知る立場にある。私が知らない、ジュモー嬢とユキ嬢がこの地に現れる以前の事も含めて。
そう考えれば、この場に居るのは当事者である私と、何が起きたかをつぶさに知るミスタ・ニーマントと、何が起きたかを知ったとしても、その事自体には恐らくまったく関係が無いであろう彼の三人だけであった。
そして私は、ミスタ・ニーマントにも一つ聞いてみたい事があったのだ。であるならば、ここで私が全てをさらけ出しても良いだろうし、むしろそうする事で、私は、楽になれるかも知れないと、その時の私は、そう思った。
私は、この時に気付いた。
私は、誰かに全ての秘密を打ち明け、誰かの赦しを請いたかったのだ、と。
しかしながら、誰に話しても赦しが与えられないだろう事を成したと自分で思っていたから、私はその場から一刻も早く立ち去ろうと、少しでも遠くに離れようとしていたのだ、と。
私は決心して、ジュモー嬢から聞いた、彼女が如何にしてミスタ・ニーマントのペンダントを持ってここに現れるに至ったかという話と、それを私が奪い、逃げた話を彼に語って聞かせた。ミスタ・ニーマントがしゃべれる状態を維持するため、未だランプは再点火されず、私は暗闇の中でそれを語った。その行為は、私に私の心の中を覗き込ませるに充分であった。
「私は、ミスタ・ニーマント、あなたに聞きたかったのです」
心の中を見つめていた私は、私自身答えが出ていなかった小さな問題の答えを得るべく、ミスタ・ニーマントに尋ねた。
「私がジュモー嬢の首からあなたを外した時、あなたはジュモー嬢にもユキ嬢にも警告を発する事が出来たはずです。テントの中は充分に暗く、さらにあなたはジュモー嬢の毛布の下にあった。声をあげる事は出来たはずですが、しかし、あなたはしなかった。何故です?」
「……その答えは、一つではありません」
ミスタ・ニーマントは、一拍置いてから答えた。
「一つは、私は確かにジュモーさんの首にかかっていましたが、ペンダントとしての所有者は彼女であっても、私という自我の所有者はあくまで私であるからです。その私は、あなたがこれから何をするのか非常に興味があった。だから、あなたの妨害をしなかった。これが、まず一つ目の答えです」
ミスタ・ニーマントの答えは、筋が通っていた。
「もう一つ、もしあなたがジュモー嬢を害して私を奪うようであれば、私は声をあげていたでしょう。しかし、あなたはそうはしなかった。何度考えても、あの場ではそうするのがもっとも賢い選択だったと私は思ってますが、あなたはそうはしなかった。事が露見し、追っ手がかかる事を知っていたはずなのに、あなたは誰も傷つけなかった。私は、その非論理的な行動をとった理由を知りたくなったのです……何故ですか?」
ミスタ・ニーマントの問いに、私は即答出来なかった。答えそのものは簡単だ。殺したくなかった、傷つけたくなかった、ただ単純にそれだけだ。その時の私の、純粋な気持ちはそういう事だった、としか言いようがないし、人の行動原理などというものは、えてしてその程度のものだ。しかし、それはその時の私の正しい気持ちであったが、事の後先を考えるならば非論理的な行動である事も確かだ。論理を優先するなら、
「……失礼。もしかしてですが、モーリーさん、あなたは、そのジュモー嬢とやらに追ってきて欲しかったのでは?」
彼が、口をはさんだ。
「私も何度か、そのような人間の非論理的な行動を見た事があります。たいがい、そういう時は理由は、他人にとっては考えられなかったり、取るに足らなかったりするものでした。しかるに、思うのです。モーリーさん、あなたは、そのジュモー嬢か、あるいはそのお仲間に、追ってきて、捕まって、『
「そんな事は……」
私は、否定しようとした。しかし、暗闇よりもなお
「あるいは、あなたは何かしら後ろ暗い事をまだ隠していて、このような軽はずみな行動をとる事で全てを代無しにしようと考えているのではありませんか?」
彼の手が、私の手に触れ、握った。
「お話しをうかがう限り、あなたは大変に知性があり、人としても軍人としても責任感の強い方のようです。しかし、そのあなたがとった行動にしては、『
ああ、そうだ。ずっと隠していた事がある。私が、『ウェンディゴ症候群』の調査に派遣された本当の理由。もちろん
私は、決心した。ここに、その事実を書き記す。恐らく私は、この先、部隊に復帰する事はないだろう。いや、恐らく私は、ここから先に進む事すらないだろう。だから、私はここに事実を明らかにし、そして、神よ、私はあなたに懺悔する。
私を、赦して欲しい。
これは、これこそが、私の懺悔だ。あれほども大それた事を、単に興味と好奇心だけで行おうとした私を、どうか、神よ、赦して欲しい。
私は、『ウェンディゴ症候群』の病原体を用いた生化学兵器を作りたかったのだから。
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