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 翌日の調査も、序盤は順調に進んだ。調査で得た情報をまとめると、海岸に開口した洞窟は緩い下りがしばらく続いた後に垂直方向にかなり深い縦穴に繋がる。この縦穴は、ウチャック君、オースチン君の言を借りるならば、『地に埋められた巨人の鋳型』のようであり、我々はその頭部に、額の中央あたりに連結した崖からの洞窟によって到達した。

 その頭部のような空間は、高さ方向は30フィート程もあったろうか。水平方向は20フィート弱、壁面のあちこちに得体の知れない紋様が刻まれており、相当に古い時代に作られたであろう木材の床がしつらえてあり、その中央には直径3フィート程の穴が空いていた。また、あとでオースチン君達が気付いた事だが、我々が入って来た洞窟の左右に、ちょうど目の位置にあたる凹みが穿たれていた。以下、この空間を『頭部』と称する事とする。

 木の床には数体の死体があり、着衣から見てこの付近の原住民と思われたが、これについても考古学者あるいは歴史家の判断を待ちたい。資料の一部は私の鞄に、大きいものは馬の行李サドルバッグに入れてある。洞窟にしては乾燥し、またほぼ冷凍状態であったため、ミイラ化しており保存状態は良好と言えた。

 なお、特筆すべき事項として、考古学的知識のない私には理解できない絵文字に混ざって、ジュモー嬢が見つけたのだが、ギリシャ文字の逆さ文字で以下の文章が残されていた。

『汝 イタカと旅立つなら 長旅になると心せよ あらゆる驚異と刮目に満ちるべくあれかし』


 この後起きたことについて、時系列を正確に述べるのには、私は少々苦労する。私自身が全てを知る立場でないので、正確に記述出来ていない可能性があるが、分かる範囲で正確に記述したいと思う。

 まず最初に記すべきは、我々は、正確にはジュモー嬢が最初に、重症の『ウェンディゴ症候群』患者とおぼしき男に襲いかかられた。その男はどうやら、我々が通ってきた洞窟のどこか、あるいは洞窟の入り口付近のどこかに潜み、我々の後を息を殺してつけてきて、襲撃するチャンスを狙っていたと思われる。ジュモー嬢を狙ったと思われる最初の一撃は、辛くもユキ嬢によって、彼女の体得していると思われる剣術らしき格闘術と、剣に見立てて持って来た細長い薪雑把まきざっぽうによって防がれ、続く攻撃は私に向いていたようだが、これもユキ嬢の機転により、私を転ばせることで回避に成功した。

 その男が重度の『ウェンディゴ症候群』と判断した根拠は、その肌色顔色が土気色で、黄色い乱杭歯も黒く伸びた爪も人間離れしており、私が直前の調査で見た別の重症者と酷似していたからだが、その重症者がこれほどの運動能力を持っていることはまったく想定外であった。何故なら、私が観察出来た重症の『ウェンディゴ症候群』の患者は、例外なく拘束され、投薬されて鎮静化されているものであって、このように自由に行動する重症者は見たことがなかったからである。

 その男であるが、続く行動で彼はジュモー嬢とユキ嬢に攻撃を試み、ユキ嬢に薪雑把で反撃されたが、その衝撃で抜けた床から床下に落下した。哀しむべき事に、彼の落下にはジュモー嬢とユキ嬢、そして彼女たちを助けようとした私も道連れになってしまった。


 落下した時はそこまでの余裕は無く分からなかったが、この時我々が居た、歪な卵形の『頭部』の下は、直径6ないし7フィート程の穴が空いており、さらに下の空間である『胴体』に続いていた。『胴体』は高さ100フィート前後、直径は場所によるが50フィート前後、内部は完全な空洞ではなく、付近の大木の根や、深層部ではその根の化石、そして正体不明の根によく似た物体が略水平方向に何本も走っていた。

 また、『胴体』の上の方から二本の細い洞窟『腕』が水平やや下方に、下端からやや太い洞窟『足』が斜め下方に、それぞれ延びていた。

 これもあとで分かったことだが、私はその『腕』の一本に、ユキ嬢とジュモー嬢は二人まとめて『足』の一本に、それぞれ落ち込んでいた。

 落差の大きかったジュモー嬢とユキ嬢がどうして無事だったのかは未だに不明だが、とにかく彼女たちも大きなケガはなく無事生還している事をここに記述しておく。同時に、私もかすり傷程度で無事であったが、これには理由があり、落下の過程でどうやら先ほどの『ウェンディゴ症候群』重症患者が私の下敷きになり、彼の犠牲によって私が偶然助かったらしい。落下の過程で一度は私は気を失ったが、気が付いた時、私の下に彼の事切れた体があった事からそう推測される。

 そして、この先を記述する事を私は躊躇しているのだが、私はここで不可思議な体験をした。神の名において、以降に記述する事は空想ではなく私の体験に基づく事をここに誓う。また、もしこれが私の体験、事実でないならば、今このメモを書き残す必要はなく、私は無事に原隊に帰還出来るだろう。

 私は、ニーマントと名乗る正体不明の人物から、声をかけられた。


「……どうした?」

 そこまで読みかけて、ユモは急に言葉を戸切り、ユキを見た。何事かと思ってユキはユモの手元の紙を覗き込んで、固まる。その二人の様子を不信に思ったチャックは、二人に声をかけた。

「……何でもないわ」

 言って、ユモはもう一度ユキを見る、何かを問う眼差しで。ユキは、そのユモの目を見たまま、頷く。

「ゴメン、続き、読むわね」


 ニーマントという人物は、以降ミスタ・ニーマントと呼ぶが、実に不可思議で、自分は、ジュモー嬢が持つペンダントであると語った。ペンダントがしゃべるなど、良識ある大人としては一笑に付すべき与太話であるが、私はそれを信じた。

 これには理由があって、まず、ジュモー嬢はペンダントを三つ持っていた事。一つは、ウズラの卵ほどの、普通に見える水晶玉であり、もう一つはこれとほぼ同じだが、淡く発光し続けている水晶玉であった。そしてもう一つが、ミスタ・ニーマントがそれが自分であるとのたまうものであって、大きさは他の水晶玉と大差ないが、多面体トラペゾヘドロンであって、材質は不明だがほぼ光を反射しない代物であった。

 もう一つの理由は、この発光し続けている水晶玉が、何らかの電気あるいは化学薬品による発光現象ではなく、蛍光物質による発光でもないものであった事だ。ジュモー嬢はこの水晶玉は実家の雑貨屋の商品であって、曰く付きであるがその詳細は知らないと言う。それが事実か虚言かを知る術はなく、またそれ知る事にここではあまり意味は無いと思われる。何故なら、大事な事実は、この水晶玉の発光現象が、我々の科学ではあずかり知らぬ何かの原理によって起こっているという事であるからだ。勿論、その由来などが知れれば、それは大変に有益であると言えるが、知らないものは聞き出しようがないし、知っていて隠しているのだとしたら、やはりそれを聞き出す事は、平和的な手段では困難であるに違いなく、そして私には、彼女たちに何らかの平和的でない交渉を持ちかけるような意識は、この時点でまったくなかったからだ。


 さて、ミスタ・ニーマントの話だが、彼は、私は彼を男性的な人格であると受け取っているため以降は彼を彼と記述するが、彼は自分はジュモー嬢の持つその黒い多面体トラペゾヘドロンそのものであると言い、また、彼は何らかの自然光がある状況では外部に対し働きかける事、つまり今私に話しかけているような、そういう行動の一切が出来なかったのだと語った。ジュモー嬢が彼を身につけているわけだが、この直前にジュモー嬢は『頭部』の壁の文字を読むために、光る方の水晶玉を取り出して手に持っており、『ウェンディゴ症候群』重症患者に襲われて落下した際にこれを失っていたため、自分はこうしてしゃべれるようになった、とも。

 そして彼は、自分はそのように人間以外の存在であるから、ある程度は物体を透過して見る事が出来、今、私の体のすぐ側にその光る水晶玉が偶然落ちている事も教えてくれた。事実その水晶玉は彼が示す位置にあり、その淡い光によって、私は自分が『ウェンディゴ症候群』重症患者の上に乗っており、患者は押しつぶされて事切れている事も知った。


「……オーガストが、持ってたの……」

 読みながら、ユモは呟いた。

「二つとも、あいつが持っていたのね……」


 彼はまた私に、ジュモー嬢とユキ嬢が空間跳躍した原因の一つとして、自分が関係している事を吐露した。

 彼は、自分はジュモー嬢が語ったように、ある箱の中に封じられてたものであって、それが故にジュモー嬢によって箱が開けられるまでの記憶も意識もないと言った。ただし、何らかの記憶は持っていて、それを思い出すきっかけがない、言わば記憶喪失と言ってよいと思われる。何故なら、私が仮に彼をエマノンと呼んだところ、彼は、自分の名前がエマノン・ニーマントである事を思いだしたと、そう私に語ったからだ。彼が全くのその場の思いつきでそう名乗ったのでなければ、私が仮に呼んだエマノンという単語が、彼の記憶を引き出す鍵になった、そういう事例は文献にも枚挙に暇がなく、また、その意味で彼も、少なくとも我々と同じような記憶を持つ人格であると判断して良いと思われる。

 そして彼は、箱が開けられる以前の記憶はないが、少なくとも箱が開けられた以降の事は記憶している事。ジュモー嬢が彼を手に握り、彼が再び光から遠ざけられた時に、彼の脳裏に浮かんだ光景に向かって無意識に空間跳躍を行ったらしい事。自分もまったく意識せず、ただ外部からの干渉を遮る箱の中という、無限に続く光の洪水から開放された瞬間の意識の混乱から無意識に逃避行動をとったようだ、そう私に語った。

 その結果として、偶然、彼とジュモー嬢はユキ嬢の目前に出現し、混乱の収まらない彼はもう一度同じように空間跳躍を行い、この地にたどり着いて力尽きた、そう言う事であると。

 私は、彼の言った事を信じるか、信じないか、二つに一つの選択しか出来なかった。そして、話のつじつまとしては整合している事から、彼の言を信じる事とした。いや、彼の言を信じた理由はもう一つあった。彼は、ここからの出口を示してくれたからだ。

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