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 私は、光るペンダントを首からかけて服の下に仕舞うと、彼の示す方向に進んで、『腕』の洞窟から『胴体』の縦穴に出る事に成功した。

 そして、私は見たのだ。ジュモー嬢とユキ嬢が、淡い光を纏い、蜃気楼のようにも見える空気の皿のようなものに乗って、ゆっくりと『胴体』の空間を上昇して行く様を。

 私の疑念は、この時、確信に変わった。この世には、少なくとも現代の科学では計り知れない何かがあるのだと。ミスタ・ニーマントと名乗る何者かがそれであり、また、ジュモー嬢とユキ嬢が乗る空気の皿がそれであると。

 そして、それらを、空気の皿であったり、電気や科学によらない明かりであったり、そして空間跳躍、これらの秘密が解き明かせるならば、我がアメリカ陸軍として、利用価値はいかほどのものであろうか、と。

 私は、急いで『胴体』の空間を、木の根やその他のものを伝ってよじ登った。木の根の隙間からジュモー嬢とユキ嬢が見えたのは一瞬だったが、彼女たちはいずれ『胴体』の首の部分に到着し、オースチン君やウチャック君に合流するだろう。その時に、置いて行かれてはたまらないからだ。

 幸いにして、『腕』は首の部分から20フィート程度しか下っていなかったようで、彼女たちに追いつくのはさほどの苦労ではなかった。しかし、追いついた時、彼女たちと、『頭部』にいるオースチン君達は、複数の『ウェンディゴ症候群』患者に襲われ交戦中であった。

 特にユキ嬢は、その背後に『ウェンディゴ症候群』患者が迫っていたが、彼女は上に吊され、今まさに首から『頭部』に引き上げられようとしているジュモー嬢に気を取られているようで気付いていない様子であった。

 私は、当然の行動として拳銃を抜き、発砲した。正直に告白するなら、私の拳銃の腕前は褒められたものではない。ましてや、今は必死にここまで登ってきた直後であり、15フィート程の距離とはいえ必中は望むべくもなかった。間違ってユキ嬢に中らなかっただけまし、とさえ言えた。

 だが、この射撃は『ウェンディゴ症候群』患者の機先を制する効果はあったようで、私が発砲すると同時に前転して『ウェンディゴ症候群』患者から距離をとったユキ嬢は、返す刀の見事な2発の射撃で患者の足を撃ち抜き、バランスを崩した患者は足を滑らせて木の根から落下した。

 この後、我々も首から『頭部』に登り、私は別の『ウェンディゴ症候群』患者に襲われたオースチン君に応急処置を施し、『頭部』からの撤退をはじめた。軍人としてはまったく情けない事だが、『胴体』に出現した複数の『ウェンディゴ症候群』患者は、私の拳銃を使ってユキ嬢が牽制してくれた。それは、この『頭部』から入り口に続く洞窟に退却するため、私とウチャック君はオースチン君に肩を貸す必要があったからだが、彼女の行動はどんな軍人にも引けを取らないほど勇敢であり、また的確な射撃であったと言える。また、最終的にユキ嬢は『頭部』の床を崩す事もやってのけ、『ウェンディゴ症候群』患者の追撃を、一時的ではあろうが押しとどめる事に成功している。

 私は、またも確信した。ジュモー嬢とユキ嬢、彼女たちもやはり、なんらかの特殊な訓練を受けた人材であるか、あるいは科学では計り知れない何かに近しい存在であると。そうでなければ、あの空気の皿は説明出来ないし、ユキ嬢がたった一人で『頭部』の床を破壊した事も説明がつけられないからだ。


「……見られてたのね……」

 ユモは、小さく呟いた。

「……やっぱ軍人は気が付くか……」

 ユキも、呟く。

「そりゃそうよ。だから一人で大丈夫かって」

「だって、あんた抱えて跳ぶよりずっと楽だと思ったんだもん」

「……君たちは……」

 何やら小さく言い合いをはじめたユモとユキに、チャックは慎重に声をかけた。

「……」

 返す言葉が見つからず、チャックと目を合わせた二人は、苦笑する、ちょと寂しげに。

「……続き、読むわね」


 巨人の鋳型のような穴を脱出して、我々はキャンプに戻った。幸いにしてオースチン君の傷は深くはなく、消毒と縫合、念のための抗生物質と血清投与で処置としては問題なさそうであった。万が一、『ウェンディゴ症候群』が未知の病原体によるものであった場合は、安心の限りでは無いが、少なくともこの夜までの経過観察では、問題はなさそうであった。

 その夜、私は決心した。ジュモー嬢には申し訳ないが、彼女のペンダントを奪取し、私はそれを持ち帰って然るべき研究施設に渡すべきであると。そうする事が、合衆国陸軍の為であり、ひいては合衆国国民の利益につながり、合衆国陸軍軍人である私の成すべき事であると。

 勿論、短時間とはいえ、友人同然に寝食を共にしたジュモー嬢を裏切る事になるのは、忸怩たる思いではある。だが、私は軍人であり、軍、ひいては国民の利益と安全は、私の個人的な全てに優先するのだ。

 私は、この夜の不寝番に立つ直前に、ぐっすりと就寝中のジュモー嬢の首からミスタ・ニーマントのペンダントをこっそりと外してポケットに仕舞い、また私の不寝番の時間を使って隠密に馬の準備を進め、未明に不寝番の交代に現れたウチャック君には馬の様子を見てから用を足して寝ると告げて、馬を引いてキャンプを離れた。馬のテントは就寝用テントや焚き火から少々離れていたし、足音や騒音は、折から降り出した雪が消してくれたのだと思う。明け方まで追っ手がかからなかった事から、私は逃亡の序盤は成功したと確信し、地図を頼りに私の原隊が駐屯するキャンプ・ダグラスを目指した。なお、私は、彼らにその時私の手元にあった、以降の旅費に必要と思われた分を除くほぼ全額を残し、また原隊に急遽復帰する旨を書き残した。これで私の所業が許されるわけではないが、私はせめてもの償いとして、そうせずにはいられなかった。


 キャンプ・ダグラスを目指す行程は、難所はないものの、前夜半から降り出した雪には閉口した。この雪で列車が止まる事、また行き先の駅に手配が回る事を警戒して、アシュランドからの鉄道レイルは使わない判断をしたが、これが裏目に出たと思った。気を紛らわすためにミスタ・ニーマントと話をしながら進んだが、彼とて話し相手にはなるものの、自分の事、ジュモー嬢やユキ嬢の事、そしてこの地の事については知らないも同然であり、逆に哲学的な問答には嬉々として乗ってくる始末で、気を紛らわすにはもってこいではあったが有意義な会話とは言えなかった。

 やがて日が落ちる頃合いになり、もう少しこのまま進むか、このあたりで野営地を探すかの選択を迫られた。私は、逃亡者としての心理で、少しでも先に進みたい気持ちがあったが、そうする事で遭難しては元も子もないのも承知していた。

 そんな私の目の前に、そのロッジは現れたのだった。

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