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 その光景は、あまりに異様だったので、非常に良く覚えている。

 血だまりにうつぶす熊は既に事切れており、三人がかりで苦労して仰向けにすると、心臓付近を何かで貫かれている事が判明し、おそらくはこれが致命傷で、ほぼ即死であったのだろうと思われた。まだ暖かいので、先ほどの声の主はこの熊で間違いは無さそうであった。

 少女達は、一人は後に『ジュモー・タンカ』という名が知れる金髪の白人であり、もう一人、『ユキ・ターキー』と後に名乗った一人は黒髪の東洋人であった。二人ともローティーンと思われ、この時点で、このような深夜にこんな人里離れた荒野に人種の違う少女が二人で居る時点で不審なのだが、その衣服も、明らかにこの季節のこの土地には不似合いなものであり、ジュモー嬢はワンピースの上にロングコートを、ユキ嬢はツーピースの服を着ているだけで、防寒という観点がまったく抜けている服装であった。

 加えて、二人の服に、私は強い違和感と興味を覚えた。何故なら、ジュモー嬢のコートとブーツは欧州戦線で見た帝政ドイツ軍のそれによく似ており、あろう事か、腰につけた怖ろしく長い銃剣バヨネットもまた、旧式の帝政ドイツのそれであり、後ほど確かめたところでは、まさしく私の持つ、先の大戦での戦利品であるGew71、帝政ドイツでも旧式の単発ライフル用の銃剣バヨネットであった。また、ユキ嬢の服は海軍の水兵の着るそれのようであるが、大変に縫製のよいものであって、ファッションとして婦女子にこのような服装が好まれ、また一部女学校で制服として採用されていることは知識として知ってはいたが、実際に目にしたのは寡聞にして初めてであった。

 つまるところ、ジュモー嬢は帝政ドイツの軍人にゆかりの深い少女であり、ユキ嬢は東洋人であるがいずれ名の通った女学校の生徒か、あるいはそれなりにファッションに金を使える程度の両家の子女である、そしてどちらも、軍あるいはそれに類する組織に非常に近しい、それが私の第一印象であった。

 そして、その二人を繋ぐ線が全く見えない、というのが、この時感じた大きな違和感の一つでもあった。

 違和感の理由は他にもあり、まず、何故彼女たちがここにいるかという事が最大の疑問点だが、それに関連し、彼女たちの足跡が残されていないというのがまず最初に指摘された。この付近には熊の足跡以外がない、という事に最初に気付いたのはウチャック君であったが、同時に彼は、足跡はないがおかしな痕跡がある事も指摘した。彼が言うにはそれは彼女たちが空から降ってきて着地した痕だと主張し、その時は一笑に付したが、今思えば、彼の主張が正鵠を射ていたのかもしれない。

 それから、特にオースチン君が訝しんでいたのが、一体何をどうやって熊を一撃で屠ったのかという事だった。熊に残された痕跡から、大口径の銃器が真っ先に想定されたが、現場にそのようなものは無く、傷口にも弾丸の痕跡はなく、また傷は貫通もしていなかった。何より、最初の爆音以降に銃声は誰も聞いていなかった。槍や刀剣の類いも考えられたが、それらも現場では発見されず、たとえあったとしても、この少女達がそれを用いて、熊に肉迫して急所を一撃した、というのはもっとも考えづらい事でもあった。

 いずれにしても分からないことだらけだったから、とにかく少女達が凍えてしまう前にキャンプに連れ帰り、暖めて、彼女たちの目が覚めてから事情を聞こう、我々がそう決断するまでに時間は要さなかった。


 翌朝、彼女たちが目を醒ましたのは、我々が朝食を摂り、この日の行動計画の確認をしている時だった。

 彼女たちによれば、ジュモー嬢は自分の家で母親の小物を悪戯していて、気が付いたらここに居た、ユキ嬢はそのジュモー嬢が空中に出現し、落下するのを受け止めた以降の記憶が無く、やはり気が付いたらここに居た、そういう事だという。つまり、彼女たちは、彼女たちが本来居るべき場所からここへ、自らの意思と関係なく移動した、そういう意味のことを告白した。

 にわかには信じられない事であり、またこれは、ウチャック君が昨夜以降抱いている疑惑を晴らすものでもなかった。その疑惑とは、この地域のネイティブに伝わる以下の伝承による。

 この地には『イタクァ』と呼ばれる悪魔的な何かが居る。気まぐれに人をさらい、高所から落としてゆく。落とされた者は死ぬか、死ななくても長生きは出来ない。長生き出来ないのは、攫われた者は体がおかしくなっているからであり、どうやら寒いところでないと死んでしまうらしい。また、今ではほとんど廃れているが、『イタクァ』を崇める者もかつては存在した。

 この伝承が見られる地域と、我々の調査対象である『ウェンディゴ症候群』の発生地域がおおむね重複している事は、調査の初期段階で私も気付いていた。一説によれば『イタクァ』と『ウェンディゴ』は同一のものを示すとも、『イタクァ』に仕える者が『ウェンディゴ』だともされるらしいが、いずれもネイティブアメリカンの口伝による伝承であり、信憑性には疑問がある。私は、この時は、そう考えていた。


 いずれにしても、彼女たち自身が、自分達がここに居る理由を説明出来ないことは明白であり、あるいは何かを隠していたのかも知れないが、だったとしてもそれを聞き出すのはこの状況では至難の業であったろうし、隠しているようには見えなかったこともあり、その件は我々の調査とはあまり関係がなかろう、とりあえずはそう仮に結論し、我々は調査を続ける事にした。過去二回の計測から光源の位置はほぼ特定出来ており、その場所にたどり着くのもさほど困難ではない、そうガイド役の二人から意見を得ていたので、私は調査続行を提案、二人の少女にはキャンプで待機してもらい、調査が一段落した時点で最寄りの都市、この場合はダルース=スペリオルであるが、そこに連れて行って然るべき機関に保護をお願いする、そういう事で全員の意見の一致を見た。

 キャンプに残す彼女らに、万一の護身用にと私の予備の拳銃とライフルを渡したところ、ユキ嬢は非常に慣れた様子でそれらを扱ったのには少々驚いたが、それは彼女の父の教えだという。日本人だという彼女は、制服の件もあり、非常に洗練された教育を受けており、また彼女の父母も同様に文化的で、かつ軍事的にも教練を受けているようであり、シナとロシアを打ち破った日本という東洋の小国が侮りがたいという軍上層部の評価に、私はこの時に確信を持った。

 ジュモー嬢も教育という点では非常に洗練されており、ややおてんば・・・・に過ぎるきらいはあるが、彼女が帝政ドイツから変わったワイマール共和国の出身だとして(彼女は出自をあまり語ろうとしなかった)、私が聞いている共和国のかつての財政的困窮と、現在の政治的安定性や国際的地位の向上から見て、やはりそれなりの家庭の子女であろう事は間違いないと確信したものであり、如何にしてこの二人が接点を持ち、この場に現れたのかは、今回の調査とは別に非常に興味を覚えた。


 この日の調査は順調に進み、目的とするラズベリーポイントの海岸にそれらしき洞窟があるのが発見された。海岸の浸食あるいは風化による崩落によって出現したらしいその洞窟は、かなり過去に一度人為的に塞がれた痕跡があり、その時期は考古学者の調査に任せるしかないが、いくつかのシンボル的なものが発見されたため、いずれにしろここにそれなりの文化を持った集団がいたであろう事は確実と思われた。

 また、非常に理解に苦しむのだが、この洞窟の入り口付近に何者かがある程度の期間潜伏、あるいは居住していた痕跡があった。どうやらそれは『ウェンディゴ症候群』の患者であり、それもどうやら相当に重症、つまり、火を通さずに生肉を囓ることを厭わないような者であろうと思われた。

 この日は洞窟調査をする装備を用意しておらず、さすがに時間も夕暮れが迫っていたため、調査を打ち切ってキャンプに戻り、本格的な洞窟調査は翌日以降とすることにした。

 その夜、翌日の調査に少女達も同行したいと提案があり、討議の上これを認める事になった。この決定が結果的に正しかったことについて、これから述べる。

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