202
「ねえ……ユキ」
テントの中で、仰向けに寝床に横になって天井を、ティピの円錐の頂点、煙抜きの天井穴を見つめながら、ユモは隣に横になっているユキに話しかける。
「どう思う?」
「どうって……何が?」
若干眠そうなユキの声が、答える。
「何がって、鈍いわね!さっきのあの人達の話よ!」
掛け毛布を弾き飛ばす勢いでユモは上半身を起こし、声をひそめつつも語気鋭くユキに迫る。
「だから、どうって言われてもさ……」
テントの天幕側で、天幕に向いて横になっていたユキが寝返りを打ち、仰向けになる。
「……信じて頼るしか、ないんじゃない?」
「……」
ユモは、返す言葉を探すが、見つからない。
「……信用、出来ない?」
「そうじゃないけど……」
「おじさん達はおじさん達の事情で動いてる、そもそも、あたし達の世話を焼く理由も必要もない。こうやって、寝床を用意してくれるだけ、有り難いと思わなきゃ」
仰向けのユキは、視線だけをユモに向ける。
「そりゃ、思ってるわ。思ってるけど」
「じゃあ、そういう事よ。あたし達は、おじさん達に隠し事をしている。だったら、おじさん達があたし達に言えない事があったって責められない。だって、あたし達自身、互いに隠し事をしている。互いの、本当の名前とか、ね」
およそ魔法使い、陰陽師、祈祷師に降霊術師、そういったものを生業とする者は、己の名前を相手の術に組み入れられ、術を破られることを嫌い、真の名を明かすことを嫌う。ユモにとっては常識だが、一般人にとってはそうではないその事を、ユキも知っているという認識は、ユモには欠け落ちていた。
ユモは、無意識に、横になるために緩めた胸元の下のペンダントを抑える。
「あんた、じゃあ!あんたも!」
横目でユモを見るユキは、笑う。
「アレは渾名。友達はあたしの事、ユキとかタッキーとかターキーって呼ぶから。あたしにとっては本名と同じよ」
「……あんた、あたしが考えてた以上に、魔術の流儀に詳しそうね?誰に教わったの?」
寝床に四つん這いになってユキに這い寄りながら、ユモは尋ねる。
「……お婆ちゃんと、叔母さん。ママもあたしも、そっち方面はからっきしだから」
言いながら、ユキは両手を前に、天井に向けて伸ばす。何かを両手で握るような仕草。
――そう、あたしもママも、こっちばっかり――
中段の構え。ユキには、そこにはないはずの木刀が、はっきりとイメージ出来る。
「……え?」
ほんの一瞬。ユモは目の錯覚だと思った。ユキの伸ばした両手が、細く、薄く鈍色に光るわずかに反った棒を握っている、ように見えた。瞬きすると、それは消える。だが、ユモは感じた。確かにその瞬間、感じたことのない
だから。その
「あんた……今」
「シッ!」
声をかけようと、
何よ、そう言い返そうとしたユモは、しかし、その言葉が口から出る前に、ユキの動きの理由を知る。
どこからか、調子外れの不協和音が、ほんの微かに、しかし確かに、響いてきていた。
「……これ……あっ!」
ユモが、音に集中しようと顔を上げた時。ユキは、脱兎の如くに点を飛び出した。
「待ちなさいよ!」
遅れて、ユモもテントを飛び出そうとするが、スニーカーのユキに比べると、ロングブーツのユモは履くのに手間がかかる。
やっとの思いでブーツを履いたユモは、焚き火の周りで、虚空を見上げて耳を澄ます大人三人とユキを見る。
「……やはり、あそこだ」
スティーブは、ブランデーを落としたコーヒーの残るマグカップで、その方角を示す。
「あっ……」
スティーブの示す方角を見ていたユキが、小さく声をあげる。その声がきっかけであったかのように、森と呼ぶには少々寂しい木々の向こうが、ほのかに明るくなる。
「……夕べも、こんな感じで音が聞こえたんだ」
音の方を、光の方を見つめながら、スティーブが話す。その音は、確かに木管楽器のようでもあり、小鳥の声のようでもあり、しかし、音楽性という意味では何一つ調和のない、でたらめなリズムと音程の羅列に過ぎないと、ユモは感じた。
「時間も、ちょうど今くらいだった。そしてその途中で」
ぱん。スティーブは、マグカップを横に置いて、手を叩く。
「後ろで爆発みたいな音がして、突風が吹いて、それで終わり」
隙を突かれて目をまん丸にしたユモとユキに笑いかけながら、スティーブは言う。
「爆音に驚いたのか何なのか、あの音はそれっきりしなかった。何が何だか分からなくて、僕たちが顔を見合わせていたところで、熊の声がして、その後は話したとおりさ」
「……あたし達が出てきた音で、アレが停まった、って事?」
ユモが、慎重に、聞く。スティーブは、頷いて、
「事実だけなら、その通りだね」
「疑わしいのは確かですが、関係があるとも言い切れません」
オーガストが、ユモを見ながら、スティーブの後を引き継ぐ。
「患者の言によれば、あの音や発光は以前から見られたという事になります。あなた方が現れたのは夕べだけだとすると、関連は薄い、偶然だと思う方がむしろ正しいでしょう……勿論、なんらかの条件が整ったのが夕べだった、という可能性もありますが」
「可能性の話を並べても意味は無い」
オーガストの話を、チャックが遮る。
「可能性だけなら、いくらでも並べられる。必要なのは、事実だ」
「その通りです」
話を遮られたオーガストは、しかし、気を悪くするでもなく、チャックの言葉に頷く。
「その意味で、私は今、新しい興味を感じています。ジュモーさん、あなたのそのペンダントに、です」
「え?あ!」
ジュモーは、驚き、そして、しまったという顔をする。就寝するつもりだったから、服の胸元を緩めていた。だから、服の中に入れていた、見せないようにしていた水晶玉と
ほのかに、ほんのわずかに、自ら発光している、水晶玉が。
ユモは、反射的に、その光る水晶玉を右手で握る。そのユモを見ながら、オーガストが続ける。
「私の知る限り、そのように光る夜光塗料はまだ開発されていないし、そもそも塗料が塗られているようには見えない。例えるなら、あの」
オーガストは、ちらりと視線を森の向こうの発光に向けてから、
「光と同様、私には正体不明の発光現象と思えます。その意味で、この両者の関係を、私は知りたいと思ってます」
何か言ってあげたいが、ユキに言える事は何も無い。むしろ、オーガストにああ言われてしまうと、ユキも初めて見たその光る玉は、何か森の向こうの発光と関係があるのではと思えてしまう。
「か、関係なんてないわ!これは!これは……」
ユモは、逡巡する。言って良いのか、ダメなのか。どこまでなら言って良いのか、何も言ってはいけないのか、その見極めがつけられない。
「私は、責めているのではありません。ただ、事実を知りたいだけです」
オーガストが、優しく言う。その顔は、一点の曇りもない、笑顔。純粋な知的好奇心だけのその笑顔に、しかし、ユモは、何か怖ろしいものを感じる。
感じるが、しかし。ユモは、腹をくくる。ごまかしても、ごまかしきれない、怪しまれるだけ。なら。
「……あたしも、よく分からない」
水晶玉を握る指の力を緩め、その手を見つめていた視線を上げて、ユモは告白する。
「これは灯りの魔法を封じ込めた水晶球、ただそれだけのもの、のはずよ」
「魔法?ですか?」
聞き返すオーガストに頷きつつ、三つのペンダントを交互に示しながら、ユモは告白を続ける。
「これは、魔力を封じてあるだけのもの。そして、これは……」
三つ目の、黒い
「……わからない。誰が、何の為に作ったのか。でも、きっとこれが原因。あたしが、
「ジュモー!」
ユキは、ユモが何を言おうとしているかを察し、声をあげる。そのユキをちらりと見て、小さく微笑んで、ユモは続ける。
「あたしは、メーリング村の雑貨屋『
「ヘキセンハウゼン?」
スティーブが、聞き返す。
「ドイツ語です、英語だと『
「ああ……」
学のあるオーガストに言われ、スティーブは納得する。
そのやりとりを他所に、ちらりと、ユモは黒い
「ただのお店の名前よ。
ユモは、身を乗り出す。男達は、その圧に押され、ほんのわずかに身を引く。
「明日、あたしも連れてって!」
そう言い出すと思っていたのだろう、スティーブはやれやれといった顔で、肩をすくめ、チャックを、そしてオーガストを見る。
「これが原因だとして、ここに来たのは理由があるはずよ。だったら、あの音や光が関係していると思うのが順当だわ!そして、あたしなら、誰よりも確かに、原因を見極められる。少なくとも、何が怪しいかは分かるわ」
「しかし、あなたはそれを見抜けず、ここに飛ばされた。違いますか?」
一息吸い込んだ紫煙を吐き出してから、オーガストが反論する。
「……そうよ。だから、あたしは学んだの。手に余るものには、触れてはいけないって。きっと
言い返しながら、強い力のこもった目で、ユモはオーガストを見つめる。オーガストが視線を外してパイプの灰を焚き火に落とすと、その視線を今度はスティーブに向ける。
「……あたしは、なんとしても帰りたいの。失敗はしたくないけど、帰れるチャンスを見逃したくもない。だから……」
「置いていっても、自力でついてきそうな勢いだ。女の子ってのはこれだから……どうする?チャック?」
コーヒーで割ったブランデーをあおってから、スティーブはチャックに尋ねる。一息、鼻でため息をついてから、チャックは、
「……テントを空ける事になる。あるいは、そっちの子供を一人で残すか。どちらも、勧められる事ではない」
表情を変えずに言い切り、コーヒーをあおる。
「そうだよなあ。俺としては、帰ってきた時に暖かくて旨い夕飯が出来ているとすごく助かるんだけど、君はどうしたい?」
スティーブは、話の矛先をユキに振る。突然振られたユキは、
「あたしですか?……あたしは、そっち方面はからっきしで、正直今でも何が何だかさっぱり分かってないですけど、約束したんです、ジュモーに。護ってあげるって。だから、ジュモーが行くんなら、あたしはついて行きます」
「護る?君が?」
スティーブは、ユキに聞き返す。
「はい。こう見えてもあたし、剣道初段に銃剣道は二段、ちょっとしたもんですよ?」
「ケンドー?ジューケンドー?」
重ねて聞き返したスティーブに、ユキは、手頃な
「バヨネット・ファイトですね。最初のは、サムライ・ソードアクションですか?」
二服目を嗜みながら、オーガストが評する。薪雑把を左腰に手挟んで一礼したユキが、微笑んで頷く。
「なるほど、これは立派なボディガードだ。そうしたら、あとは問題は二つ、テントをどうするかと、馬はあるけど鞍はないのをどうするか、だ」
スティーブが言った、その時。フルートに似た音に混じって、違う音が、声が聞こえてきた。それは、獣の声であるようでもあり、しかし、獣を真似て人が吠えているようでもあり、だが、人であったとして、それは誰も聞いた事のない、どこの国の言葉にも似ていない、それでいて、明らかに何らかの意味を持つ音の連なり、未知の言語による叫び、雄叫び、あるいは詠唱であるとしか感じられないものだった。
――ええ・や・や・や・やはああ……んぐふああああ……――
心の奥底を氷の手で握るような、脳髄の奥にガラスを爪で掻く音を刻み込むような、そんな不快感を覚えながら、ユモは、光る森の方を見つめて、言う。
「問題、二つじゃ済みそうにないわね……」
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