第94話 それだけだとダメだと思うの
「あ、愛乃さん!?」
透は慌てて飛び起きる。知香もうろたえた様子で身体を起こすと、胸を手で隠す。
「これは違うの! つ、つまり……」
知香が言い訳をしようとするが、何も思いつかなかったらしい。
どこからどう見ても、透が知香を押し倒して、「そういうこと」をしようとしていたようにしか見えないだろう。
もちろん、知香が体育倉庫に透を連れ込んだことも愛乃はわかっているだろうし、知香が誘惑したと理解していると思う。
けれど、愛乃はふふっと笑った。
「そんな顔しないで。最初から扉の前で話を聞いてたから、事情はわかってるの」
「ぬ、盗み聞きしてたの!?」
「気になっちゃったの。ごめんね? でも、知香さんだって、抜け駆けしようとしていたよね」
愛乃がジト目で言う。知香はうっと言葉に詰まり、「そ、そうだけど……」と言う。
たしかに透も知香も愛乃のことを責められない。
婚約者が恋敵と二人きりで体育倉庫に入ったら気になって当然だ。
愛乃は怒っている様子はない。それどころか、なぜかとてもご機嫌だった。
「透くん、少し二人でお話したいことがあるの。いい?」
「もちろん。というか俺も話さないといけないと思ってた」
「良かった」
そして、愛乃は知香をちらりと見る。
知香も愛乃を見返した。
「わ、私は……?」
「透くんと二人で話す必要があるの。知香さんを助ける方法をね」
「そうなの……?」
「安心して。知香さんみたいに、透くんに子作りを迫ったりしないから」
からかうように愛乃が言う。知香がかああっと顔を赤くした。
「人を変態みたいに言わないで!」
「違うの?」
「そ、それは……」
「わたしも透くんにエッチなことをしてもらいたいから、同じだね」
愛乃が優しく言う。
本当に愛乃は怒っていないのだろうか?
それに「知香を助ける方法」とはいったい何だろう?
ともかく透と愛乃は体育倉庫を出た。知香は服を直していくから、後で出るという。
愛乃は透を上目遣いに見て、はにかんだように笑う。
「ね、学校の中を散歩しよう」
「ますます噂になっちゃいそうだね」
「ダメ?」
「ダメなわけないよ」
クラスのみんなの前でも婚約者だと宣言してしまったのだから、いまさらだ。
それに、透にとって愛乃が婚約者なのは、恥ずかしいことではなくて、誇るべきことなのだから。
透と愛乃はとりあえず屋上を目指して校舎へと歩くことにした。
歩きはじめると、すぐに愛乃が「えいっ」と透と腕を組んだ。
透はちょっとびっくりした。以前だったら、うろたえて顔を真赤にしていたと思う。
でも、今は違う。
透は愛乃の腕に自分の腕を絡めた。
愛乃は目を見開き、そして、とても嬉しそうに笑う。
「どうしたの? 普段なら恥ずかしがるのに」
「俺も愛乃さんにしてあげられることは、したいなって思ったんだよ」
透は愛乃からたくさんのものをもらっている。見失った自分を愛乃のおかげで見つけることができた。
自分を認めて上げることができるようになった。
だから、透も愛乃のためにできることはしたい。
愛乃は微笑む。
「そっか。ありがとう」
二人はそのまましばらく無言で歩いた。
校庭で部活中の生徒が、廊下でおしゃべりしている女子が、周りの生徒みんなが透と愛乃を見つめてくる。
なんといっても愛乃は学校一可愛い少女で、金髪碧眼だしとても目立つ。
明日には透と愛乃が付き合っているという話は、全校生徒の知るところになっているかもしれない。
やがて校舎に戻って階段を登ると、屋上へと到着する。
爽やかな風が吹き抜ける。
この学校では、屋上は放課後に彼氏彼女がいちゃつく定番の場所になっている。」
他にもいるのはカップルばかりだ。三年の有名な美男美女カップルなんかもいた。
景色も悪くない。ただし、近くにあるのは尾張藩主の菩提寺だったという巨大なお寺だったりする。
透と愛乃は自然と腕を離すと、柵の近くまで行く。
そして、愛乃はくるりとこちらを振り向いた。スカートの裾が軽く揺れる。
そのサファイアのような青い瞳が透をまっすぐに見つめる。
「透くんは、知香さんのお願いを断ったんだね」
「そうだよ。聞いていたならわかると思うけど……うなずくわけにはいかなかったから」
子作りすることで婚約破棄を成立させる、という知香の頼みを透は受け入れなかった。
それは目の前にいる愛乃のためだ。
愛乃はこくんとうなずく。
「わたし、とっても嬉しかった。透くんがわたしを一番大事にしてくれているってわかったから」
言葉にされると恥ずかしいものがある。愛乃も照れた様子だった。
でも、と愛乃は続ける。
「それだけだとダメだと思うの」
「どういうこと?」
愛乃の言いたいことがわからない。
このままでは知香は救われない。それがダメだということだろうか?
透が尋ねると、愛乃は首を横に振った。
「半分正解だけど、半分違うの。もちろん、知香さんのことは心配だよ。わたし、知香さんのこと、友達として好きだもの。でも……一番心配なのは透くんのことなの」
「俺?」
「そう。わたしの二番目の望みは、透くんを独り占めして、ずっと一緒にいること。でも一番の望みは違うから」
愛乃の一番の望み。それはなんだろう?
学校で楽しく生活すること。親の会社が存続すること。美味しいご飯を食べること。いろいろあるとは思うけれど、それが一番だとは思えない。
愛乃は透の内心を見透かしたように、一歩透に近づく。
そして、ささやいた。
「透くんが幸せであることだよ」
その言葉に透は驚き、心臓が跳ねるのを感じた。・
透が愛乃を見つめ返すと、愛乃は「えへへ」と笑った。
「わたしは透くんのそばにいたい。でも、わたしの大好きな人が幸福でいてくれないと意味がないから」
<あとがき>
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