第73話 二人きりだ!

 背後から視線を感じ、慌てて振り返ると、愛乃と知香がじーっと透を見つめている。


「な、なに?」


 愛乃と知香が顔を見合わせる。


「透くんが他の女の子の見た目を褒めているの、羨ましいなあと思ったの」


「透ってそういうふうにいつも女の子を口説いているわけ?」


 口々に言われ、透は肩をすくめた。


「口説いたりしていないよ。俺のことを好きでいてくれるのなんて、桜井さんぐらいだろうし」


「それは違うよ、透くん」


 愛乃に言われ、透はびっくりする。愛乃は青い瞳を輝かせた。


「だって、わたしたち二人も透くんのことを好きだもの。ね?」


 同意を求められて、知香は顔を赤くしてうなずいた。

 そして、ごまかすように口を開く。


「そ、それにしても、あの子って、努力家で偉いわよね。透が好きだから、私のことも倒そうとしているんでしょう」


「そういうわけじゃなくて、純粋な対抗心だと思うけど」


「最初はそうだったかもね。でも、途中からは透のためっていうのがバレバレ。だって、会うたびにあの子、透のことを話題に出していたから」


「そ、そうなの?」


「そうそう。モテる男っていいご身分ね」


 知香がジト目で言う。

 すると、愛乃が横からふふっと笑う。


「でも、知香さんも放っておいたら、桜井さんに負けちゃうところだったんじゃない?」


「ま、まあちょっとは焦ったけどね。あの子、可愛いし……」


「知香さんが素直になれたのは、わたしのおかげだよねー」


「恩着せがましい言い方ね。でも、事実だから、感謝はしているわ」


 知香は微笑む。

 明日夏は反発したけれど、この透・愛乃・知香の三人のあいだでは微妙な均衡が成り立っている。


 透と愛乃は婚約者同士、透と知香は幼馴染で元婚約者、そして愛乃と知香は友人で恋敵。

 そして、三人でのデーティングと同居生活を受け入れている。


「さて、と気を取り直して、次はどこへ行こうかしら?」


 知香はご機嫌な様子だった。


「知香さんも楽しんでくれているみたいで嬉しいな」


「と、透がいるからね」


「えー、わたしは?」


「愛乃さんも……一緒にいて楽しいけれど」


 知香は顔を真っ赤にしていた。学校では猫を被っているせいか、こうやってストレートに自分の気持ちを伝えるのが、知香は意外と苦手らしい。


「わたしも透くんと知香さんと遊ぶの楽しいの。わたし、あまり友達いなかったし」


 ふふっと愛乃は笑う。友達が少なかったのは透も同じだ。

 だから、透と一緒にいることが、愛乃の時間を少しでも楽しくできているなら嬉しいな、と思う。


「ね、透くん、知香さん。そろそろお昼を食べても良い頃かも」


「あ、それなら私、美味しいあんかけスパの店を知っているの!」


「知香さんってあんかけスパ食べるの? ちょっと意外……」


「わ、悪い? 名古屋名物なんだし、いいでしょ」


「わたしも実は好きなんだけどね」


「もうっ。からかわないでよ」


 知香が愛乃のこめかみをこぶしでぐりぐちとする。愛乃が「痛ーい」なんてわざとらしい声を上げるけど、顔は笑っているし、じゃれ合いみたいなものだろう。


 本当に仲良くなってしまって、透がアウェイに感じるぐらいだ。

 そんな透に愛乃が「知香さんと仲良くなれたのも、透くんのおかげだよね」なんてささやく。

 くすっと知香も笑う。


「さあ、三人で思い切り遊びましょう!」


 えいやっと知香が拳を突き上げる。愛乃が「おー」とそれに応じた。


 もともと病弱で、近衛家令嬢として節度ある振る舞いを求められていた。学校でも猫をかぶっていたわけだし。


 それが思わぬ形で外泊することになって、しかも幼馴染と気の合う友達もできて、羽を伸ばせて楽しいのだろう。

 知香はふふっと笑う。


「まあ、いつかは透を私のものに取り戻すわけだけれど……今、この瞬間は三人が楽しいなって思うの」


「知香が楽しいって思ってくれているなら安心したよ」


 かつて透は知香を傷つけてしまった。どんな理由があっても、それは事実だ。

 でも、今の知香が透と一緒にいて楽しいと思ってくれるなら、少しだけ救われる。


 たとえそれが束の間の安らぎであっても。


 そのとき、知香のスマホの着信音がなった。例によってアニソンである。

 知香が恥ずかしそうに透を見る。


「こ、これは私の趣味とかじゃなくて……!」


「『アイリス・アイリア』、面白いよね」


 透が人気の百合アニメのタイトルを挙げると、知香は「透も見てたんだ……」とちょっと嬉しそうにする。

 そして、慌てて電話を取った。

 

 急に知香の顔が暗くなる。


「はい、わかりました。でも……っ!」


 会話の内容はわからないが、おそらく近衛家の関係者からの電話のような気がした。

 実際、知香は浮かない表情で透たちに「家から呼び出しを受けちゃった」と告げた。


 愛乃が心配そうにする。


「大丈夫?」


 知香はにっこりと笑う。


「平気、平気。すぐに戻ってくるから。心配しないで。でも、今から屋敷に一度帰らないといけないの」


「残念……」


「まあ、三人で暮らしていれば、またいつでも遊びには行けるし。それより……透も愛乃さんも、二人きりだからって羽目を外さないでよね?」


「そこはわたしに任せて!」


 愛乃がえへんと大きな胸を張る。が、知香はまったく信用していなさそうに「二人でデートさせるなんて……抜け駆けされたらどうしよう」とつぶやいていた。


 ともかく、知香は「また後でね」と言って、名残惜しそうに地下鉄の駅の方へと立ち去った。

 知香が階段を降りて行って見えなくなった途端、愛乃がぎゅっと透に抱きついた。


 大きな胸を押し当てられ、透は動転する。


「あ、愛乃さん!?」


「三人も楽しいけど、透くんと二人きりでイチャイチャもしたかったの」


「は、羽目を外さないって言ってなかった?」


「このぐらい婚約者なんだから羽目を外したうちには入らないよ?」


 愛乃はふふっと笑って、自分の胸の大きさを強調するように透に胸をこすりつけた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る