第72話


「さ、桜井さん!?」


 透はあまりのことにうろたえた。

 名古屋は人口の多い大都市だけれど、コンパクトで便利な街でもある。


 だいたい繁華街は名古屋駅か栄に集中するし、地下鉄に乗っていればばったり知り合いに会うことも珍しくない。


 なので、明日夏と会ったのも起こりうるといえば起こりうる事態なのだけれど。


 明日夏はちょっと慌てた様子で、「連城に私服姿を見られるの、初めてかも……」なんてつぶやいている。


 あまりにも状況が良くない。

 透は愛乃と知香の二人とカラオケで遊んできて、そこから出てきたところ。


 明日夏にとって、知香はライバルだし、愛乃は恋敵。そして、明日夏は透のことを好きらしい。

 とはいえ、愛乃も知香も動揺した様子はなかった。


 焦った表情なのは、明日夏だけだ。


「どういうこと? 女子二人と遊んでいるなんて、いいご身分だよね」


 明日夏は早口で言い、愛乃と知香を見比べる。

 何をやっても二番、の明日夏は知香の打倒を目標にしていた。


 それを透は応援していた。けれど。

 知香は完璧美少女の笑みを浮かべる。学校で猫をかぶっているときの顔だ。

 

「あら、桜井さん。なにかご用かしら?」


「なんであんたが連城と一緒にいるわけ?」


「幼馴染だから、一緒に遊んでいたの。それに一緒にも住んでいるし」


 そう言って、知香はわざとらしく透に身を寄せる。明日夏を挑発しようとしているのかもしれない。


「一緒に住んでいるって、もしかして連城とリュティさんと三人で?」


「そうね。おかしい?」


「おかしいでしょ!? そんなの絶対おかしい。それに、なんで連城と仲良さそうにしているわけ!? 幼馴染のくせに、これまで連城に冷たくしてきたくせに!」


 明日夏が詰め寄ると、知香の顔から笑みが消える。

 真顔になった知香は、とても怖かった。


「そういうあなたこそ何も事情を知らないくせに」


「事情があれば、幼馴染に冷たくしてもいいわけ? 違うでしょ」


 明日夏の言葉に知香はぐっと詰まる。

 もちろん、明日夏は知香が誘拐された事件のことを知らないし、近衛家の特殊性も知るはずもない。

 

 だから、明日夏の目から見れば、スクールカースト上位の知香が、目立たない透を一方的に冷たくしたように見えるのだとは思う。


 とはいえ、それは事実とは異なるわけで。


「さ、桜井さん。そのへんで……」


 透が止めようとすると、明日夏はきっと透を睨んだ。


「連城も近衛知香をかばうわけ?」


「知香が悪いわけじゃないんだよ」


「名前で呼ぶんだ……」


 しまった。つい、名前で知香を呼んでしまった。

 明日夏の目には涙がたまっていた。


「連城の一番近くにいたのはあたしなのに。あたしがずっと前から連城のことを好きだったのに!」


「桜井さんが俺のことをそんなふうに思ってくれているなんて知らなかったんだよ。桜井さんは人気者で、勉強もスポーツもなんでもできて、しかもすごく美人で……そんな子が俺のことを好きだなんて思わなかったんだ」


「気づいてくれてもよかったのに。連城の鈍感……」


「桜井さんが俺のことを……好きだって言ってくれるのはすごく嬉しいよ。友達として桜井さんのことを尊敬してたから。でも……」


 今の透には、明日夏の想いを受け入れることはできない。

 透には愛乃がいるから。そのことをはっきり告げるべきだと透は思った。それが筋を通すということで、明日夏の想いに誠実に向き合う唯一の方法だ。


 でも、明日夏は首を横に振って、透の言葉をさえぎった。


「ダメ。続きを言わないで」


「俺は言わないといけないと思ってる」


「あたしはそんな言葉、聞きたくない。なんであたしはいつも一番になれないの? みんなあたしを一番だと思ってくれない。大事なものはみんな他人が持っていく。連城だけは違うと思っていたのに」


 そう言って、明日夏は今にも泣き出しそうだった。

 なんて言葉をかければいいか、透にはわからなかった。


 そこに愛乃が口をはさむ。


「ねえ、桜井さん。桜井さんさえ良ければ、提案があるの」

 

「提案……?」


 明日夏も透も知香も一斉に愛乃を振り向いた。注目されて愛乃はどぎまぎした様子で、たどたどしく話し始める。


 それは知香にしたデーティングの話と同じだった。


「桜井さんも、参加しない? つまり、透くんを正々堂々と争うの」


「な、なんであたしがそんな争いに参加しないといけないの?」


「わたしも桜井さんも透くんのことが好きなのは変わらないもの。だから、気持ちはすごくよくわかるの。なのに、納得できない結末なんて嫌だよね」


 愛乃がささやく。

 明日夏は提案に一瞬、迷っていたようだった。


 けれど、すぐに首を横に振る。


「そんな提案、あたしは乗らない。だいたい、あたしはあなたたちの家に住むなんて、両親が許してくれないし」


「あ、そっか」


「そうしたら、あたしは不利だし。あんたたちと仲良くするつもりなんてない」


 明日夏は愛乃・知香に対抗心むき出しだった。愛乃も困った様子だった。

 もともと明日夏は負けず嫌いで、だからこそ打倒知香なんて掲げていたわけで。


 このまま引き下がるとは思えない。


「見ていなさい! あたしはきっと連城を振り向かせて見せるんだから」


 明日夏の目にはもう涙は浮かんでいなかった。あるのは強い意志の光だけだ。

 こういう明日夏の強気なところが、透は好きだった。もちろん、友人として。


 明日夏は表情を和らげると、透にぺこりと頭を下げた。


「楽しんでいるところを邪魔して、ごめんなさい」


「謝る必要はないよ。むしろ謝らないといけないのは俺の方な気がする」


「じゃあ、今度、ご飯でも奢ってよ。もちろん、二人きりで」


 明日夏はにやりと笑っていう。そのいたずらっぽい表情が可愛くて、透は見とれてしまった。


「それじゃね、連城。また学校で」


 明日夏はそう言うと、ひらひらと手を振って立ち去ろうとする。

 そんな明日夏の後ろ姿に透は声をかける。


「桜井さん」


「なに?」


「私服、桜井さんらしくて似合ってる」


「褒めてくれているんだよね?」


「もちろん。可愛いなって思った」


 そう言うと、明日夏はふうんと髪の毛先を指でいじり、「ありがと」と嬉しそうにつぶやいて、今度こそ立ち去った。





<あとがき>


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