第21話 愛乃vs知香
近衛知香は、凍えるような冷たい表情で、透と愛乃を黒い瞳で睨んでいた。
知香はすらりとした長身の美人で、だからこそ迫力がある。
透は愛乃の背中に手を回していて、抱き合う寸前という状態だった。
慌てて透は離れようとしたが、愛乃がぎゅっと透の手をつかんで、それを止めた。
「りゅ、リュティさん?」
「近衛さんに見られているからって、遠慮する必要はないよ。わたしたち、婚約者なんだもん」
「で、でも……」
絶対零度まで下がりそうな知香の表情を見て、透は怖くなってきた。
一方で、しがみつく愛乃を振り払うことも、もちろんできない。
知香は透の元婚約者だけれど、もう、透に好意は持っていないし、むしろ嫌っているはずだ。
その知香に遠慮する必要がないのは、愛乃の言う通りだと思う。
ただ、知香が怒っているように見えるのは、なぜだろう?
「私が婚約者だったときは、抱きしめたりはしなかったくせに」
知香は小さな声でつぶやいた。
透はまじまじと知香を見つめ返した。
知香は急に顔を赤くして、透を睨み返す。
「なによ?」
「いや、別に……」
結局、人は他人の心の中のことをはわからない。
透はいつも知香のことを理解できていたとは限らない。
ただ、知香の今の言葉は、透に「抱きしめてほしかった」という意味に聞こえた。
それは愛乃も同じだったようだ。
愛乃は透から離れると、まっすぐに知香に向き合った。そして、青い瞳で知香を見つめる。
「近衛さんは、ヤキモチを焼いているの?」
直球だったので、透はぎょっとして隣の愛乃の表情を見た。愛乃はとても純粋な、けれど真剣な表情で知香を見ていた。
部屋の隅の冬華も楽しそうに眺めている。とりあえず介入するつもりはないらしい。
「私があなたに嫉妬するわけないじゃない」
知香はそう言ったが、その表情には余裕がなかった。知香が焦っているような、不安そうな表情をしているのを、透は久しぶりに見た。
昔の病弱だった頃の知香と違って、今の知香は完璧超人だ。名家の娘で、成績優秀で、誰もが認める美少女。
何も恐れるものはないはずだ。
けれど、今の知香は何かに怯えているようにすら見える。
愛乃は透を見上げ、そして微笑む。
「ハグはまた今度で大丈夫」
「いいの?」
「わたしと連城くんは婚約者だから、いつでもできるから。それに……近衛さんに悪いもの」
愛乃はふふっと笑う。
知香が怒り出すのではないかと心配になったけれど、知香はぐぬぬと悔しそうな表情で黙ってしまった。
けれど、やがて知香がくすりと笑う。少し悪役感のある笑い方だけれど、やっぱり笑うと知香は可愛い
透が思わずどきりとする。
「でも、リュティさんは透と出会ったばかりだものね。一緒のお風呂に入ったりしたことはないんじゃない?」
「あ、あるわけないよ」
愛乃が想像したのか、頬を赤く染める。そして、愛乃がちらりと透を見る。
透も、愛乃の華奢な体を見て、一糸まとわぬ姿で一緒に入浴しているところを、想像してしまい、うろたえる。
知香はそんな二人の様子を見て、ちょっと不機嫌になったようで、けれど、すぐに笑顔に戻った。
「私はこの人と婚約者だっただけじゃなくて、同じ家に住んでいたわ。だから、一緒のお風呂に入ったこともあるの」
まるで切り札のように、知香は言う。
愛乃は愕然とした表情を浮かべ、敗北感に打ちひしがれていた。
(……何の戦いをしているんだろう?)
冷静に考えると、おかしなことになっている。
けれど、愛乃と知香は、完全に互いに対抗心をむき出しにしていた。
愛乃が透に詰め寄る。
「近衛さんと一緒のお風呂に入ったことがあるって本当?」
「あ、あるけど……子どもの頃のことだよ」
「それって何歳のとき?」
透の代わりに知香が口をはさむ。
「最後に一緒に入ったのは、小学六年生のときだっけ?」
「ええと、そうだったね」
透は仕方なくうなずいた。
愛乃はショックを受けたような顔をして、青い瞳を潤ませる。
「それって、もう二人とも十分、男の子と女の子だよね?」
「そうそう。透ったら、私のことをエッチな目で見ていたよね」
知香は楽しそうに、透を振り返る。
自然な形で「透」と名前で呼ばれてどきりとする。
婚約が破棄されてから、知香は透のことをずっと「連城くん」と名字で呼んでいた。
なのに、今は下の名前で呼び捨てにしたのは、無意識なのだろうけれど……。
「べつに近衛さんのことをエッチな目で見たりはしたことはなかったよ」
「嘘つき」
「本当さ」
「本当なら、それはそれで腹が立つかも」
知香は目を細めて、透を睨む。
そんなやり取りをする透と知香を、愛乃は涙目で見つめていた。
愛乃が突然、ぎゅっと透の腕をつかむ。
「や、やっぱり、ここでハグする!」
「え、ええ!?」
「それに、わたしも連城くんと同じ家に住んで一緒にお風呂に入るの!」
それは無理では、と透は言おうとして、愛乃が必死な表情なので、思いとどまった。
知香は「やってやった」という表情で、勝ち誇っている。
だが、すぐ次の瞬間に形勢は逆転した。
それまで黙っていた冬華が、突然口を挟んだのだ。
「いいねー、それ。明日から透くんとリュティさんで、一緒のお風呂に入ったら? 裸の付き合いで、婚約者としての絆も深まるかも」
「「そんなことできるわけないじゃないですか」」
透と知香の声がハモる。そして、互いの顔を見て、恥ずかしくなり目をそらした。
疎遠になっても、ずっと一緒にいた幼馴染だ。だから、考えることは同じで、タイミングもかぶってしまった。
冬華は人差し指を立てて微笑む。
「できるよー。だって、透くんとリュティさんには、明日から一緒の家に同棲してもらう予定だからねー」
まるで当然のことのように、冬華は告げた。
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