第11話 守ってくれる人

「初耳です。どうして俺がリュティさんの婚約者になるんです?」


 近衛家の秘書の時枝冬華は、透が愛乃の婚約者になる予定だと言った。

 青天の霹靂、まさに唐突だ。


 電話越しに冬華は、ふふっと笑う。


「知らなかったんだ? ごめんねー」


「と、当事者の俺たちの意向は一切無視ですか?」


「世の中は理不尽だね。そういうものだよ」


 まるで悪びれず冬華は言う。冬華が決めたわけではないのはわかるけれど。


「俺がリュティさんと結婚すれば、リュティさんの母親の会社は近衛一族のものとなる。そういうことでしょう?」


「そのとおり。いまどき政略結婚なんて流行らないけどね。ご当主様の意向としては、そういうことで間違いないと思うよ」


 近衛本家の屋敷から追い出されたとき、透は知香の婚約者という立場を失った。


 それ以来、近衛本家からは何も期待されていないものだと思ってたけれど、今になって、近衛家は透を利用するつもりになったらしい。


 リュティ家の会社が同族経営なら、そこに近衛家の親族を送り込めば、会社の乗っ取りができることになる。


「俺のことはともかく、リュティさんが気の毒ですよ。こんなふうに第三者の都合で勝手に婚約を決められるなんて……」


「それは透くん次第じゃない?」


「俺次第?」


「透くんがリュティさんの理想の婚約者になってあげればいいんだよう。彼女が透くんのことを大好きで大好きでたまらなくなれば、何の問題もなくなるから」


「そんな無茶な」


「透くんならできると思うけどなー。お姉さんだったら大歓迎」


「からかわないでくださいよ……」


「一応ね、透くんやリュティさんの同意が必要なんだけどね。でも、もう決まったことだから」


 透にも愛乃にも、もちろん冬華にも、近衛本家の決定を変えることはできない。

 とはいえ、本人たちの同意なしに婚約が成立しないはずだ。


 愛乃がそうしようとしたように、透たちが全力で抵抗すれば、話は変わってくるかもしれない。


 たとえば、透以外の近衛家の人間が愛乃の婚約者になっても、会社不都合はない。そうすることも選択肢としては在りうると思う。


「少し考えさせてください」


「どうぞどうぞ」


 冬華は相変わらず軽い調子でそう言うと、「またねー」と電話を切った。


(困ったな……)


 どう愛乃に説明したものか、透は悩んだ。

 ともかく、いったん喫茶店に戻ることにして、地下街から店内に入ると、異変に気づく。


 愛乃は同じ席にちょこんと腰掛けていた。けれど、その周りに二人の若い男が立っている。

 長身の男二人はニヤニヤしながら、なにか愛乃に話しかけている。


(ナンパ……されてるのかな)

 

 愛乃が目立つのは学校の中だけの話はない。

 金髪碧眼の白人の美少女が、ブレザーの制服姿でいれば、当然注目を集める。しかも愛乃は小柄で大人しそうだから、声をかけられやすいのだろう。


 連絡先を教えてくれというようなことを言われて、愛乃は困っているみたいだった。

 うつむいて、ふるふると震えている。


 慌てて透は席に戻った。

 透の姿を見ると、愛乃はぱっと顔を輝かせる。


「透くん!」


 下の名前で呼ばれてどきりとする。愛乃は嬉しそうな笑顔になり、そして、突然自信満々になり、胸を張る。


「わたし、付き合っている人がいますから」


 そうなの?と問いかけようとして、透は気づく。

 愛乃が上目遣いにじーっと透を見つめている。


 つまり、愛乃のいう「付き合っている人」とは透のことで、ナンパの撃退のために彼氏のフリをしてほしいということだろう。


 透は理解して、男二人に笑顔を浮かべた。


「というわけで、俺の彼女なので」


 男二人は顔を見合わせると、「仕方ない」という顔であっさりと去って行った。

 ほっとして愛乃を見ると、愛乃はぎゅっと透の制服の袖をつかんだ。


「リュティさん?」


「……怖かったの」


 そう言って、愛乃は少し潤んだ青い瞳で、透を見つめる。

 自分よりもずっと背の高い男性二人に絡まれていたわけで、きっと怖かっただろうなと透も思う。


「ごめん。こういうことになるとは思わなくて、一人にしてしまって」


「ううん。助けてくれてありがとう、透くん」


 愛乃はそう言ってから、口を抑えて顔を赤くする。もう彼氏彼女のフリをする理由もないので、下の名前で呼ぶ必要はないのだ。


 照れ隠しのように愛乃は早口で言う。


「こういうこと……よくあるの。でも、べつに一人でも平気だし、自分で自分を守ることもできるから」


「本当に?」


 それは強がりではないかと、透は思った。

 愛乃は少しためらってから、そして、とても小さな声で言う。


「……本当はね、わたしを守ってくれる人がいたら、いいなって思うの」


 そして、愛乃は宝石のような瞳で透を見つめた。まるで何かを期待するかのように。

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