第8話 幼馴染:近衛知香

「つまり……わたしたち、似た者同士なんだ」


 愛乃はそう言ったけれど、その発想はなかった。平凡な透と、特別な愛乃が、似ているなんて考えたこともない。


「似た者同士ではないと思うけどな。俺には良いところはないし、リュティさんみたいに特別じゃないよ」


「わたしが特別?」


「知ってる? リュティさんって、女神フレイヤなんて呼ばれているらしいけど」


「そ、そうなの?」


 愛乃はびっくりした表情で、目を丸くした。

 本人の知らないところで使われているあだ名らしい。


「まあ、フレイヤはフィンランドの神様ではないと思うけど」


「えっと、そうだよね。それに……」


 愛乃は、サファイアのような瞳を輝かせ、透をじっと見つめた。


「わたしは女神様なんかじゃなくて、連城くんと同じ普通の人間だよ」


 愛乃はそう言って、楽しそうにくすっと笑った。


 不覚にもその表情にどきっとさせられる。楽しそうな愛乃の表情を見ることは、これまでほとんどなかった。


 でも、教室での愛乃は仮の姿で、透はきっと愛乃のことを何も知らないのだ。

 気がついたら、学食の券売機の前についていた。人はあまり並んでいない。


 くるりと愛乃がこちらを振り向き、金色の髪がふわりと揺れる。そして、手を後ろに組み、上目遣いに透を見た。


「どれを注文する?」


「じゃあ、俺はA定食に……」


「それなら、わたしも同じのを頼もうかな」


 愛乃は微笑みながらそうつぶやき、それから慌てた表情になる。


「べつに連城くんとお揃いにしたいわけじゃないからね?」


「えっと、うん……」


 話の流れからして、明らかに愛乃は透と同じメニューを注文しようとしていたと思う。

 それがどうしてかはわからないけれど。


 思ったよりも、透は自然に振る舞えていた。

 学年で一番か二番かの美少女と一緒だなんて、緊張するかと思っていたけれど、そうでもない。


 それはおそらく愛乃も同じで、普段は一人で無表情なのに、透の前では表情豊かだった。


 セルフサービスなので、食券を買った後、注文した品をカウンターの前で待つことになる。

 その間も、愛乃は楽しそうに、昨日買った本のことを話してくれていた。透も読んでいる本なので、共通の話題もある。


 似た者同士、という愛乃の言葉が、頭の中に蘇った。

 思わず、透は愛乃をじっと見つめた。


 視線に気づいたのか、愛乃は頬を赤く染める。


「な、なにかわたしの顔についてる?」


「いや、そうじゃないよ」


 透は急いで否定した。見とれていたとは、とても口にはできない。

 ころころと表情の変わる愛乃は、普段の印象とは全然違った。


 それは……昔の知香を――幼馴染の近衛知香を思い出させた。知香も、こんなふうに良く笑う女の子だった。


 でも、知香はもう透の隣にいない。ある事件をきっかけに、知香と透の仲は引き裂かれた。

 愛乃に深く関われば、また知香のときと同じように傷つくのではないか。


 透はそれを怖れていた。


(でも……)


 愛乃という存在は、透にとっては抗いがたい魅力があった。平凡で卑屈な透と違って、愛乃は美しく優秀な少女だ。

 その特別さが透にはまぶしかった。

 

 注文した品がトレイに乗って出されたことで、思考は中断された。


 学食の食堂は大きな広間のようになっていて、たくさんのテーブルが並んでいる。

 そのなかのなるべく隅の方に、二人は向かい合って席をとることにする。


 水はセルフサービスなので、透は二人分取ってこようと思った。そのとき、透は向こうからやってくる人影に気づいて、硬直する。


 それは一人の女子生徒だった。

 強い存在感を放っていて、彼女の周りだけ、別の空間になったかのようなオーラすらある。


 艷やかな黒髪を長く伸ばしていて、すらりとした長身の美人だ。

 冷たく感じさせるほど綺麗な顔立ちに、抜群のスタイルの良さを誇る。


 その意思の強そうな黒い瞳が、こちらに向けられたとき、透は身がすくむのを感じた。


 透は彼女のことをよく知っている。そして、彼女は……透がこの世で最も苦手とする人間だった。


「あら、連城くん。女の子と二人なんて珍しいわね」


 その少女――透の幼馴染の近衛知香は、にっこりと笑って、そう言った。

 周りには完璧な笑みに見えただろう。


 けれど、透は……知香の目が笑っていないことに気づいていた。


「そういう近衛さんこそ一人?」


「たまたまね。あなたみたいにいつも一人さびしく生きているわけじゃないの」


「悪かったね」


 透は静かにそう言い返す。

 だが、内心では面倒なことになったと思っていた。こういうときに、一番会いたくない人間に会ってしまった。


 愛乃は、透と知香の顔を見比べる。愛乃にも、知香が透に負の感情を向けているのがわかっただろう。


 知香は愉快そうに、黒い目を細める。

 そして、愛乃を品定めするように見る。


「あなたは……連城くんの彼女さん?」


 愛乃は警戒するように、知香を見つめ返していた。

 知香も愛乃も有名人だ。たぶん、名前と顔が一致する程度には、お互いのことを知っているだろう。


「そうだとしたら?」


 愛乃はそう問い返した。


(ひ、否定してくれればいいのに……)


 もちろん、愛乃は透の彼女ではない。

 それなのに、どうして半ば肯定するかのような返事をしたのか。


 愛乃の考えが、透にはわからなかった。ただ、愛乃の答は、知香を不機嫌にさせるのに十分だったと思う。

 

 知香の端整な顔がかすかに歪んでいる。幼馴染の透にだけわかる感情の変化だ。

 透に恋人がいるとなれば、知香にとっては愉快ではない理由がある。


 知香はにっこりと満面の笑みを浮かべた


「連城くんみたいなダメ人間と付き合うのはお勧めしないわ」


「れ、連城くんのことを悪く言わないで。あなたには……関係のないことでしょう?」


 ラスボスめいた知香の雰囲気に、愛乃は気圧されていたけれど、それでも、知香に言い返す。

 へえ、と知香がつぶやく。


(まずいなあ……)


 透は慌てて知香を止めようとした。学校では秘密にしていることを、知香がバラす可能性がある。

 だが、遅かった。

 知香はいたずらっぽく瞳を輝かせる。


「関係あるわ」


「どうして? ただの幼馴染でしょう?」


「いいえ。だって、私は……連城くんの元婚約者だもの」


 知香は歌うような綺麗なトーンでそう言って、そして愉快そうに笑った。

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