第5話 女神フレイヤ?
明日夏は上機嫌な表情で、透の目を覗き込んだ。
大きな瞳がいたずらっぽく輝く。
「まあ見てなさい。今度の定期試験こそ、あたしが近衛知香を正々堂々とコテンパンにやっつけてみせるんだから! そして、高等部の生徒会長の座はあたしの手に落ちるの!」
「言い方が悪役っぽいね」
「失礼な。悪役は近衛知香、あたしが正義の味方なんだから!」
透は思わずくすっと笑った。
「近衛さんは何も悪いことをしていないよ」
「でも、あの『私は完璧超人でござい』っていう澄ました顔が、悪役っぽくない?」
「ああ、まあ、そうかもね」
知香は中学生になってから、ドライになった。知香は誰に対しても優しいけれど、そういう冷めた態度が、反感を買うこともある。
けれど、幼かった頃は違ったのだ。知香はころころと表情が変わり、いつも楽しそうにしていた。
知香を変えた原因の一つは、透にある。でも、そんなことは、明日夏が知るはずもないことだ。
「それに……」
明日夏は腕を組み、じっと透を見つめる。
「それに?」
透が問い返すと、明日夏は目を伏せ、小声で言う。
「こんな良い幼馴染がいるのに、大事にしないような知香は、悪い奴だと思うから」
「良い幼馴染って、俺のこと?」
透は驚いて、自分を指差した。明日夏はこくりとうなずいた。
一応、透と知香が疎遠になったことは、明日夏は知っている。けれど、その経緯をきちんと説明したことはなかったし、説明することもできなかった。
だから、明日夏の目からすれば、優秀な知香が一方的に透のことを見限ったように映るのかもしれない。
でも、それは事実とは違う。
(俺が知香と仲が悪くなったのは、俺自身のせいなんだ)
「ええと、ありがとう。でもね、桜井さん……」
どう説明したものかと迷っているうちに、明日夏は顔を赤くして、「今のは忘れて」とつぶやいた。
「ともかく、あたしは知香に一泡吹かせないと気が済まないの。あのツンと澄ました顔を、悔し涙で歪ませてあげるんだから!」
「やっぱり、桜井さんが悪役っぽいなあ」
透の言葉に、明日夏が頬を膨らませる。
「あたしと近衛知香と、連城はどっちの味方なわけ?」
「俺は桜井さんを応援しているよ」
透はためらわずに答えた。
何度挑戦しても勝てない絶対的な強者に、果敢に挑む。そういう明日夏の姿勢が、透は好きだった。
自分もそうであることができたら、どれほど良かっただろう。
「そっか。ありがと。じゃあ、連城のためにも知香に勝たないとね」
明日夏は満足そうに笑顔を浮かべた。
そのとき、遠くから視線を感じた。振り返ると、教室の廊下側の席から、強い意思のこもった瞳が、透たちを睨みつけていた。
透と明日夏を睨んでいたのは、愛乃だった。青いサファイアのような美しい瞳は、明らかにこちらに向けられている。
そして、その端整な顔には、とても不機嫌そうな表情が浮かんでいる。教室での、いつもの無機質な表情とはだいぶ違う。
ただ、透と視線がぶつかると、すぐに愛乃は白い頬を紅潮させて、目をそらしてしまった。
明日夏も、愛乃の不審な行動には気づいていたようだった。
「連城さ、リュティさんになにかした?」
「何もしていないよ。俺みたいな平凡な人間が、リュティさんと縁があると思う?」
昨日、本屋でばったり会ったことは、黙っておく。透としては、明日夏に隠し事をするつもりはない。
ただ、愛乃にとってみれば、秘密にしておいてほしいことかもしれない。本を取ろうとして、踏み台の上から落っこちそうになり助けてもらった……なんて経緯だから、恥ずかしいと思っている可能性もある。
けれど、明日夏は疑わしそうに目を細めた。
「でも、あの子……朝からずっと、ちらちらと連城を見てるよ」
「そうなの?」
それは気づかなかった。
やっぱり昨日の一件のせいだろうか。
明日夏がジト目で透を見る。
「絶対、なにかあったでしょう?」
「理由もなく睨まれているという可能性は?」
「それはないでしょ。あの孤高の女神様が、こんなふうに他人のことを気にしてるなんて、珍しいし」
たしかに、それはそうだ。
愛乃はとにかく目立つ。金髪碧眼の北欧系の美少女となれば、教室で注目されて当然だ。
そして、いつも澄ました顔で、一人で本を読んでいる。クールという意味では知香と同じだけれど、いつもたくさんの友人がいる知香と違って、愛乃は誰にも興味を持たない。
いつも一人だ。
その愛乃が透に興味を持っているとなれば、明日夏が不思議に思うのも無理はない。というより、他のクラスメイトもこちらの様子をちらちらと見ている気がする。
(なるべく目立ちたくないのに、困ったな……)
平穏で、面倒を避けて日々を過ごすのが透のモットーだ。あの特別な金髪碧眼の女神様に巻き込まれる形で、注目の的になるのは避けたい。
そう考えながら、ぼんやりと愛乃の方を見ていたら、明日夏に肩を叩かれた。
そして、明日夏はいくらか不満そうな顔で言う。
「リュティさんは超絶美少女だものね。あたしとかとは違って」
明日夏も十分すぎるほど美少女だと透は思ったが、口には出さないでおく。
代わりに透は言う。
「別に俺はリュティさんには興味ないよ」
「本当に? あんなに可愛いのに? アイドルみたいに綺麗な顔しているし、小柄だけど意外とスタイルも良いし」
「まあ、そうだけどね」
「ともかく、あの神秘的な容姿だから、人気があるのも当然よね。もしかしたら外見だけだったら、近衛知香もあの子にだけは勝てないかも。」
「まあ、フィンランド系の女子生徒は珍しいだろうから」
「一部の男子は、女神フレイヤなんて呼んでるらしいよ」
明日夏のつぶやきに、透は首をかしげる。
「フレイヤ?」
「知らない? 北欧神話の愛と黄金の女神様。名前と髪の色にぴったりのあだ名だと思うけど。リュティさんはフィンランド人で、フィンランドは北欧なわけだし」
「いや、女神フレイヤは知ってるけど、北欧神話はフィンランドの神話じゃないよ」
「え? そうなの?」
「たしか『カレワラ』っていう叙事詩があって、それがフィンランドの古い神話ってことになっているはず」
透はなにかの本で読んだ知識を思い出した。
北欧の中でも、フィンランドは、スウェーデンやノルウェーとは別の古い伝承を持つらしい。
フィンランドの神様の名前を知っているわけではないけれど、少なくとも女神フレイヤはフィンランドとは無関係のはず。
だから、フィンランド人だという愛乃を、フレイヤにたとえるのはおかしな話だ。
「連城って、変わったことをいろいろ知っているよね」
明日夏が感心したような声で言う。
透は肩をすくめ、「大したことじゃないよ」と当たり障りのない答を返した。
放課も残り少ないし、あと少しのあいだ愛乃から話題をそらしておけば安心だ。
けれど、そう思った透の考えは甘かった。
周囲がざわついていることに、透は気づいた。
目の前の明日夏も、透の背後を見て、いつのまにか固まっている。
おそるおそる、透が後ろを振り向くと、そこにはとても小柄な女の子が立っていて、青い瞳で透を見下ろしていた。
そして、頬を赤くして、ささやくように言う。
「連城くん……今日のお昼休みに話したいことがあるの。い、一緒に、ご飯、食べない?」
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