第33話 幸せそうだったのに

 立ち上がったヤコは彼の元へ駆け寄る。うずくまり蒼白な顔をしたニアが助からないのは一目瞭然だった。本人も観念したように目を閉じる。

「さーっすが隊長ぉ……正確に急所とらえてるよこれ……」

「貴様! なぜ避けなかった! 俺もとどめを刺すつもりは――」

 青ざめたハジメがニアの胸倉を掴む。うっすらと目を開けたニアの焦点はすでにぼやけ始めていた。

「あー、トラウマにさせたならゴメン。でも気にしないでいいよ、これは僕が望んだことだ」

「何を……」

 ゲホッとせき込む彼の口から赤い物がつぅと零れ落ちる。掴む手をゆるくほどき、自ら腹部に刺さっていた刀を引き抜くと傷口からブシッと鮮血があふれ出した。

「君たちをポーラスターに誘導するって役目は果たしたわけだし、お役御免なんだよ、僕は」

 と言う事は、やはりニアは何かしらのスパイだったのだろうか。ペタンとそのそばに座ったヤコは、ぽろぽろと涙をこぼした。これがどういう感情なのか自分でも整理がつかない。

「にあさん、やだ、死なないで」

「……泣いてくれるんだ、優しいね」

 こんな最期なら悪くないかなぁ、とニアは呟く。再び大地に横たわった彼は青空を見上げながらぽつりとつぶやいた。

「僕は手駒だったけどさ、最後にこれくらいの抵抗はしてもいいかなって」

「い、やです、信じたくありません、わ、わたしを励ましてくれたのも、プラネタリウムに付いてきてくれたのも、全部、ぜんぶ計算だったんですか!?」

 しゃくり上げながら問いかけると、ニアはこちらに視線を合わせた。そうじゃないと否定して欲しかったのに、彼はその問いには答えなかった。その代わりに、ニィと笑い奇妙なことを言い出す。

「こんなピンチ軽く乗り越えて見せなよヤコちゃん。このぐらい引っ掻き回して、他の船とイーブンってとこだろ?」

「え?」

 彼が持ち上げた手に頬を触れられる。思わずその手に縋ると体温はどんどんと失われていった。命が、零れ落ちていく。

「そしたら……君は……本物の……」

 最後まで告げることなく、ニアは事切れた。力を失った手がパタリと砂地に落ちる。少し置いてそれを理解したヤコは、ワッとその身体に泣きついた。

「どうしてっ、どうして……こんなことっ!!」

 もう訳が分からない。頭の中はぐちゃぐちゃだと言うのに、状況は静かに悲しむことさえ許してくれなかった。辺りが震えるような地響きが起こり、船を取り囲む周囲から小型の宿敵がせり上がる。その数、3体。

「ッ、こんな時に!」

 ハジメが舌打ちをしたその時、船の本体の方から残りのガードたちが駆けて来た。

「見つけた! おいっ、どうなってんだ!」

「レイ様ぁっ」

「ひっ、ちょっと何よ、それ!」

 横たわるニアの亡骸を目にして彼らは立ち尽くす。だがレイは、説明も早々に指示を出した。

「緊急事態だ、今は何も聞かずにとりあえず指示に従ってくれ! ナナ、ハジメと共にヤツらの気を引いてくれ。できるだけ船から遠ざけて欲しい! だがあまり遠くには行くな! 後から私も行く!」

「り、了解!」

 バッと飛び出した二人は果敢にも敵へ立ち向かっていく。残るムジカ・ミミカ・ヤコは展望ルームのある本体側へ行くよう指示された。

「三人は防衛の準備を! 生き残った者を一か所に集め、ガレキでも何でもいいからバリケードを築いてくれ! このままではロクに護れない!」

 それだけ言い残したレイは、ハジメたちの加勢に引き返す。目を合わせて頷き合ったヤコたちは、今自分に出来ることに走り出した。


 方々で放心しているクルーたちを叱責して何とか立ち上がらせ、男子生徒を中心にバリケードを築く。中には友人の亡骸を拾うためか、あるいは自棄になったか、錯乱状態で外へ飛び出して行こうとする者たちも居たが、何とか安全圏内に引きとめた。

 そんな時、ヤコは残骸となった通路の端に座り込んでいる人物を見つけた。カタカタと小さく震えるシルエットは、物言わぬ死体となった誰かを抱えている。いつものお団子頭が解けた彼女は、顔にざんばらと髪がかかっていた。

 ツクロイが抱えている人物が誰かに気づいた途端、ヤコは息を呑んだ。その音でようやくこちらに気づいたのか、虚ろな目を上げた親友はパッといつも通りの朗らかな彼女に戻った。

「あ、ヤコ。無事だったのね。よかった心配したのよ」

「ツクロイちゃ……それ」

「あぁ、ナツハ? ちょっと頭打っちゃったから寝てるみたい、その内目覚めるでしょ」

 仕方ないヤツよねぇ苦笑したツクロイは、膝に乗せたナツハのおでこをつつく。だが彼女がいつもつけているエプロンはぐっしょりと赤く染まっていた。よく見ればナツハの後頭部は大きくえぐれ――

「う、ぐぶっ」

「あれ、どこいくの? ヤコー?」

 口元を押さえてその場から逃げ出す。物陰に飛び込んだヤコは四つん這いになって吐いた。ツンとすっぱい臭いが立ち上がり涙目に染みる。

(夢だ、これは夢だ……目が覚めたらポーラスターに到着していて、みんなで幸せな生活が始まってる……)

 膝を抱えてしゃがみこんだヤコは、いつかと同じように自分に暗示をかけようとした。哀しいかな、今回もそれは上手く行かず、目を開けても地獄絵図はそのままだった。いっそ自分もツクロイのように狂ってしまえればどんなにラクだっただろうか。

 声を押し殺しながら泣く。あんなに幸せそうだったのに……夢を語るナツハと、それを愛おしそうに見つめていたツクロイを想うと胸が張り裂けるようだった。皆で笑い合っていたのはほんの数時間前の出来事だというのに。どちらが現実なのだろう。

 痕が付くほど爪を立てて自分の腕をぎゅうと握りしめたヤコは、いやでも感じる痛覚を認識すると鼻をすすり上げた。しばらく俯いていた彼女は、やがて気力を振り絞るとよろめきながら立ち上がった。

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