父との思い出

父とご飯を食べるのが好きだった。


でも父は料理なんてできないから2人で食べるのは決まって赤いきつねか緑のたぬきだった。


私が小さい頃「赤がいい!」と言ったことをきっかけに、私が赤いきつね、父が緑のたぬきを食べることがお約束になった。


3分待つ間、父はよく鼻歌を歌って過ごしていた。

全然知らない歌ばかりだったが、鼻を通って響く声が心地よく、いつしかそれに合わせて私も歌うようになっていた。


父は普段無口で静かな人だったので、ただ待つだけでつまらなかった3分が、父とコミュニケーションを取れる少し特別な時間になった。私が合わせて歌うと父は嬉しそうにしていたように思う。


そして3分経つと少し名残惜しそうに「もう出来たぞ」と麺が伸びないうちに、私に食べるよう促していた。


黄金の出汁をたっぷりと吸ったお揚げを口いっぱいに頬張って「おいしい」と私が言うと、父は決まって「そうか」とだけ言い、私の頭を撫でてくれた。




そんな父と喧嘩をしたのは後にも先にも1度しかない。私が上京したいと相談した時だった。


歌手になりたい、と告げると普段無口な父は怒鳴り、いつも笑顔を絶やさない母は泣いた。

先の見えない職業に就こうとしている娘を心配していたのだろうと今ならわかる。しかし当時の私には夢を頭ごなしに否定されたという考えしか思い浮かばなかった。


なぜなら歌手になりたい要因のひとつに、父とのあの時間があったから。一緒に歌うことが楽しくて、私の歌を聴いて嬉しそうにしてくれる父を見ると、私まで嬉しくなって…もし、私の歌を聴いて色んな人を幸せにできたらどんなにいいだろうと、そう思ったのだ。


結局私は両親の反対を半ば押しきって上京した。そのままズルズルと実家に帰ることを拒み続け、今に至る。だから父とは喧嘩して以来、一度も連絡を取っていない。

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