第8話 祝辞

 ○

 一階にある会場から、四階にある一年生教室まで移動する。学年が上がるごとに階は下がっていく模様。

 この学園は揺るぎなく重い歴史を持っているが、廊下を見渡してみても、古いだとか、廃れているとかいう雰囲気は全くない。

 これも魔法によるものなのかな、と思っていると。

「――瀬之上」

 背後から声がかけられた。

「……どうした滝岡」

 返事の代わりに、ちょいちょいと首のあたりを軽く後ろに引かれる。

 それが意味するところは間違いなく、後ろを見ろ、という事だろう。ちらと振り返ってみると、クラスの列の後ろの方に、躍るようにさらさらと揺れる金髪が見える。

「……桜浜さん、同じクラスだったんだな」

「……そうみたいだな」

 滝岡の囁きに、首肯を返す。

「楽しい一年になりそうだな」

「……そうだといいな」

 期待に目を輝かせる少年を見ながら、俺は万感の思いを込めて、そう願った。

 ○

 教室に着くと、黒板に座席表が貼りだしてあった。席を確認すると、俺は廊下側から三番目、後ろから二番目の位置。名簿順的に、後ろは当然滝岡だ。

「俺は一番後ろの席か。幸先がいいな」

「……ちゃんと授業は集中して聞くんだぞ」

「わかってるって。ばれるようなへまはしない」

「何に対してのわかってる発言だったんだよ……」

 席に着くと、後ろの方の席なので、教室が殆ど見渡せる。……やはり目に留まるのは、桜浜さんか。俺の三席前で、隣の席の女子生徒と会話に花を咲かせていた。

 その向こうには教壇が見える。

 ……そうだ。

「なあ、どんな人が担任になってほしい?」

 後ろを振り返り、滝岡に訊いてみる。

「そうだな……。そんなに堅くない人がいいかな……ああいや、だらしないのを許してくれそうとか、そういうのじゃなくてだな」

「わかってるよ。規則とかでがちがちに縛ってくる先生は俺も好きじゃない」

 そう言うと、滝岡は意外そうな顔をしてこちらを見る。

「……なんだ」

「瀬之上は規則なんか自然体で守れる人だと思っていたんだが」

「……まあそりゃ――」

 そこまで言ったところで、教室のドアがからからと音を立てて開いた。

 入ってきたのは、眼鏡をかけた男性教師。横顔を見ただけでも、レンズの奥にある理知の宿った瞳は印象的に映る。どこか学者風というか、何かを追い求める者が持つ熱情が――それも静かに燃え立つ想念が、浮世離れした雰囲気を彼に与えている。

 教壇に辿り着くと、手に持っていた出席簿やら何やらを机に置き、一度咳払いしてから口を開く。

「このクラスの担任は俺が受け持つ事になった。以後よろしく」

 簡潔にそれだけ言って、持ってきた書類をがさがさかき回し始める。……何かを探しているのか?

「あ、あの先生、お名前は………」

「あった」

 一番前の席の生徒がクラス全員の疑問を代表して訊ねると、「そんなことよりちょっと手伝ってくれ」と言って、生徒に紙を一枚持たせた。

「それ読んでくれ」

「……え、えーと………『灯は誰のため、何のために尽きるか。去り行く花は、ならばなぜ咲き誇るか。祝祭の日は汝の為に、鐘の音を連れて訪れる』」

 生徒が詩を読み終わる。

「……あの、これは?」

「ちょっと待ってくれ」

 名を告げぬ教師は、微かに笑みを浮かべている。

 生徒が抱く何事かという困惑で教室が満たされていくような気すらした――そんな時だった。

 俺は窓の外を見た。前方からガタリという音が聞こえたので、おそらくは桜浜さんも同様に気づいたのだろう。

 何かが窓外から――空を切り裂き、雲を散らして近づいてきている。それは低く唸るような音を連れていた。自らを害しうる脅威を前に、しかし恐怖の感覚を抱くことはなかった。俺はこの先生の事をよく知っている。そのことに気づいた。直に顔を合わせたことはないものの、その性格――どうしても悪戯せずにはいられないという、少年じみた心の持ち合わせがあることを――理解している。

 俺や桜浜さんにワンテンポ遅れて、教室中の生徒が脅威の存在を認識する。あちこちで軽い悲鳴が上がり、困惑は混乱へと転換せしめられた。

 しかし滝岡はその渦からいち早く脱し、迫りくる脅威に対抗しようと魔力を練り始めていた。俺は彼の肩に手を置き、それを宥める。

「いや、これは……」

「大丈夫だって」

「いやまずいだろこれ!窓が――って言うか壁が丸ごと割れるぞ!」

 彼の叫びに呼応するように、それは速度を増していく。

「よしお前ら、目をつぶるんじゃねぇぞー」

 先生はそう言って、空中に――あろうことか、媒介を用いずに――魔法陣を描き出した。杖や指輪型の媒介を用いずに魔力を操ろうとすると、並外れた技術が必要とされ、一昔前には不可能とまで言われていたのだが――まあ、この男に常識を求めてはならないだろう。

 先生が軽やかに腕を振った。

 その瞬間。

 教室の壁が消失した。

 そして迫ってきていた物体が教室内に飛来する。何とかそれを目で捉えた――次の瞬間には、物体は急激に減速し、先生の手の中に軽やかに着地。壁も何事もなかったかのように復元していた。

 凄まじい突風が物体の運動の余波として生じ、先生が持ってきた書類は教室中を舞い――。

「よっと」

 三度振られた先生の腕に導かれるように、紙は机一つにつき三種類ずつ落ちた。

 静寂が満ちる。

 ……唖然として身動きの取れない生徒たちの様子を満足そうに見回して、先生は――にやりと笑った。

「配りものが面倒だったんで、ちょっとダイナミックにやってみた」

 頓狂な言葉を発した男に向かって、滝岡は「んな莫迦な……」と疲れを隠しきれない様子で一言零した。

 

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