第6話 彩翼天来
○
光が灯る。その瞬間、ステージ上に花が咲いた。
ステージの中央には一人の少女が立っていた。まず目を奪われるのは、輝きを放つその金髪。しかしそれは照りつける陽光のような苛烈さを持ってはおらず、気品と華麗さを備えて――月のように、そう、満月のように、柔らかな光を纏っていた。
彼女がそこでゆっくりと礼をすると、会場全体が――空間そのものが、彼女に引かれたように感じた。
「花々が咲き誇る素晴らしい季節の、爽やかで希望に満ちた風が吹くこの日に、歴史ある校舎で、皆様にお会いできたこと、誠に嬉しく思います」
彼女の声には惚れ惚れとする透明感があった。
「畏れ多くも新入生を代表して、ここで誓いの言葉を述べようと思います――まず、私たちは、常に前を向き、努力し続けることを誓います。道を探し、手を伸ばし、理想をこの手に掴むまで走り続けます」
すっと息を吸う音が聞こえる。
「そして、協力を忘れず、一人で乗り越えられない困難には二人で、三人で。クラスで、学年で。そして時には先輩方のお力もお借りして、挑み続けることを誓います。歩みを止めることはありません。それは、自身の可能性を否定することと同義ですから」
いつの間にか、俺はステージ上にしか意識が向かなくなっていた。周囲の人の気配も気にならなくなり、世界から隔絶されたどこかで、彼女と向き合っているような気がした。
「最後に――自身の過去に。やがて来る試練に。弱い自分に。逃げたくなるような困難に。
何度壁に阻まれようと、彼我の距離に絶望しようと、最後には――悲願に辿り着いて、皆で笑いあうことを、誓います。……新入生代表、
彼女が再び礼をした時、止まっていた時間は動きだし、会場は万雷の拍手に包まれた。
「……いやすげぇな」
俺が呟くと、章介はにかりと笑った。
「すげぇ美人だったな」
「そこじゃないんだが……いや、美人だけどさ」
「冗談だって。一瞬で引き込まれたもんな。声も立ち振る舞いも、完璧だった……いや、同じ学年にあんな人がいるなんて……」
「いるなんて?」
「……わくわくしてきた」
彼の目には憧れ以外の感情は浮かんでいない。俺はそれを見て、こいつも凄い男だよな、と思った。純粋で、気持ちがいい。
○
……気にしていなかったが、学園長の挨拶は後日になったらしい。普通は新入生代表挨拶の前に学園長や校長が喋るもんな。
早いもので、入学式も最後のプログラムに移る。会場の前方に掲げられている進行表を見るに、最後を飾るのは、この学園の伝統、『彩翼天来』……。
ってなんだそれ。
「章介」
「ん?」
「これから何が始まるんだ?」
「彩翼天来」
「ってなんだ」
「知らないのか?……じゃあ、説明しないほうがいいかもな」
「え、なに」
大変なことが起こるんじゃあるまいな、と思っていると。
「ほら、始まるぞ」
暗くなっていたステージ上に再び明かりが灯り、三人の生徒の姿を浮かび上がらせる。その中には、桜浜さんの姿もあった。
「それでは、最後のプログラムに参りましょう」
聞き覚えのある優しい声だなと思ったら青宮先輩の声だった――仕事があるって、これの事だったんだろうか。だったら何であんなに急いでいたんだ?
何人かの生徒が座席から立ち上がり、会場全体に散らばっていく。
「今回はメンバーがメンバーなので、術式を編むのに苦労しました。開式直後から頑張ってたんですけど、たった今終わったくらいで」
「……何の術式?」
「まあ待てって」
章介に質問するも、また素っ気なく返された。
じゃあ……待つよ。
生徒が持ち場に着いたようで、動きを止める。移動した生徒のうちの一人が――俺からは見えないけど――ステージ袖にいると思われる、青宮先輩に向かってサインを出した。
「準備ができたみたいですね。……それでは、各学年代表の生徒を、ご紹介します」
ステージ上に居た三人の生徒のうち、向かって右側の生徒が一歩前に出る。
三人の中で唯一の男子生徒は、背が高いが瘦せていて、ひょろっとした印象を受ける。黒縁の眼鏡の奥の瞳はけだるげだったが、しぶしぶと言った感じで係の生徒からマイクを受け取った。
「……えー。一応三年の代表の、
彼――矢倉先輩がそう言った途端に、二、三年生が座っているあたりの席から声が飛ぶ。
「いいぞ矢倉!」
「その調子!」
「全部呑んじまえ!」
「思う存分やっちゃってください!」
野次じゃないか。
「……まあ、任されたからには頑張ります。よろしく」
わあっという歓声が上がった。愛されてんな、先輩。
その先輩からマイクを受け取るのは、真ん中に立っていた女子生徒。……多分、二年生の代表。ってことはつまり、青宮先輩が言っていた――。
「皆さんこんにちはー!」
小柄な体格で、ショートカットの少女がそう呼びかけると、会場内のボルテージが一気に上がった。うおおおおおっ、という声が会場を揺らしている。
「二年生代表の、
再び歓声。
……ていうか、負けないようにって言った?勝ち負けの要素あるの?大丈夫なの?
最後にマイクを受け取ったのは、先ほど新入生代表挨拶をした、桜浜さんだった。
「皆さんこんにちは。憧れの先輩方の姿をこんなに近くで見れて嬉しいです。とにかく、置いていかれないように力を尽くします。よろしくお願いします」
頑張れー!という応援の声と拍手が響いた。
「……それでは、一年に一度の、彩翼天来、開演です」
青宮先輩のアナウンスの直後、世界は形を変えた。
会場が――いや、空間が、黒によって塗りつぶされた。それは全ての始まりを予感させる、夜空の色だった。何が起こっているのか理解しようとするのは、もうやめた。そんなつまらないことは、この際忘れてしまおう。そう思った。思わされた。
気づけば生徒たちは、みな夜空に投げ出されていた。そしてそこに、数えきれないほどの星が瞬いていた。圧倒的な色彩を前に、俺は言葉を失う。星々は、手を伸ばさずとも触れられた。掌のそばに、いくつもの輝きがあった。
何分見惚れていたか分からない。だが、俺の意識が星々から逸らされたとき、空には無数の花々が踊っていた。淡い青色の花弁をふわりふわりとはためかせ、どこか遠くへと向かっていくように、体をくすぐって過ぎてゆく。花弁がもたらす薄明かりが、数多の花々が作り出す道を浮かび上がらせる。
やがて遠くに、一本の柱が見えた。それは上に行くほど細くなっていた。それは――木の幹だった。枝が伸びていった。霧が枝を包んでいった。その霧は段々と緑色に染まっていき――霧が晴れた時、そこには命の緑を全身にみなぎらせた巨木が在った。仰ぎ見ると、俺の頭上にも葉は広がっていた。
道になっていた花々は、ほどけるように、辺りに花弁を放った。それは次々と枝に着地し、ばらばらだった花弁は、四、五枚で一輪の花になった。
ちかりと、光が瞬き、俺は一瞬目を閉じた。
再び目を開けた時、そこには、たくましく華やかな大樹が、眠るようにかしずくように、穏やかに鎮座していた。
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