第5話 幕開けと予感

 ……というか。

「僕が起きるまでずっと見てくださってたんですか?」

「そうですね。入学式での仕事もあるので、式の十五分前くらいになったら離れようと思っていたんですけど……その前に目覚めてよかったです」

「……ありがとうございます」

 恥ずかしいな、なんか。

「……んー。でもそろそろ、会場へ行きましょうか。立てますか?」

「は、はい。……よっと」

 体の内部が空洞になったような虚脱感は既になくなっていて、いつも通りに立ち上がることができた。痛みも……まあ、ないとは言えないが、無理をせずとも過ごせるくらいには治まってきていた。

 先輩は俺を見て微かな笑みを作ると、保健室の出口に向かって歩き始める。俺はそれを半歩ほど距離を開けて追った。

「……そうだ」

 廊下を進みながら、先輩は少し首を傾けて、ちらと俺の顔を窺うように見た。

「名前、教えてもらってませんでしたね」

「そう、ですね。えーと……瀬之上誠月せのうえまつきです」

「……まつきくん、ですか」

「珍しい名前ですよね」

「そうですね、でも」

 先輩は立ち止まり、

「あなたにぴったりな、素敵な名前です」

「……どうも。………じゃあ、一応、先輩の名前も教えてください」

「はい。青宮詩織あおみやしおりと申します。生徒会所属で、二年生です。これからよろしくお願いしますね」

 今まで見た中で一番の笑顔を向けて、先輩は名乗った。俺は、まぶしすぎる笑顔から逃れるように――道を知らないくせに――先輩の少し前を歩き始めた。

 ○

 会場に着いた後、先輩は仕事があるからと言って、ステージ裏の方へと駆けていった。俺は案内図に従って、自クラスの席へと移動する。

 それはいいんだが、問題は、会場に入るその瞬間まで先輩と一緒に居たので、周囲の生徒から途轍もない注目を向けられていることだ。居心地が悪いよ。誰か助けてくれ。

 そう考えていると、既に着席していた隣の席の男子生徒から声をかけられた。

「……ちょっと質問良いか?」

「……あ、ああ」

「そか。じゃあ――ってそうだ。自己紹介しないとな。俺は滝岡章介たきおかしょうすけ。これからよろしく」

 爽やかに笑う彼は、明らかに悪人ではなさそうだ。突然話しかけられたことに起因する警戒心を解いて、俺も名乗る。

「俺は瀬之上誠月。よろしく……それで、質問って?」

「……えーと、ちょっと耳を貸してくれ」

「……?」

 言われた通りに耳を近づける。彼は小声で囁いた。

「周囲の視線。ちょっと鬱陶しくないか?」

「そりゃ、いい気分ではないけど」

「そうだよな。まあ、正直に言うと、俺も知りたいってのもあんだけど、周りに聞こえるように――青宮先輩の事、訊いていいか?」

 そうすれば奇異の視線が多少は和らぐと思うんだけど、と続ける彼に、俺はかなりの好感を抱く。俺の事を案じてくれたこともそうだし、自分が聞きたいという理由付けもしてくれるとは、親切な人だ。

 首を縦に振った俺を見て、彼は微かに笑って、離れる。そして。

「なあ、青宮先輩とは知り合いなの?」

「いや、違う。今朝魔力の巡りが悪くなったみたいで、学校の前で倒れちゃってさ」

「え、大丈夫だったのか?」

「ああ。倒れて地面に激突する寸前に、先輩に助けてもらった」

「なるほど」

「で、先輩が保健室に連れて行ってくれて――今、ここまで案内してもらったんだ」

「そっかそっか。あ、じゃあ――」

 その後もいくつか質問されるうちに、周囲の人の目は次第に離れてきた。俺は人好きのする笑みを浮かべる彼を見て、この優しさは彼の本来の人間性なんだなと直感した。彼や彼女のように、何の打算もなく人に親切を差し出せる人間はそれほど多くない。俺だって、そんな人に憧れて、しかしそう在れない人間の一人だ。

 ……それと同時に、周囲の様子から、青宮先輩は学園のアイドル的な存在なのだろうと感じた。人目を惹く容姿だし、家柄も最高レベルに良いし、何より俺にしてくれたように、見返りを求めない優しさを人に与えられる人だから。

 そんな人がどこの誰とも知れない男と歩いていたら興味を――或いは俺に対するちょっとした悪感情を――抱くのもおかしくはない。

 そんなことを考えていると、入学式が間もなく始まることを伝える旨のアナウンスが流れ、会場の明かりが次第に落ちていき――喧騒が静まって、学園生活の幕が上がっていくのを、感じた。

 

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