ウルフの旅路

Lance

ウルフの旅路

 先を行く彼女が何者かは分からない。だが、今の私の唯一の理解者だ。記憶を無くし、気付けば彼女と歩んでいた。彼女の名はイシュタル。流れるような長い緑色の髪が陽光を受けて輝いている。瞳もエメラルドのようだった。春先のため、まだ冷える。そのためか、彼女は華奢な身体に真紅の分厚い外套を纏っている。

 私はというと、水溜まりに映った顔を見たが、髪は赤で一応は整っている。目は黒のようにも見える。首から下げていたオニキスのような色だった。だから黒で間違いない。

 私はここがどこだか分からない。イシュタルも知らないらしい。それでも前に進まねばならない。太い木を持ち用心のための武器とする。イシュタルは何も待たない。彼女を守るのも私の役目ということだ。

 夕暮れ時に村落へ入ると、入場料を強要された。一晩外で明かすにはまだ寒い。ウルフは銅貨を支払った。

「どうか通してくださいってか?」

 門番が嫌な笑い方で覗き穴から引っ込み扉を開く。

 その村は陰気で、薄闇と窓の向こうから絡みつくような視線を感じた。

「あまり長居はできそうもないな」

「そうね」

 ウルフが言うとイシュタルが冷静な声で応じた。



 深夜、村に一軒しかない宿屋には忍び寄る影がたくさんあった。手に手に短剣、斧、あるいは鎌などの武器が握られている。

「眠ったようだ」

 店主の鉤鼻の老婆が言い、首を向けて一同を促した。

「どこにいる?」

「女は二階の突き当りさ。どうやら連れ合いじゃないらしい。男の方は上手く離れた部屋に誘導したからね」

「へへっ、楽しみだな」

 下卑濡れた笑みを浮かべ、五人の男がまず階段を上がってゆく。

「薄暗くて分からなかったが、女の方、かなりの別嬪だぞ」

「殺すだけだなんて惜しいな」

 五人の男はイシュタルの部屋の前に佇み、頷いた。

 そして声を一切立てず、蝶番を軋ませ扉を開く。

 ベッドがある。膨らんでいた。

「金目の物は?」

「そこだろうな」

 尋ねられたもう一人がクローゼットを示した。ひそやかなやり取りをし、手に手に武器を持った五人の男はベッドを取り囲んだ。

「死ねえええっ!」

 だが、その途端重たい掛布団が舞い上がり視界を閉ざした。

 一人が悲鳴を上げる。

 ベッドに身を隠して待ち伏せていたのはウルフだった。彼はならず者の一人の手を捻り上げて短剣を奪うと、そいつの胸に突き立てた。

「ぐぶっ!?」

 男は目を見開いて倒れる。

 まさかの出来事に残る四人は正気に戻るまでもう一人を犠牲に出してしまった。

 ウルフは素早い身のこなしで二人目の首を掻き切り、踊るように沈むそいつをもう無視し、三人目の心臓を突き破った。

「刃が錆びているな」

 ウルフは言葉通り、敵を突き殺すのに全力を振り絞らなければならなかった。

「てぇへんだ! 奴ら、俺らの裏を掻きやがった!」

 残る二人が部屋から飛び出す。

 クローゼットが揺れた。

「まだだ、イシュタルさん」

 その日、ならず者の村には血の雨が降り、老若男女容赦無く死体だけが転がっていた。

 満月が肩で息をするウルフを見下ろしている。

 私は何故、ここまで戦えるのだ。まるで戦い方を身体が覚えている。私の正体は戦いに所以のある者ということか。最終的に残った両手剣を手にし、血染めの刃を見詰めてウルフは思案した。

「殺してやる!」

 宿屋の老婆が目を見開き狂った声を上げて包丁を振るってきた。

 ウルフは隙だらけの攻撃を避け、背後から心臓を貫いた。

「あ、悪魔め……」

 老婆はそう言い残し血の中に沈んだ。

「悪魔か。私の正体は案外そうなのかもしれないな」

 自分でも驚くほどの身のこなしと武器の扱い、戦いの勘を思い、ウルフはそう呟いた。

 ウルフは宿へと戻った。



 クローゼットから出てきたイシュタルは転がる死体に動じる様子はなかった。ただひざまずき無言で祈りを捧げていた。

「殺す必要まではなかったとおっしゃりたいですか?」

 ウルフはあまりにも長い沈黙を突き破って尋ねた。

 イシュタルは立ち上がりこちらを見上げた。ウルフの胸まである背丈は女性にしては高い方だった。

「いいえ、この者達が然るべく裁きを受けられるようにと祈ったまでです」

「そうですか」

「ウルフ、さん。あなたの記憶を戻して差し上げましょうか?」

「ん?」

 ウルフは一瞬何を言われたのか分からなかった。

「記憶を戻す?」

「そうです」

「イシュタルさん、あなたは呪い師か何かなのか?」

「……」

 イシュタルは応じなかった。だが、悲しげな瞳を向けてウルフを見上げている。

「私は……。私が記憶を取り戻せば、あなたとの関係も解消されるだろう。戻るべきところへ戻り、会うべき同胞と再会する。もしかすれば、愛する者もいたかもしれない」

 イシュタルの目が伏せられた。

 ウルフは考えた。記憶がそんなに大事だろうか。私にとって守るべき者は既に側にいる。彼女を慕い愛している。

「記憶はいらない。ただ、可能ならば別のものが欲しい」

 イシュタルの目が上げられ、交錯する。

「イシュタルさん、それはあなただ」

 イシュタルは目を見開いた。

 ウルフは彼女をそっと抱き寄せる。そして抵抗する様子が無いところを見ると、乱れたベッドへ誘った。イシュタルはおとなしく従った。そして死体に囲まれているのも気にすることなく、その晩、明け方まで二人は何度も何度も愛し合ったのだった。

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