第30話 完全移転とその代償

「……ハル?」

「……ごめんなさい」

「このアホハル! こんな夢物語のような事話すヤツがあるか! 昨日言ったよな!? 口を滑らすなよとあれほどいったよな!!」

「……いやうん、ほんと、申し訳ありません」


 那月からのお叱りに、陽哉は項垂れて返した。妹からの数時間に渡る容赦ない追求に負けた身としては言い訳も出来ない。


「別れの時間を、と思って離れるんじゃなかった。見張っとくべきだったっ」

「ふーちゃんも、そんなあっさり信じちゃうなんて……」

「だって、お兄ちゃんと、ナツにぃとユキねぇと離れるなんてイヤだもん。二人が人間じゃないって言われても、別にそれが? って感じだし」

「……ふーちゃぁん」

「楓花、お前が考えてるほど、甘くないんだぞ。あちらの世界は危険が多いし、俺達はお前を守ってやれない。なにより、こちらに残ったほうが、お前の幸せのためだ」

「これでも剣道かなり強いんだよ、私。空手もけっこう出来るし、守って貰わなくてもいいよ。私は、お兄ちゃんとナツにぃとユキねぇを忘れてまで幸せになりたくない」


 楓花の意志は固かった。昨夜から、何度陽哉が説得しても絶対に折れることはなかった。


「友達とも二度と会えないんだぞ」

「そりゃもちろん寂しいけど、友達かお兄ちゃん達か選べって言われたらお兄ちゃん達取るに決まってるじゃん」

「こっちの世界ほど娯楽は多くない」

「うぐっ、マンガやアニメの続きは気になるけど! 別にいいし! それにほら、持って行けそうな物は持ったよ!」


 兄の説得で無駄だったのだから、那月の説得でも、楓花の決意が変わる事はない。それどころか胸を張って荷造りは万端だと胸を張る。足元には、服やらマンガやらを詰め込んだバッグや段ボールが鎮座していた。陽哉からこの店ごと転移すると聞き出し、裏手の家から夜通し運び出した物である。陽哉も思い出の品やら服やら小物やらバッグに詰めているが、楓花のそれは比にならない。


「荷物はともかく、お前自身は転移の準備を何もしていない。向こうに行った瞬間、体にどんな影響が出るかも分からない。……最悪、死ぬかも知れないんだぞ」


 楓花の転移にどんな影響が出るか、険しい表情の那月の言葉に陽哉が青くなるが、楓花の顔色は変わらなかった。


「いいよ」

「楓花!」

「お兄ちゃん達を忘れて二度と会えなくなるくらいなら、死んだ方がマシ」

「……」


 ジッと、那月を見据える。その目には、確かに迷いがなかった。


「……店から出て行け」

「イヤ」

「那月、時間がっ」

「絶対に、離れないから」


 雪乃の言葉に那月が手を出すより早く、楓花が隣にいた陽哉に強い力で抱きつく。


「ちょ、楓花いてぇ!」

「その手を離せ楓花」

「ぜーったいにイヤ!」

「ちっ」

「那月ダメ! 今回の転移は予め仕込んだ術式なのよ! 今までのと違う! 発動を始めた今力を使ったら、影響が出てしまう!」

「くそっ」


 那月が手に風を纏わせたが、それが楓花に向かう前に雪乃が止めに入る。その時、ベルが響いた。


 カランカラン!


 辺りに響く、いつもの数倍大きなベルの音。そして、溢れる光。


「きゃっ」


 楓花のあげた小さな悲鳴は、光に飲み込まれていった。


 いつもより長く、強く感じた光のうねりが収まった時、そこに居たのは、変わらず四人。けれど窓の外の景色は、何度も見た異世界の物だった。


「……」

「……」


  那月と雪乃は、顔を見合わせて深い深いため息をついた。そして、あの光を身に纏わせ、姿を変える。

 那月はフロウディアに、雪乃はエリフィアに。それも、鳥と兎の姿でなく、人型だった。


「え、ナツにぃ? ユキねぇ?」

「……そうだ」

「うわ二人とも美人!!」

「俺のことはフロウディアと呼べ」

「私はエリフィアね」

「ディアにぃとフィアねぇだね! わかった!」


 兄と姉のような存在の姿が変わったのに、キャー! と女の子らしくはしゃぐ楓花に陽哉もため息を付く。


(女の子ってこんな順応性高いのか?)


 もう二度と元の世界に帰れないという悲痛さは皆無である。最初転移したときの陽哉の慌てぶりとはまったく違う様子に、女の強さを見た気がした。彼女の様子を見て、自分が感じていた元の世界との離別という寂しさも、吹っ飛んでしまう。


「楓花、お前、体はなんともないか?」

「なにもないよ? 元気!」


 エリフィアに抱きつきながらニコニコ笑う楓花に変化は見られなくて、陽哉はホッする。


「はぁ、よかった。……とりあえず、メリアとローマンに報告をするか」

「メリアとローマン?」

「俺の弟子(仮)。こっちに永住になっちまったんなら、(仮)も取れるだろうし」


 陽哉の言葉を聞いて、フロウディアがドアを開ける。さぁっと風が流れ込んで、緑の木々が見えた。


「森?」


 首を傾げる楓花を伴って、外にでる。いつものようにグレン達が待っていて、撫でてやってから後ろの楓花へ声をかけた。


「楓花、こいつらは聖獣っていって、……楓花?」


 店の扉の所にいた楓花は、頭を抱えていた。


「う、あぁっ」

「ふう! 楓花! どうしたんだ!」

「頭が、痛いっ」

「おい、しっかりしろ、ふう!」

「おにいちゃ、」

 

 苦痛の表情で倒れこむ楓花を支える。


「ふーちゃん!」

「楓花!」

「師匠戻って、え、どうしたんですか!?」

「大丈夫ですか!?」


 工房のほうからメリアとローマンが出てきて、陽哉達の様子に驚きの声を上げる。


「話は後だ、とにかく楓花を」

「に、二階の部屋へ!」


 バタバタと、妹を抱え上げて二階の空き部屋へ連れて行く。ベッドに寝かせた時、すでに楓花の意識はなく、苦痛の表情を浮かべ汗をかいていた。


「メリア! タオルと水を持ってきてくれ」

「はい!」

「師匠、師匠のポーションじゃダメなんですか!?」

「そうだ、ポーションがあった! いますぐ作って、」

「やめとけ」


 自分が作れる奇跡のポーションの存在をローマンの言葉で思い出し、立ち上がった陽哉を止めたのはフロウディアだった。


「フロウ」

「え、この方がフロウディア様!?」


 人型を見たことがないローマンが驚くのも気にせず、フロウディアは楓花の額に張り付く髪の毛を整えてやってから、頭に触れる。陽哉には分からなかったが、フロウディアにはそれで何かが分かったのかもしれない。


「今の楓花に、お前のポーションは逆に毒でしかない」

「そんな、でも、それじゃどうすれば」

「……収まるのを、待つしかないだろうな」

「っ、他の、テオフルク以外の材料との組み合わせじゃ」

「無理だ。少なくとも、今のお前の作るポーションは、楓花の命を奪いかねない」

「なんだよ、それ、そんなの、ポーションなのに、妹を助けることも出来ないのかよ」


 楓花の手を握って項垂れる陽哉を、ローマンが支える。その様子を険しい表情でフロウディアとエリフィアが見ていた。


「……フロウ」

「恐れていた事態になった。これから、どう転ぶか」

「もし、もしも」

「……これは、俺達の責任でもある。もしもの時は、俺が責任を取って対処する。ハルを任せたぞ、フィア。……俺達の第一は、どうあがいても、ハルでしかないんだ」

「……ええ、わかっているわ」


 小さな会話は、陽哉の耳に届くことはない。二人はただ、彼らを見守るだけだった。


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