第28話 再確認

 何時間、そのままだったか。固まった体を動かす時の痛みを感じながら、ゆっくりと扉を開け、気配を探る。物音もしない店内に息を吐いて、ゆっくりと事務所から出て厨房へと向かった。電気をつけなければ厨房内は薄暗いが、入口のほうから差し込む光で行動は出来る。

作業台の上には、朝転移する前に作っていたチョコレートの試作品がそのまま残っていた。


試作、といっても、店で出すための物ではない。少し先の那月の誕生日用の新作だった。ついでに、絶対に羨ましがる雪乃の分もある。

彼らは毎年恒例のように、誕生日プレゼントは何がいいか問うと陽哉のチョコレート、と返して来た。そのため、もう何年もプレゼントは新作のチョコレートとチョコケーキ、そしてちょっとした小物、というのが定番で、どちらかの誕生日には二人ともにチョコを貰えるので、幼馴染みの二人は自分の誕生日だけでなく、お互いの誕生日も楽しみにしていた。その様子を思いだして、深くため息を付く。


「……全部、仕事だったから、か?」


傍に居るのが当たり前の幼馴染み達。誰よりもお互いを理解しあえている。そう思っていたのに、今となっては、二人の事が分からなくなってしまった。

そんな訳ないだろ、と心の中で思いながらも、思わず出てしまった言葉。


「んなわけないだろ、あほハル」

「!」


返ってくると思わなかった言葉。そして背後からスっと伸びてきた手が、素早く手に持っていた一粒のチョコを奪っていく。


「なつ、」

「そのままでいろ」

「ぐえ、ちょ、おもっ」


振り返ろうとした体は、後ろにのしかかってきた重みで強制的にそのまま作業台のほうへと固定される。じゃれ合いでよくあることだが、背中合わせで寄りかかられてるらしい。


「ちょ、おま」

「……うまいな、これ」


背後から、口に何かを含んだような声で、そんな言葉が聞こえた。手の中から消えたチョコレートを思えば、それが何かなんて、考えなくても分かる。


「……なんでお前、俺のチョコだけはそうやって素直に褒めるの?」

「うまいからな」

「もう俺お前がわかんないんだけど」

「……」


物心付いた時には傍にいた三人。お互い言えない秘密だってあるけれど、それでも、一番近い存在だと思った彼らが、遠い存在になってしまったかのようだった。


「ハル」

「……」

「お前が最初に作ったチョコレート、俺が全部食べて雪乃が1週間近く拗ねたの、覚えているか」

「え、は? 忘れるわけねぇじゃん。大変だったんだぞあの時。チョコって言ってもテンパリングとかしないただ溶かして固めたやつなのに、おまえら酷い喧嘩しやがって。雪乃慰めるのに俺がどんだけ苦労したか」

「おやじさんの作った試作、お前と雪乃が勝手に食っちまって怒られたのに、俺まで巻き添いくらったのは?」

「お、お前まだ覚えてんの!? 謝っただろあれ! ちゃっかり俺へのリクエストまでして!」

「学校の女子連中にバレンタインに貰ったチョコ、お前の作る方うまいって言って、いつのまにかお前が教師役になってたのは?」

「それこそ忘れるか。何が悲しくて女の子達にバレンタイン前に試作品持ってこられて採点頼まれなきゃいけないんだ。しかも試作品がそのまま義理チョコになって本番ナシだぞ!」

「……悪かったとは思ってるが、お前の作るチョコで舌が肥えちまったんだからしょうがないだろ。お前に渡そうとしてた奴らだって、自信なくして市販すら渡すの躊躇ってだんだから」

「えぇぇ」


 気付けば、いつものようなテンポで会話出来ていた。


「……なぁハル。今までの全部、それ以外の、俺らの行動全部。仕事だから、そんな関係でやってきた事だと思うのか?」

「……」

「確かに、俺達は使命を背負ってお前の側に来たし、今回の転移は目的の一つだ。けど、守るだけだったら、別に人間として幼馴染みという関係に収まる必要もなかった。それこそ、お前とアイツと馬鹿やって、笑い合う必要もない。……けど、俺達はそれを望んだ」


 那月の声は、いつもの落ち着いたそれだ。けれど陽哉には分かる。そこに哀愁が混じっていると。声を聞いただけでそれが分かるくらい、陽哉は那月と同じ時を過ごしてきた。それに気付いた陽哉の心が、グッと軽くなる。


「まぁそれでも、お前の意志を完全に無視して異世界へ連れて行く、それは裏切りといってもいいくらいのことだってわかっているさ。俺を許せとは言わない。けど、せめて雪乃のことは、許してやってくれ」

「雪乃?」

「人になってお前の側にいると最初に言ったのは雪乃だ。何度も何度も、本当にコレで良かったのか後悔していた。謝りながら、ずっと側にいた」

「っ!」

「ただの護衛対象なら、そんなに思い詰めることもないのにな」


 那月の声だけで感情が分かったけれど、雪乃のその後悔を、今まで陽哉は気付くことはなかった。きっとそれだけ、心の内に押し込めていたのだろうと気付いて、また哀しくなる。

 ふと、背中にかかっていた重さがなくなって、那月が離れたのがわかった。


「なぁ、なつ」

「ハル!」


 那月へと問いかけようとして振り向いた体は、別のぬくもりに再び作業台へと押しつけられる。それは、陽哉に抱きついてきた雪乃だった。雪乃が泣いているのは顔を見なくてもわかった。


「ごめんね、ごめんね。ずっと騙してたの。けどね、わたしっ」


 ぎゅっと抱きついてきて謝る雪乃に、そういえば、エリフィアの時から何度も謝っていたなと思い出す。本当に、彼女は後悔しているのだと、疑いようもなかった。

 陽哉にとって那月は、昔から守るべき女の子で、いつもニコニコと、笑顔の印象が強い。そんな彼女の泣き顔なんて、見たのはいつぶりだろうか。なんだか、彼女を泣かしている自分の方が悪いのではと思ってしまうほど、雪乃が泣くのは久しぶりのことで、ツキリと胸が痛む。


「……もういいよ、ゆき」

「ハル」

「俺もごめん、ちょっと頭が混乱して酷いこと言って」

「ううん、だって、私達は、」

「まぁ、いろいろ言いたいこともあるけど。とりあえず、お前がエリフィアで、那月がフロウディアで、お前らが神獣っていう護衛なのはわかったし、俺を守るために黙って側にいたのも、うん、めっちゃ複雑だけど、許す」

「ハルっ」

「けどな」


 陽哉が頭をぐちゃぐちゃにして、二人から距離をとった理由はもう一つある。


「俺から幼馴染みまで奪おうとしたのは、ずっと許さないからな」


 陽哉が死ぬまで明かすつもりはなかった。あのフロウディアの言葉が、ずっとひっかかっていた。


「お前ら、俺が気付かなかったら、那月と雪乃を消して、ずっと言わないつもりだっただろ」


 那月と雪乃を消して、フロウディアとエリフィアとして振る舞う。それは、陽哉から、大切な幼馴染みすら奪おうとしていたということで。それだけは、どうしても許せそうにない。


「……」

「は、はる、それは」

「許さないから。……ってことで、その罰として数年はお前らの誕プレチョコ無しな」

「なんでだ!」

「それだけはやめてぇぇぇ」


 それまで真剣な顔をしていたのにふっと息をついてからニッと笑ったハルの言葉に、それぞれが思わず絶叫をあげた。

 

「おまえらめっちゃ食べてるじゃん。新作ならあっちで食べてるじゃん」

「違うのぉ、特別感、誕生日に作ってくれる特別感が!!」

「でもダメ」

「さっきのは俺のやつの試作だよな!」

「そういえばお前さっきつまみ食いしてたよな。じゃぁ今年はアレで終わりな」

「イヤだ!」

「ねぇなんでお前普段クールなくせにチョコになるとそんな感情的になるの?」

「お前のチョコが特別だから」

「そんな真剣な顔でキリッって言ってもダメ」

「……」

「おお珍し、那月の絶望顔」

「ハルぅ、お願い、謝るからぁ!」

「泣いても謝ってもダメー」

「なんでぇぇぇ」


 先ほどまでのシリアスはどこに行ったのか。その場の空気は軽くなる。二人は絶望しているが、陽哉はクスクスと笑った。


(これくらいの復讐で許してやるんだから、俺もこいつらに甘いよなー)


 他人が見れば復讐にもならない復讐である。それでも、二人にとってそれが復讐に成り得るのは、陽哉の作るチョコレートが好きだから。

 結局、いろいろな秘密が露わになって、二人が人間ですらないとわかっても、陽哉にとっては、チョコ好きの幼馴染みでしかないのだと、再確認した。


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