第27話 幼なじみの秘密



ただ、何か呟いたから聞いてきただけ、その可能性は、陽哉の中で完全に浮かぶ前にかき消えた。

 直感、といえばいいのか。陽哉は確信してしまった。それは、彼らの“名”への返しなのだと。


「……那月?」

「……」

「雪乃?」

「え、あ、ど、どうしたのハル? 私はエリフィアよ?」

「いま、返事、返したよな?」

「ハルが何か言った気がしたから聞いただけよ?」

「違う、確かに今」

「何言ってんだ、ハル」

「ねぇハル、落ち着いて、ね?」


『何言ってんだ、あほハル』

『ねぇ、ハル、今度みんなで遊びにいこ!』


 いつかの幼馴染みの姿が、声が、彼らに重なる。


(なんで、俺は気付かなかった)


 強い力を持った彼らを、すんなりと信じたのも。彼らの声に安心感を覚えたのも。きっと、無意識に、その気配を感じ取っていたから。

 小さなモフモフ達に人間の幼馴染みの名を呼ぶなんて、端からみたら頭が狂っていると思われるだろう。けれど陽哉の中で、今まで感じていた既視感が、すでに形を成してしまっていた。なぜか、なんてわからない。

 もう、勘違いだとは思えなかった。でも、そう思ってしまったら、いろいろな疑問が、頭と心をかき乱していく。


「那月、雪乃、なんで」

「だからね、ハル、私はっ」

「止めろ、フィア」

「でもフロウっ」

「こいつの直感を甘く見てた。もう終わると、油断していた俺達の責任だ」

「っ!」


 フロウディアの言葉に、エリフィアが言葉を詰まらせる。そして、俯いてしまう。フロウディアはため息を一つ付いて、羽を動かして飛び上がるとその場でホバリングする。

 ジッと見てくる瞳から、目が離せなかった。


「本当は、お前の寿命が尽きるまで、告げる気はなかったんだがな」


 陽哉に伝える為にしては小さな声で呟くと、小さな体から光があふれ出た。白銀の光に、彼の羽の色のような薄い紫の光がキラキラと混じあうそれは、フロウディアの姿を包み、隠す。

 大きく広がった光が消えていった時、そこにいたのは小さな鳥ではなく、一人の男だった。


 髪は光の加減によってホワイトパールのようにも見える銀髪。けれど毛先に向かって淡い紫のグラデーションがかかっている。それをひとまとめに束ねているから、まるでフロウディアの尾のよう。背は小さな鳥とは比べものにならないほど、それこそ陽哉より高い。けれど、この高さを、陽哉は知っている。

 幼馴染みの那月と同じ身長だ。顔つきも、僅かに違う印象を受けるけれど、幼馴染みの面影を残したそれ。

 なによりも、そのアメジストのような瞳は、変わっていなかった。


「……那月?」

「……」


 彼は陽哉の問いかけに答えることなく、エリフィアを見た。泣きそうな目のエリフィアがコクリと頷くと、彼女も、光に包まれる。

 フロウディアと違い、白銀にピンクゴールドの混ざった光が収まると、そこには一人の女性が居た。


 髪はエリフィアと同じ、ホワイトパールからのピンクゴールドのグラデーション。首の下でゆったりと二つに束ねられた長いそれは、まるで兎の耳のように見えた。

 幼馴染みの面影を残す、美しい女性。泣きそうに歪めた、光の加減でルビーの様に見える瞳も、やはり幼馴染みと同じ色を残していた。


「ゆき、の?」


「……ごめんなさい、ハル」


 彼女が涙と共に言葉を零し、それに何か返すより前に、重い空気を切り裂くように、扉のベルが鳴った。


「てんい、が」


 いつもなら、何度もベルが鳴り、徐々に光が強くなる。けれどこの時は、三度目のベルで、光が溢れた。



 思わず、目を瞑ってしまい、慌てて開く。そこに、男と女はそのままの姿でいたけれど、ブラインドの隙間から見える日の光と外の景色、僅かに聞こえる車の音が、元の世界であると証明していた。


 日常に戻ったのに、目の前に居るのは、日常とは違う姿をした、幼馴染みだった。


「なん、で、どうして、おまえら」

「ごめん、ハル」


 小さな謝罪のあと、先ほど彼らを包んだ光より少し弱い光が再び彼らを包む。瞬きほどの一瞬で、彼らの姿は、見慣れた幼馴染みに変化していた。

 夢でも見ていたのかと思いたかったが、現実がそれを否定する。先ほどまで男女がいた位置に、幼馴染みの二人は立っていた。


「どういう、ことだ。おまえらは、」

「……もう気付いているんだろう、ハル」

「……んなの、だって。それじゃ」

「お前は、生まれたときから、あの世界に転移することが決まっていた」

「決まっていた?」

「お前に与えられた、神からの使命のために」

「なんだよ、それ。じゃぁあの世界に俺が行ったのは、事故とかじゃなくて」


「……お前をあちらに召喚したのは、俺だ」


 その言葉は、陽哉にとてつもない衝撃を与えた。


「おまえが」


 思い出す。あの場に、確かに召喚した人間はいなかった。いたのは、黒くて恐ろしいモンスターと、それを倒した、小さな鳥だけ。

 召喚者=人間だと先入観から思い込んでしまったが、確かにその場に、召喚した者はいたのだ。そして、事故だと思ったのは陽哉であり、フロウディアは明確に言葉にはしていなかった。


「……なんで、何度も転移させた」


 フロウディアが召喚者だというのなら、何度も異世界転移をさせた理由が分からない。世界に受け入れられた、とはなんなのか。


「お前の存在を、肉体を、あちらの世界に馴染ませる為だ」

「馴染ませる?」

「本来、事故であろうと故意の召喚であろうと、異なる世界に渡る為には、肉体的か精神的に元の世界との繋がりが希薄であるほうがいい。そのために、転移・転生する異世界人は死後か死の直前か、周りの友人や家族と縁が薄い者が選ばれる事が多い。転移の場合は特に、縁が多いと世界に異物として拒絶される可能性も出てくる」

「……ハルは、そのどちらでもないから。体にどんな影響が出るかわからなかった。何もない可能性もあるけれど、影響が出る方が可能性としては高い。だから念には念を入れて、一度に完全転移するわけにはいかなかったの」

「……だから、何度も」

「もう一つ、肉体をあの世界に馴染ませるために、向こうの気をお前の体に取り込む必要があった」

「気?」

「こっちの物語にもあっただろ。……黄泉戸喫(よもつへぐい)だ」


 古事記や日本神話にある、あの世の物を食べると、この世に戻れなくなるという話。

 陽哉は、一度目の転移から、向こうの世界の物を食べていた。


「……テオフルク」

「正直、お前から言い出してくれて助かった」


 そうでなければ、俺から言う予定だったと那月は小さく笑った。


「ラウルスにアスター、そしてアキレア達。あちらで縁が結ばれたのも、俺達にとっては都合がよかった」

「あの世界に繋がりが増えれば増えるほど、陽哉の体はあちらに繋がり、安定するから」


 那月が静かに、雪乃が瞳を揺らしながら、説明していく。転移を繰り返すのは、陽哉の身を案じて。それは、わかった。けれど、今の陽哉には、その気遣いすら、まっすぐ受け入れることが出来ない。

 

彼らは、言った。神獣は、神に命じられて、転移者の守りにつくと。それは。


「命じられて、仕事だから、俺のそばに居たのかよ」


 幼馴染みという関係は、仕組まれたものだった。


「違うの、ハル、私達は」

「……神に命じられたのは、確かだ」

「那月!」

「なんだよ、それ」


 守られていた。対等な存在だと思っていた、幼馴染み達に。

 分かっている。守られていたというのなら、感謝すべきなのだろう。

 けれど。


「友達だと思っていたのは、俺だけかよ!」


 頭が、心が、ぐちゃぐちゃと掻き乱れる。口を開けば更に何か言ってしまいそうで、ギッと唇を噛んで、二人を見ることなく事務所に駆け込んだ。

 中から鍵をかけて、扉に背をつけ、ずるずると座り込み、深く俯く。


「ハル!」


 扉の向こうから、雪乃が呼んでくるのが聞こえる。けれど、陽哉は顔を上げることが出来ない。


「わりぃ、一人にしてくれ」

「……また、来るから」


 離れて行く二つの足音に、声をかけることはなくてもそこに那月もいた事がわかった。

 カーテンの閉められた暗い部屋で、陽哉の息づかいだけが、小さく響く。


「……店が休みでよかった」


 今の陽哉には、ショコラ作りすら出来そうにない。天職だと思うほど、ショコラが好きな陽哉は、ほぼ毎日、休みの日だろうとショコラを作ってきた。気分が落ち込もうと、甘い香りに包まれて作業するだけで気分は向上した。落ち込んだ時ほど時間を忘れて甘いショコラを作る。そんな陽哉が、今は、作りたいとも思わなかった。


「友達じゃないのか、って、ガキかよ」


 自傷気味に呟けば呟くほど、心にナイフが刺さるようだった。

 自然と頭を抱えるように手を動かしたときに、ずっと持っていたソレを思い出す。ギュッと握ってしまっていたせいで溶け始めているソレは、ショコラポーションだった。ベタッとした液体に変わり始めているショコラは、キレイだった形すら原型を崩している。


「よもつへぐい、あの世じゃなくて、異世界に縛る……神の実」


 これも、異世界の神の、導きだとでもいうのか。


 捨ててしまえ、と頭は考えるのに、近くにあるゴミ箱にそれを投げ入れることが出来ない。陽哉にとっては、大切な弟子が作ったショコラだったから。


「……今更か」


 もう何度も、何度も、テオフルクのショコラポーションを食べている。もう一つ食べたところで何も変わりはしないだろうと、溶けかけのソレを口に運んだ。

 ふわりと口の中を満たす芳醇な香りと、なめらかで優しい甘み。やはりそれは、陽哉の大好きな、ショコラでしかなかった。


「……」


 無言で口の中の甘いショコラを溶かしながら流れた涙は、誰にも見られることはなかった。


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