第26話 願い

「話は纏まったか?」

「ああうん、たぶん?」

「ならハル、そろそろ店に戻りましょ」

「え?」

「転移が始まるぞ」

「早く言って!!」


 フロウディアとエリフィアの言葉につっこみ、陽哉は慌てて立ち上がった。

 メリアとローマンに鍵を二つ渡し建物内を好きにして良いと伝えて、ベリス達に持っていた残りのショコラポーションを渡してから店へと走る。工房の扉を開けた時点ですでにベルの音は鳴っていた。


「あっぶな!」


 ベルが淡く光っていてすでに転移のカウントダウンは始まっていたが、光が強くなる前に店の方の扉を開ける。


「これが、異世界転移の予兆なのか?」

「興味深いな」

「ラウもアスターも、何があるか分からないからもっと離れてくれ」

「ああ、わかった」

 

 陽哉を追ってきたラウルス達に注意をする。これで第一王子になにかあろうものなら陽哉の胃が持たない。

 徐々に、光とベルの音が強くなっていく。その様子に不安が強くなったのか、陽哉に声をかけたのは、メリアだった。


「お、お師匠様! ちゃんと、帰ってきますよね!?」


 その言葉に、陽哉は咄嗟に返すことが出来なかった。


「次は絶対にポーション作り教えてくださいね!」

「俺らもまた会いに来るからな!」

「次は何かお土産持ってくるよ」

「今度はゆっくり話しましょうね、ハルヤ」


 メリヤに続くように、ローマンが、そしてアキレア達が陽哉に声をかけてくる。


「またね、ハルヤ。今度こそショコラ作りが見れるといいな」

「あまり無理はするなよ?またな」


 ラウルスとアスターも、陽哉に声をかける。”次”を望む、その言葉を。


(……馬鹿だなぁ、俺)


「うん、またな。みんな」


 陽哉はこの時初めて、自らこの世界への再訪を望んだ。望んで、しまった。



 光が弾ける。強すぎる光が全員の視界を塞ぎ、それが収まった時、そこには、扉の閉められた建物があった。”薄く透けた状態で”

 アキレア達はその様子に驚いている。ラウルスとアスターだけが、何度か目にしたその不思議な状態の建物に、ただ視線を向けていた。


「……フロウディア様、エリフィア様」

「なんだ?」

「俺達は、何か間違ってしまったのでしょうか?」

「どうしてそう思うの?」

「……私には、先ほどのハルヤが、一瞬泣きそうになったように、見えました」


 またな。そう言った、一瞬の笑顔が、まるで、泣くのを我慢しているように見えた。ラウルスも、隣で静かに佇むアスターも。


「……いいや。お前達は何も悪くないさ」

「しかし、」

「あなた達は、これからも友としてハルを想ってくれれば、それでいいわ」

「……」

「……かしこまりました」





「悪いのは、俺達だからな」


 フロウディアが呟いたその言葉は、ラウルス達に届くことはなく、隣にいるエリフィアだけが聞いていた。



「……ああ、本当に、俺は馬鹿か」


 光が収まり、目の前の閉ざされた扉に背を預け、俯く陽哉が呟いた言葉は、誰も居ない店の中へ溶けていった。


 たった数回会っただけ、五人にいたっては、まだ出会ったばかり。けれど友でありたいと願う声、師事を請うキラキラとした夢と情熱に溢れた瞳。

 拒絶することが出来なかった。それが己を追い詰めると、分かっていて。ラウルスに友でありたいと願われた時点で分かっていたけれど、自分であの世界を望んだことで、心はずしりと重くなる。


 時計は、転移前から30分近く進んでいた。そして気付く、少しずつ、向こうの世界にいる時間が長くなっていることに。


「自由に行ったり来たり、だったらいいのになー」


 強制的に始まって戻る転移に、そんな権利がないと分かっていても思わず願う。

 この転移が唐突に終わっても、向こうの世界に取り残されても、どちらも、今の陽哉にとっては別れを意味するから。


 無駄だろうと頭のどこかで理解しながら、ただ、それを願った。






 初めての弟子が異世界で出来てから、陽哉は数回転移を繰り返した。仮弟子二人だけだった時もあるし、アキレア達が居たときもあるし、ラウルス達が居たときもある。その度に、陽哉は彼らにまた、と言葉を告げていた。

そしてその度に、異世界へ留まる時間は長くなり、比例するように元の世界でも時間は進んでいった。最初の転移ではほとんど進んでなかったように感じたのに、気付いた時には10分近く進み、注意してみるようになってから回数を重ねるごとに数分ずつ伸びていく。前回の転移では向こうの世界に暗くなるまで居て、戻った時には時計の針が一時間近く進んでいた。


 そしてもう一つ気付いた事がある。だんだんと、転移の間隔が狭まっているのだ。

 最初の転移から次の転移までは約二ヶ月、その次は約一ヶ月、その次は二十日前後。そこからは数日ずつ間隔が狭まり、とうとう今回は、三日の間隔で転移した。

 じりじりと、向こうの世界への比重が増えていく。天秤がまるで、異世界へ傾いているかのようだった。



メリアとローマンは、陽哉を慕い熱心に教えを乞うた。けれどエリフィアの言葉通り、説明だけでは陽哉がすんなり作れたショコラポーションを作ることは出来ない。

ショコラにはなるが、テオフルクの効果を充分に発揮できない代物ばかりだった。

その時点で温度以外にも作り方でポーションのランクが左右されるとわかり、自分が身につけたショコラティエの技術を一から本格的に指導していく。何度失敗しても彼らはへこたれず、陽哉に師事を仰いで努力を重ねていった。陽哉が居なくても工房で試行錯誤を続けているらしい。

陽哉にとって初めての、可愛い弟子達。純粋に慕ってくる彼らを今更遠ざけることも出来ず、深いため息をついた。


「お師匠様、どうかしましたか?」

「あ、ごめん、なんでもないよ」

「でもちょっと顔色悪いですよ? もう時間も遅いですし、俺とメリアで夕食の準備しますから、休んでてください」

「……うん、じゃぁお願いしていいか? 念のため向こうに居るから。二人は入れないけど、呼べば気付くし」

「わかりました!」


 

 未だ、転移の兆候であるベルは鳴らない。すでに日も暮れて、空を見上げれば元の世界の星空の何倍も煌めく美しい光景が広がっていた。


「キレイだなー」

「……どうした、ハル」

「ううん、なんでもない」


 当然のように付いてくるフロウディアとエリフィアと共に、彼らだけしか開けることが出来ない店の扉を開ける。この世界では電気を付けることも出来ないが、月と星の光でライトを付けなくても充分だった。

 窓際に置いてある椅子に腰掛け、ぐたりと体の力を抜く。


「……随分疲れてるな」

「んー、大丈夫。疲れ、っていうか、ちょっとね」


 メリア達が弟子となった日、改めて転移についてフロウディア達に聞こうと思っていた陽哉だったが、未だに問いかけていなかった。そして、フロウディア達も、そのことについて何も伝えてくることはなかった。

 聞いた方がいいと分かっていながら、聞くのが怖くて聞けなかった。

 聞いてしまえば、なにかが確実に変わる。良い方向なのか悪い方向なのか、そんなもの、今の陽哉にとっては高い確率で悪い方でしかないと分かっていたから。


「ハル! 疲れたときは甘い物だわ!」

「お前が食べたいだけだろ」

「フロウだっていつも強請ってるじゃない」

「……強請ってない」

「じゃぁフロウはいらないのね」

「そうは言ってないだろ」

「ハル-、私にだけちょうだい!」

「ふざけるな、だからいらないとは言ってないだろ! ハル! 俺にもショコラ!」

「ふふ、わかった、わかったから。俺もあいつらの試作品食べたかったし、一緒に食べよう」


 二匹のやり取りに、思わず笑みがこぼれる。白いモフモフ達は、喧嘩するほど仲が良いといった感じで、時折こうやって言い合う。それが元の世界の幼馴染み達を見ているようで、思わず笑みがこぼれた。


 自分が作ったショコラポーションとメリアとローマンが作った物。簡易的に紙で包んだ時にごちゃ混ぜになったそれらをテーブルの上に陣取る小さな彼らの前に広げてやれば、素早い動きでフロウディアが一粒摘まむ。


「あぁ! ハルのショコラ!!」

「……甘い物ならなんでもいいんだろ?」

「ハルのショコラが一番に決まってるでしょー!!」

「弟子達の成長を見てやれ」

「フロウが見ればいいじゃない!」


 その光景に、既視感を感じた。


 小さなモフモフ達に幼馴染みが重なって見える。

 陽哉の口が開いたのは、無意識だった。


「……ナツキ、ユキノ」


 小さく小さく呟いた、その言葉。本来なら、空気に消えるだけだったはずの言葉は。



「なんだ? ハル」

「なぁに? ハル」



 その場にいる、小さな2匹から、返ってきた。


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