第12話 兄の気がかり
「お兄ちゃん、なんかあった?」
休日の朝、まだ開店していない店内で陽哉にそう問いかけたのは、妹の
「特にないけど」
「え? そう? なんかちょっとだけ機嫌悪いなーって思ったんだけど」
「そうか?」
「うん。雪ねぇもそう思うよね?」
「そうだねー。確かにちょっとイライラしてたり、落ち込んでたりするなーって」
雪乃にもそう言われてしまえば、客観的に見てそうなのだろうと陽哉はため息をついた。
「もしかして、最近また弓道行き始めたのと関係ある?」
「……相変わらず鋭いな、雪乃は」
雪乃の言葉通り、再び始めた弓道による気持ちの落ち込みが原因だった。かなりのブランクがあるため覚悟はしていたが、思ったように矢が飛ばないのだ。それでも、初心者よりは格段に上だが、やはり精度は落ちていた。とてもじゃないが、異世界で通用するとは思えない。元々、日本の弓道はアーチェリーと違って精神統一の面が大きく、正確性はアーチェリーの方高い。異世界で身を守る術として有効かと言われれば、期待は薄かった。それでも剣道などの付け焼き刃よりはマシだろうと練習はしているが、休日しか通うことも出来ず、練習時間も乏しいのもイライラの原因であった。
「ね、なんで急にまた弓道やり始めたの?」
「あー、なんとなく?」
異世界で自衛する必要があるかもしれないから、なんて言えない。
「ふーん」
「それより楓花、お前、時間大丈夫なのか? 友達と待ち合わせしてるんだろ?」
「あ、やばっ」
「夕飯は食べてくるのか?」
「それまでには帰ってくるー! 今日はハンバーグがいいな!」
「は? そういうのはもっと早く言え」
「おねがーい! お兄ちゃんのハンバーグの気分なの! 明日は私がお兄ちゃんの好きなメニュー作るから!」
顎の辺りで手を合わせて見上げてくる妹は大変あざとく、陽哉はその目に弱かった。
「……はぁ、しょうがないな。わかった、ハンバーグな」
「わーい! じゃぁいってきまーす!」
「気をつけろよな。焦って転ぶなよー」
「はーい!」
「いってらっしゃい、ふーちゃん」
慌ただしく出ていった楓花を見送り、ショーケースの中身を確認していた陽哉を、反対側から覗き込んだ雪乃が笑う。
「なんだよ」
「ハル、ふーちゃんには甘いよねぇ。私がおねだりしてもなかなかハンバーグ作ってくれないのに」
「別に甘やかしてるつもりはないんだけどな。本当にダメなことはきっぱりダメって言うし。まぁ、そうなってもしょうがないだろ。……一応、親代わりだし」
「……元々お兄ちゃんっ子だったけど、おばさんとおじさんが亡くなってから、ふーちゃんますますブラコンになったよね」
「中学生で親を亡くしたんだ。肉親は俺だけだし、しょうがないさ」
陽哉と楓花は、三年前に両親を交通事故でなくしていた。店は元々陽哉の両親が経営しており、陽哉は修行期間を切り上げて継いだのだ。
幼少期からショコラティエである父の元で勉強していたので、突然の引き継ぎでもなんとかなったが、それでも最初は慣れない経営に四苦八苦していた。そんな陽哉を支えてくれたのが幼馴染みの二人であり、妹の楓花を守らなければいけないという意志でここまでやってきた。
楓花は、元々陽哉に懐いて後をついて回るようなお兄ちゃん子だった。それが、雪乃の言うとおりブラコン、と表現するようなレベルになったのは、確実に両親の死がきっかけだった。
「……新しい彼氏でも連れてきてくれればな」
「そこは普通、妹はやらん! って立場になるんじゃないの?」
「そりゃ昔はそんな事も思ったけど、さすがに理想はお兄ちゃん!って言われたらちょっと考えるだろ。今日もデートじゃなくて女友達みたいだし」
「……そういえばふーちゃん、この前告白されたけどお兄ちゃんとはほど遠いから断ったって言ってたよ」
「……まじかぁ」
それは聞いていなかった、と頭を抱える陽哉に、雪乃は苦笑して慰める。
「そ、そのうち楓花ちゃんのお眼鏡にかなう男の子が現れるって」
「だよな。そうすれば少しはあいつも落ち着くか」
告白お断りの理由に兄を比較してしまう時点で手遅れのような気がするが、二人はあえてそれは口にしなかった。
「あ、もう開店時間だね」
「ああ。んじゃ、今日も頼むな、雪乃」
「まっかせて!」
―――― カランカラン
「いらっしゃいませ!」
この日もまた、変わらない一日が始まる。
陽哉が、妹の楓花に彼氏でも出来れば、と思う理由の一つは、その日常に紛れた非日常が原因であることは間違いなかった。
「……また来ましたよー。異世界日帰り旅行」
「何言ってやがる」
「どうしたの? ハル」
「なんでもない」
本日も開店前の準備をしている時間に独りでに鳴ったベルの音。さすがに三回目ともなると驚くこともなく、陽哉はベルが一際強く輝くのを冷静に待って、光が収まってから扉を開けた。そこには案の定木々の緑が広がっている。
思わず呟いた言葉に返されたのは、男前な声と可愛い声。視線をさげれば、可愛くて強い一羽と一匹がいた。
「フロウディア、フィア、久しぶり」
「ああ」
「こんにちは、ハル」
フワフワの二匹。並んでいるのは初めて見たが、やはり可愛い。その見た目に反して強いことは知っているけれど、和むものがあった。
「フロウディア、店の結界ありがとうな。この前は助かった」
「ああ、あれは核結晶を有効活用しただけだ」
「核結晶ってあの?」
その言葉に、陽哉は最初に異世界訪問をしたときに襲われかけた感染獣を思い出す。確かに、持っていても仕方がないとフロウディアに言われるまま、店の近くに置いていた。
「あれって、結界が出来るの?」
「核結晶は、魔力を込めれば多くの用途で使用できる。主には水や火などといった生活必需品への動力が多いが」
「へぇ」
さすが異世界、とファンタジー要素の強さに感心する。と、そこで陽哉は思い出した。
「フロウディア、お前、俺がまたこの世界に来るって知ってたんなら教えてくれればよかったのに」
「……あのときは、確証はなかったんだ」
「それにしては、準備がいいじゃん」
「念のためだ」
「念のため、ね」
その念のための処置で助かった身としては強く言えないが、本当に教えて欲しかったと陽哉はため息を付く。三度目の今回はともかく、二度目はエリフィアが現れるまでのほんの数分だったが肝が冷えたのだから。
「まぁ、今更言ってもしょうがないか。でさ、フィアが言ってたけど、俺ってこれからもこっちに強制日帰り旅行に来ちゃうんだよな?」
「……その日帰り旅行っていうの止めろ」
「じゃぁ日帰りプチ冒険」
「……はぁ、そうだな。お前の“体”はもうこの世界に受け入れられたから」
「それ、この前フィアも言ってたよな。どういう意味?」
「そのままの意味だ。この世界で存在が許容された」
「それがよくわからないんだけど、最初は事故だったんだろ? そう何度も事故が起こるのか?」
「……一度目の転移でお前の存在がこの世界に許容された。結びついたんだ、この世界と。二つの世界の壁を本来は飛び越えることはない。召喚や転移、転生は、その壁に一時的な扉をつけるような物だ。お前の場合、その扉が今、開かれたままになっている」
本来なら関わるはずのない世界と、結びついてしまった。そのせいで開きっぱなしの扉からこの世界に引っ張られてるらしい、と陽哉はなんとなくそう解釈した。
「じゃぁ……元の世界に帰れなくなる可能性は?」
「……それは、まだ分からないわ」
「……そっか」
それが、陽哉が尤も危惧する事であった。日帰り異世界旅行ができるなどと、そんな簡単に楽観視はできない。エリフィアに前回再び転移してしまう可能性を告げられた時点で、その最悪の考えは頭をよぎっていた。
もしかしたら帰れなくなるかもしれない。今の所断固拒否の構えだが、そうなったとき、幼馴染みのことも心配だが、一番は家族がひとりもいなくなる妹の事だった。だからこそ、自分が居なくなったとしても支えになる存在がひとりでも多くいればいい。妹に彼氏がいれば、と思ったのは、兄離れも理由の一つだが、そのことも理由の一つだった。……
今の所、その願いは叶う気配がないが。
今の陽哉に出来ること、それは今までと変わらず、転移のベルが鳴るときに店にいることだけ。フロウディアとエリフィアが分からないと言う以上、どうすることも出来なかった。
(まぁ、考えても答えなんて出るはずないし、とりあえずこの非日常を楽しむか)
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