第8話 帰還と幼馴染み
「ほんと、今ココにこの世界の人来ないかなー。そしたら教えられるのに」
「説明だけで伝わる訳がないだろう」
「うーん、温度だけなら伝えられるけど、確かにこの状態になるために温度以外に混ぜ方とかまで影響あったら教えるのは難しいか」
勿体ない、と摘まむショコラポーションを見る。
「なぁ、フロウディア、一応、一応さ、この近くに人っている?」
「……はぁ」
陽哉の問いに呆れたようにため息を付いたフロウディアは、そのつぶらな瞳を森へと向ける。その時間はほんの数秒ですぐに陽哉に視線を戻した。
「いない」
「そううまくはいかないかー」
「仮にいたとしても、もう時間切れだ」
「へ?」
「転移が始まるぞ」
「うそ!?」
叫んだ瞬間、開けっ放しにしていたドアのベルがカラン、と音を立てた。
風の仕業も考えられたが、フロウディアが言うのだから予兆なのだろう。陽哉は慌ててドアをくぐる。その後を追ってきた三匹は、理解しているのか、入り口の前で大人しく座った。
「あ、っと、ごめんな。短い間だったけど楽しかったよ」
三匹の様子に気付き、感謝を込めて撫でて、それぞれにショコラポーションをあげた。どこか寂しげに見てくる三匹に、胸がキュっと音を立てる。もう一度三匹をなで、最後に、陽哉は小さな音を立ててキツネのような子の頭に着地したフロウディアを見た。
「それじゃ、フロウディア、本当にありがとな。突拍子もない異世界旅行、フロウディアのおかげで楽しむことが出来たよ」
「そうか」
聞き慣れたベルの高い澄んだ音が、別れの時を告げる。
「うん。フロウディアに助けて貰わなかったら、今頃冒険どころか死んでただろうし。これでお別れなのがちょっと寂しいけど」
「……」
「本当、感謝してる。それじゃぁ」
一際大きく辺りに響き渡った音と同時に、光が溢れた。その瞬間。
「ハル。またな」
「へ?」
さよなら、と続くはずの言葉を遮って、フロウディアが告げた。
光が、視界を埋め尽くす。最後に見たフロウディアの顔は、最初のほうに見た、どこかニヤリと笑っているような印象を受けるソレだった。
再び目を開けたとき、そこは店の中だった。変化は、開いていたドアが閉まっていたという事だけで、店の中に変わりはない。陽哉は慌てて、目の前のドアを開く。
そこにあったのは、毎日見る、コンクリートの道。元の世界の景色だった。
「……帰って来た」
夢でないことは、手に持つバッドに乗った数粒のシンプルなショコラが物語る。
「……ってか、あいつ、またって」
陽哉の小さな呟きを拾う者は、誰も居なかった。
人はそれを、フラグという。
元の世界へ戻り、少しの間唖然としていた陽哉だったが、時計の音にハッと我に返る。なんの掲示もなく開店時間が遅くなってしまったと、慌てて時間を確認したが、そこで気付いた。
「時計が、進んでない?」
時計が示すのはまだ9時前。正確な時間は覚えていなかったが、妹を送り出した時間と準備していた時間を考えても、ほとんど進んでいなかった。まさか数時間が数日とか? という嫌な考えも、カウンターにあったスマホに映る日付で進んでいないと安心する。そこで、やっとスマホも正常に戻っていると気付いた。
「……時間は進んでいない。ついでに冷蔵庫や冷凍庫、冷ケースの中身もまったく変化無し。けど、あの種でショコラを作った形跡だけは、残ってる。……やっぱファンタジーだなぁ」
厨房には、テオフルクの種を加工した時の痕跡もあったし、絞りかすとなった果肉も皮も残っていた。念のため、陽哉はそれらを袋に二重にしてからゴミ箱へ捨てた。こちらの世界では未知の植物でしかない。証拠隠滅するに限るだろう。
「チョコや材料が無事なのは嬉しいけど……なんか、どっと疲れた気がする」
安堵したことで、今まで興奮で感じていなかった疲れが体を支配する。けれどこれから開店時間。せめて店で働いてくれている幼馴染みが来るまでは頑張ろうと、陽哉は本当の意味で現実に戻った事を実感しながら、開店準備のために体を動かすのだった。
「ハル、それ、新作? こっち(バックルーム)に持ってきてるってことは試作品だね!」
「え、ああ、そんな感じ」
なんとか開店準備を間に合わせ、いつものように店を切り盛りする。ありがたいことにショコラ専門店ながらお客さんが多く、その忙しさでしばし異世界のことを忘れられた。
昼過ぎに幼馴染みの
「わー! 食べていい!?」
「こ、これはダメ!」
「えー、なんで? いつも新作は私と那月が試食してたじゃない」
「いや、でもこれはな」
「……どうしてもダメ?」
「うっ、だ、ダメだ!」
雪乃のおねだりに負けそうになりながらも、隙あらば手を伸ばそうとしてくるためにチョコを遠ざける。すると、そのバッドを持っていた手に、軽い負荷がかかったことに気づき、慌てて振り向いた。
そこには、あのショコラを口に含むもう一人の幼馴染み、
「なつ! お前!」
「那月ずるいっ!」
二人の抗議など気にすることなく口の中のチョコを味わう那月。いつもだったら怒る陽哉だが、今回ばかりは心配と焦りの方が勝った。彼が口に入れたのは異世界の産物なのだから仕方がないだろう。
「あ、那月、体はなんともないか?」
「……なんだよ。変な物でも入れたのか?」
「い、いれたというか、なんというか」
「別になんともない。相変わらず、お前はチョコ作りだけはうまいよな」
「ちょっと待て、なんだチョコ作りだけって」
「事実だろ」
「ハルが作るご飯もおいしいじゃない! ってことでハル! 私にもそれ食べさせて!」
「いや文脈繋がってないから、ってこら那月!!」
「うまいぞ?」
「お、おう、ありがとう。お前なんでチョコだけは素直に褒めるわけ? って、あー! 雪乃! お前まで!」
「ほいひーよー!」
「ありがとな! けど試作品でも許可なく食べるな!」
「いつもの事だろ? ここに持ってきたヤツは自由に食べて感想くれって前言ったじゃないか」
「そうだけど、そうじゃないんだってー!」
騒ぐ三人。幼馴染みであるこの三人にとって、これが日常であった。その中で唯一の非日常の産物が、すでに彼らの口に入ってしまったあのチョコレートである。
試作を作る度にバックルームで彼らに試食をして貰っていたことが仇となった。こんなことなら捨てておくか自分で食べてしまえばよかったと後悔する。
(今思えば、なんで警戒もせずに異世界の未知の食べ物食べたんだろ。俺自身なんともなかったけど、こっちの世界で食べちゃまずいとか、そういう可能性もあるし)
食べた理由といえば、もちろん陽哉のチョコ好きの暴走である。彼にとってあの種は、途中から未知の食べ物ではなく、ただの新しい素材であった。よくよく考えれば、恐ろしい行動である。
「本当に、なんともないか?」
「お腹痛くなったりしないから大丈夫だよ? それよりすっごいおいしいねこれ!」
「問題ない」
「……なら、いいけど」
「何をそんなに心配するんだ」
「う、うーん」
「まぁいい。腹壊したら責任とって別の新作作って貰うから」
「なんでそこで新しいチョコレートを要求するんだよ、普通要求すんのは金とかだろ」
「そんなものいらない」
「那月、ハル以上に甘党男子だし、ハルのチョコ大好きだからねぇ」
「……」
そっぽを向きながら、それでも口の中のチョコレートを味わっている那月、そんな那月をクスクス笑いながら見ている雪乃。そんないつもの日常に、陽哉の心がほっと緩む。
異世界という未知の領域から本当に帰って来れたのだと、改めて実感できる。
だからこそ、気になるのはあの最後の言葉。
「……また、か」
その【また】が現実になったのは、約二ヶ月後の事だった。
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