第2話 遭遇
自暴自棄にも近い形で外に出ることを決意した陽哉は、ものすごく不用心だが扉が閉じたら店がなくなる、という一番回避したい恐怖のために扉を開けて固定し、恐る恐る外を確認する。
まずは店の周り。店から数メートル離れた場所をぐるっと木々の緑が囲んでいて、見えるのは木々だけでその先に何かが見えることはなかった。林、と言う感じの薄さではなく、確実に森と表現することが正しいであろう木々の量。店は、森の中でぽっかりと空いた草地に建っていた。
「これは、目印なしに森に深入りしたら戻れなくなるな」
森へ入るべきか入らないほうがいいのか、どれが正解なのかも分からない。けれどこのままでいても何も進まない、そう決心した直後、今まで陽哉の声と風が木の葉を揺らす音しか聞こえなかった森に紛れて異音が聞こえた。
「……なんの音だ?」
徐々に鮮明に聞こえるようになったそれは、ガサガサと木々に何か当たる音。そしてバキバキと枝を折る音。さらには、重量感のある足音、のようなもの。明らかに、人が出す音ではない。それがゆっくりと、確実に近づいてきていた。
「……嫌な予感がするんだが」
予感は的中し、彼の前に、それは現れた。
「……グルルルルルッ」
黒い大きな巨体。鋭く光る目は赤く、剥き出しの鋭い牙。
「く、くま?」
確かにパッと見は熊である。けれど、その身体は傍にある木々と変わりないほど大きく、その異常な大きさと、普通の熊の数倍はあるであろう口の両端から伸びる二本の牙の鋭さが、疑問符の理由だった。
「イヤイヤイヤ、化け物じゃん。ちょっと待って、ここが異世界だったとしても、普通はこういう敵ってなんかこう、チートな力を手に入れてから出てくるもんじゃないの!?」
この時まで、心のどこかで異世界ではなく日本のどこかの森に移動させられた、という淡い期待があった。もちろんそれだって薄ら寒い体験ではあるだろうが、まだ神隠しとか言われて国内を移動したと言われたほうがよかったのだ。けれどこのモンスターの登場で、そんな淡い期待も粉々に打ち砕かれる。
これが異世界転移だとして、ファンタジーの定番の、死んで神様に会って力を貰ったとか、何か新しい力が目覚めたとか、そういうものは皆無である。陽哉は死んだ覚えもないし、神様に会った覚えもなければ、特別な力もない、チョコレート作りが得意な至って平凡な人間だと自負しているのだ。
そんな、平凡な人間の前に、熊(モンスターバージョン)
普通に考えて、絶体絶命だった。
熊モンスターが薙ぎ倒してきた木々がなくなれば、もう間に遮るものはない。頭では逃げなければ、隠れなければと考えは巡るが、ガクガクと震える足に脳の命令がなかなか届かない。
(逃げなきゃ、動け、動け俺の足!!)
やっとの事で足が動くも、巨大な身体の熊の1歩であっという間にその距離は縮まってしまう。そして振り上げられた太い腕に、陽哉は自分の死を覚悟した。
……その時だった。
「俺の縄張りで勝手なことしてんじゃねーよ」
男の声と共に、轟く轟音。そしてモンスターの空気を裂くように発せられた鳴き声。
陽哉は、轟音と共にモンスターの背後から放たれた、可視化された風の刃を確かに目にした。
大きな音を立てて白目をむいたモンスターが倒れてくる。……陽哉の方に。
「ちょ、やばっ」
足に力を入れるより早く、モンスターが覆い被さるように倒れてきて影が出来る。潰される! と思わず目を瞑ると、また、あの声が聞こえた。
「やれやれ」
次の瞬間に聞こえた、再びの轟音。バキバキっと木々をなぎ倒す音。
覚悟した衝撃が来ないことに恐る恐る目を開けると、目の前にはモンスターの影も形もなかった。代わりに、離れた木々の間にその姿が。ボロボロで横たわるのは、確かにあの熊擬きのモンスターだった。
「助かった、のか?」
遠目から見て起き上がりそうにないその様子に、はぁぁぁと深いため息がもれる。
「おい、礼の一つくらい言え」
明らかに自分に向かってかけられた声に、ビクリと肩を震わせて、すぐに自分が助けられたことに気付き、その言葉どおり御礼を言おうと、声が聞こえた方へ顔を向けた。
「あ、ありがとうございま、す? え、どこ?」
振り向いた先に、人の姿はない。
(え、もうどっかいった? まさか見えない幽霊、的な?)
「ここにいるだろ」
そんな心の声を聞いたかのようなタイミングで、再び聞こえた声。けれどやはり人影はどこにもない。
「え、ど、どこにいるんです?」
「だから……ここだ!」
聞こえたのは、パサリ、という小さな羽音。その音と声と共に目の前に現れたのは、白い、小さな鳥だった。
「へ?」
「ふん、やっと気付いたか」
足元に落ちていた太めの木の枝に着地したその小さく白い鳥は、その可愛い見た目と裏腹に、胸をはり、低い声と鋭い視線を陽哉に向ける。
「……ギャップが、ひどいっ!」
そのちぐはぐさに、思わず御礼や小鳥がしゃべるという驚愕より先に、そう叫んでしまった陽哉であった。
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