ショコラティエの異世界ミッション~異世界で作ったチョコは奇跡のポーションでした~

雛藤 ゆう

ショコラティエ転移する

第1話 ベルの音からの始まり






「じゃぁお兄ちゃん、行ってくるねー!」

「おう、気をつけてな」


 カランというベルの音を立てて開いた扉に手を添え、満面の笑みを浮かべる少女に優しい微笑みを向ける青年。


「さーて、今日も頑張るかぁ!」


 少女を見送り、ぐいっと伸びをした彼は己の仕事場を振り返る。お世辞にも広いとは言えないけれど、木目調を中心としたナチュラルテイストの暖かみのある店内とショーケース。そこにビシッと綺麗に並ぶ、ショコラと数種類のケーキ。そして壁際に並べられたクッキーなどの焼き菓子。それらを作るのが彼、登藤陽哉 とうどうはるや。小さな店ながら地域でも人気のあるショコラ専門店Lupinus ルピナス《の店主である。


 一通りショーケース内のレイアウトなどを確かめてから後ろの厨房へと入り、作業台の上に並ぶシンプルな丸いショコラを満足そうに眺めて、端に寄せてあった少し歪になってしまった失敗作を手にとる。形は歪だが、中身は他に並ぶショコラと変わらない。それを口に入れると、陽哉は目を閉じて口内でほどける甘さに幸せそうに顔をほころばせた。


「うん、これも上出来! 次の新作はコレをベースにしよう」


 日々甘いショコラに囲まれるこの仕事は、大の甘い物好きである彼の天職であった。今日も、いつものようにショコラやケーキを作り、来店してくれるお客様に笑顔にする。そんな代わり映えのない、けれど幸せな日常が繰り返させる。この時彼は、そう思っていた。


 けれど、この日は、その日常とはかけ離れた日々の、始まりだった。



―――― カラン



 店内に響いたのは、扉に付けられた小さなベルの音。扉が開けられたことを示すその音に、首を傾げる。


「今日雪乃は午後からだったけど、間違えて来たのか? それともお客さん?」


 開店時間はまだ少し先で、先ほど見送った妹以外に店を手伝ってくれている唯一のスタッフである幼馴染みの出勤時間はまだ先だし、材料を納品してくれる業者ならバックルームに繋がる裏口から声がかかるはず。もしや扉に掲げられているわかりやすい準備中の看板を見ずにお客様が来てしまったかと、作業の手を止めて厨房から出る。


「あれ?」


 けれどそこに、幼馴染みのスタッフも、客の姿もなかった。


(いたずらか?)


 害がないならいいか、と踵を返した時だった。その背を呼び止めるかのように、再び、小さなベルの音が鳴り響く。バッと振り向いた先。扉は、開いていなかった。


「え、な、なんだ?」


 扉は開いていない。扉の上部に付けられたベルは、扉の開閉の動作で鳴るはずなのに、ベルだけが、鳴っている。


 カランカランと響くベルの音。それも、その音を鳴らすベルが淡く光っているのを、確かに見た。


「ちょ、ちょっとまって、え、これあれか?ホラー、的なやつか?」


 映画などはそれなりに見ることが出来るが、実際体験した事はない。明らかに異常と分かる未知の現象に背筋が寒くなる。目をそらすことも出来ず鳴り響くそれを凝視する。どうするべきかとやっと思考がまわり始めた時、ベルは1度大きく鳴り、そして纏う光が大きくなった。


「まぶしっ」


思わず目を閉じてしまう陽哉。それは、おそらく数秒程度の短い時間だった。瞼を閉じてもわかった光が弱まったのを感じ、目を開くと、そこにはいつもどおりの店内。けれど、確かに感じる違和感。


(ベルは、もうなってないし光ってもいない。けどなんだ?この違和感)


ぐるりと店内を見渡して、その違和感の正体に気づく。


(窓から見える景色って……あんなだったか?)


 まだ開店前の為、ブラインドを下げた状態の窓。けれど完全に下まで降りている訳ではないので、わずかながらも外の景色が見える。その、見える景色がおかしかった。

 よくわからない状況に心臓の高鳴りと恐怖を感じながら、ゆっくりと扉まで近づく。数えられないほど開け閉めしたなんの変哲も無い扉のノブを触るだけで手が震えたが、意を決して、それを押した。


 開くドアにそってこぼれる光。そして先に見えたその景色に思わずドアを戻す。


「……いや、いやいやいや、おかしい。絶対におかしい」


 深呼吸して、もう一度扉を押す。本来であればすぐに見えるはずの灰色のコンクリートの道路も、その先にあるはずの住宅や店も姿を消し、代わりに見えたのは土の茶色、そして1面に広がる木々の緑だった。


ゆっくりと、再び扉を閉める。


「夢でも見てんのか? ……疲れてるのかな? 俺」


 アハハと乾いた笑いが漏れ、パンっと頬を叩いても感じる痛み。その痛みに更に嫌な感覚に陥りながら再び扉に手をかける。三回目に開かれたその先は一度目と二度目と変わらず、広がるのはコンクリートのグレーや家々の色ではない茶色と緑。そこは、確かに本来の店の前とは違う、森が広がっていた。


「どうしろっていうんだこれ。絶対お客さんこないじゃん」


 彼が思わず呟いたのは、経営者としては当然であるものの、どこかずれたそんな言葉だった。




 恐る恐る扉の外へ一歩出てみても景色は変わる事はなかったが、それ以上外に出る前に一度店の中、厨房の隣にある小さな事務所として使っている一室からスマホ取り出して色々と確認しようとした。

 けれど彼のスマホは、確かに直前まで充電していたにもかかわらずその画面が表示されることはなかった。何度も何度も電源ボタンを押したり、コードに繋ぎ直しても画面は暗いままでしばらく途方にくれる。

 思考は纏まることなく、いっそ一度眠れば戻れるのではとか色々と考える陽哉だったが、予想外の出来事があると人間の思考の中に答えが出ることはなく、ただただ暗いスマホを持って立ち尽くす。


「……とりあえず、店の中の確認、と外、がどうなってるのかの確認が先か」


 なんとか自分のやるべきことを無理矢理引き出し、とりあえず安全と思われる店の中を確認する。店の中は物の配置などは変わる事がなかったが、彼にとっては最悪なことが分かった。


「うっそだろ……電源が、入ってない」


冷蔵庫、ショーケース、チョコ専用の溶融機、その他諸々、電化製品のすべてに電源が入ることはなかった。


「……終わった」


 店が明らかに別の場所に移動しているという恐怖体験よりも恐ろしい出来事は、良くも悪くも陽哉の背中を押す。


「なんかもうどうでもいいや」


 人はそれを自暴自棄という。

 そこまでいってやっと、外の未知なる世界へと踏み出すのだった。

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