第2話 アンソロ主催者・久野連理

夕方17:00時。


 赤レンガ家屋風に建造された喫茶マノスの店内は若干控えめなライトに照らされ、他に女性同士の客数組の姿しか見えない。

 なるほど、打ち合わせに向いた隠れ家的なお店だ、と指定された座席に座りながら感心する小波に、透明感のある声がかかった。


「呼び出しておきながら遅れてしまい大変申し訳ありません、サークル『百花繚乱』の久野連理です」


 小波に頭を下げたのは、腰までゆるやかに伸ばした漆黒の髪と、対照的に絹のように白い肌をした身長160程度の、比較的背の高い細身の若い女性だった。コンサバ系のベージュのジャケットを着こなしており、一般職ではないが仕事帰りの様子。

 整った佳人の装いを理知的な銀縁フレームの眼鏡で包んだその顔立ちは、いわゆる文学少女が文学女性に育ったらこうなるのかというイメージに沿う物であり、冷気にも似た硬質の色気を纏っている。

大人の女性だぁ、としばし見惚れたのち、小波はぎこちなく挨拶を返した。


「ふ、藤代小波です。この度は、よ、よろしくお願いします」


 小波の挨拶に対して、可愛いものを見たという風にわずかに口の端を笑わせ、連理は対面に座りブレンドコーヒーを注文して、面接を開始する。


「私のサークルでは毎回5本程度の中編小説をアンソロジーにまとめて冊子として刊行しています。作品名はすべて女性の名前で統一していますが、作風は少女趣味から性的な描写を含む濃いものまで幅広いです。ですが骨子は百合です」

「百合ですか」

「百合です。そこは主催者である私的に絶対譲れない点ですね。百合でなければ芥川賞受賞レベルの作品であっても掲載しません。その点、小波さんは以前から百合小説を書いていらっしゃると伺ったので、問題はないかと思いますが……」


 探るような、触感を持った連理の視線に対し、小波はわずかに動揺しながら回答する。


「は、はい。今日持ってきた同人誌は百合的なものが多いです」

「良いですね。では早速目を通させていただいてよろしいでしょうか?」

「はい、お願いします」


 連理は渡された冊子を、パラパラと音が鳴るほどに恐ろしい速さでめくりながら読み終えると、今度は再び最初のページからゆっくりと読み始める。

連理のダークブラウンの瞳が文字を追うたびに静かに動き、白く細い指先が紙面をめくるたびに軽く揺れる。

 30分ほどしてすべてを読了し首肯する連理に、小波はおずおずと質問した。


「ど、どうですか?」

「そうですね……良いと思います。いかにも女子校育ちという雰囲気の、世慣れていない文章スタイルが私的に気に入りました。全体的にハッピーエンドが多いのは読後感を大切にしているからでしょうか?」

「それもありますけど、女の子同士の恋はやっぱりハッピーエンドで終わって欲しいなって言う、私の欲がありまして」

「なるほど、小波さんは理想家ですね。私はそういうの嫌いじゃないですよ」


 嫌いじゃないですよ、という言い方に例の硬質な色気が多分に含まれていて、小波は一瞬、名状しがたい感情を抱いた。

 目の前で小説を読まれるというのは、自身の全裸を見られるのに等しいことだと小波は今更ながら気付き、どうしようもないほどに赤面してしまう。

 そんな小波の心の動きに気付いた様子を見せず、連理は続けた。


「……ただし百合は深い。近年流行っている殺伐百合などの中にはどうしようもなく悲恋に近しくなる舞台設定もありますし、そもそも百合のハッピーエンドとはなにかという疑問もあります。例えば女性同士の婚姻、百合婚がゴールか? それって封建的で男性的な価値観に迎合している可能性がありますよね。小波さんにはもっと百合の多様性と向き合って欲しいな」

「は、はい」

「ですが先ほど申し上げた通り、小波さんの作風は世慣れていないのが魅力ですので、中々難しいところではあります」


 2杯目のコーヒーを飲みながら黙考する連理。金縁の白いカップにつけた連理の口元に、わずかに塗られたリップを眺める小波。


 しばしの間が空いて、連理の方から話し始める。


「決めました。私は主催者という名目で内容に踏み込み同人の編集作業をしていますが、是非小波さんと協力し合って一本の作品を作りたい。ちょうど『百花繚乱』に掲載する予定の作品リスト、その100作目が空いています。あなたを100作目の芸術作品、いや作家として私の手で完成させたいと思っています。一緒に頑張りませんか、小波さん?」

「こちらこそよろしくお願いいたします!」


 連理の差し出した右手を握る小波。冷え性なのかわずかに冷たい連理の手の温度すら、彼女に作家として肯定された今の小波には、心地よく感じられた。

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