猫裁判
岫まりも
(猫裁判)
「ねえ、あなた、覚えてる?」
やけに色っぽい声で、そいつは訊いた。「覚えているでしょ? 先週の金曜の夜、あなた、
決めつけるような言いかたに、うんざりして、
「違うよ。何度も言わせるなよ。その晩、おれは、
「本当に?」
「本当だ」
京介がにらみつけると、そいつはしばらく沈黙した。
暗闇のなかに、金色に光る目しか見えない。
猫の目だ。
そう、猫がしゃべっているのだった。
それもメスの猫。
ここは、十年来使われていない廃工場だ。
時刻は夜の十時ごろ。
京介は、プロレスラーみたいなデカい男に、無理やりここに連れてこられた。いまは手足を縛られ、壁を背にして、床に腰をおろしている。
京介の前方には、工場の設備らしい大きな機械が置かれている。猫はその上に乗っているようだ。
ようだ、というのは、京介が背にしている壁の窓から、かぼそい光が入ってくるものの、その光が届くのは機械の足元までで、その上のほうはよく見えないからだ。
ただ、機械の上の暗がりに、二匹分の、金色に光る猫の目があって、京介を見おろしていることはわかる。一メートルくらいの高さのところだ。
そのほかにも、床や、少し離れた場所に置かれた機械の上に、光る目が二十匹分ぐらいはあって、京介を取り囲んでいるのだった。
猫裁判――。
と、先ほど、機械の上にいる二匹のうちの、オスの猫が告げた。「これは猫裁判です」と。
彼が裁判長で、先ほどのメス猫が検察官なのだという。
裁判なら弁護士はどこだ、と
ばかばかしい。
と、京介は思う。まことにばかばかしいが、縛られ、猫に
「おい、あんた、なんとか言ってくれよ」
京介は、少しはなれた場所に呼びかけた。
そちらの壁際に机と椅子が置いてあり、スキンヘッドで、薄いTシャツの下から、プロレスラーのように筋肉を盛りあがらせた男が座っている。京介をここへ連れてきた男だ。
だが彼は、耳にさしたワイヤレスイヤホンで、アップテンポの音楽を聞いているらしく、京介の呼びかけには応えず、音楽に合わせて体をゆするばかりだ。
「あの男は、わたしの召使い。助けを求めてもムダよ」
検察官のメス猫が説明する。
召使いだと?
京介はいぶかった。だが、あんなゴツイ奴こそ、意外に猫にはふにゃふにゃの骨抜きになるのかもしれない、と思いなおした。
「さて、裁判を進めましょう」
検察官のメス猫が話を引きもどす。「加賀京介、あなたは先週の金曜の夜、恋人である辻本杏奈のアパートへ行――」
「行ってないんだよ、おれは」
メス猫の言葉をさえぎって、文句を言う。
たちまち、裁判長のオス猫の叱責が飛んだ。
「静粛に。被告人は検察官の許可があるまで、しゃべらないように」
まじめでインテリという印象の声だった。
京介がしぶしぶ口をつぐむと、メス猫が話を再開した。
「あなたは、辻本杏奈があなたの子を妊娠していることを知り、中絶するように迫った。しかし、彼女は拒否した。カッとなったあなたは、彼女を階段から突きおとした。彼女は死んでしまった。あなたはすぐに現場を引きはらい、ドラッグを売りつけている客、石田亮太のもとを訪れ、アリバイ工作を頼んだ。どう? 加賀京介、この通りよね?」
「だから、違うって。わからない奴――いや、猫だなあ」
「まあ、でも、そんな人間の事件なんて、実はどうでもいいの。問題は、あなたが辻本杏奈のアパートから車に乗って逃げるとき、一匹の猫をひき殺したことよ。彼は、わたしたちの心の支えになっていた、長老の猫でした。どう、思い出した?」
「な……」
猫をひき殺した、だって?
京介は一週間前のことを頭に思いうかべた。
階段の下で、動かない杏奈を見て、すっかり怖くなった。すぐに、そばの空き地にとめてあった車に飛び乗って、エンジンをスタートさせた。空地から出たところで、なにか黒い影が車の前を横切って……。
「あれか……」
思わず声が出た。
「思いだしたのね?」
「い……いや、違う。ただのひとり言だ。おれは、あの晩、杏奈のところへは行っていない」
京介はあわてて否定する。へたに白状したら、ヤバそうな気がするのだ。
「しぶとい男ね」
「しぶといもなにも……とにかく、おれにはアリバイがあるんだからな!」
京介が力説すると、まわりから「ふにゃふにゃ」という鳴き声がいっせいにあがった。すぐに、それは猫の笑い声らしいと気がついた。それも、軽蔑の笑いだ。検察官の猫も、裁判長の猫も笑っている様子だ。
「なんだよ、なにがおかしい?」
京介がどなると、猫たちを代表する形で、機械の上から、検察官のメス猫が答えた。
「だってぇ、おっかしくってぇ。わたしたち猫に、人間のアリバイなんて、なんの意味もないもの。さ、調査官、調べたことを発表してちょうだい」
メス猫の命令を受けて、まわりを取り囲んでいる光る目のうちの一対が動いて、窓から差しこむ光の下に出てきた。茶色い毛並みの猫だった。
意外に大きいな、と京介は思った。一抱えもあるほどの大きさだったのだ。
茶色の猫は、機械の上に向かって申したてた。
「はい、検察官どの、申しあげます。この男の所有する車のタイヤに、血がこびりついていました。その血の匂いをかいだところ、われらの長老のものでした。よって、この男が長老をひき殺したことは間違いない、と判断します」
とたんに、まわりから「んオーオ」といううなり声があがった。怒りを含んだ声だった。
「なっ、なんだよ、それはっ。匂いなんて、そんなもの、証拠になるのかよっ」
わめく京介に、裁判官の猫が、おごそかに説明した。
「加賀京介、もう一度申します、これは猫裁判なのです。猫には猫の法があるのです」
「わかったかしら?」
検察官の猫が色っぽく、かつ、イヤミったらしくそう念をおすと、続けた。
「それがわかったところで、あらためてお尋ねします。加賀京介、あなた、先週の金曜の夜、辻本杏奈のアパートへ行ったわよね?」
「し……知らねえよ。おれは、石田亮太のところにいたんだ」
「本当に?」
「本当だって言ってるだろ」
「本当に、本当?」
「本当に本当だよ」
ふいに、検察官のメス猫が「ふふふ」と笑った。いや、正確には「ふふふ」ではないかもしれないが、京介にはそう聞こえた。なんだか、ぞっとする響きだった。
「加賀京介?」
「なんだ?」
「あなた、なにか気がつかない?」
「なに……?」
メス猫は、よく見えないけれど、ニヤニヤと笑っている気配があるばかりで、それ以上の説明をしてくれない。
なんだ? なにを言ってるんだ?
京介はきょろきょろとあたりを見まわした。
なにも特別なものは見えない。
調査官とか言ったさっきの茶色の猫も、すでに暗闇にひっこみ、暗闇のなかに猫たちの金色に光る目が並んでいるばかり。スキンヘッドの男は、向こうのほうで、相変わらず音楽に合わせて体をゆすっている。なにも変わりはない。
なんだ、ただの脅しか。
そう思って、ほっとしかけたとき、ふいに気がついた。
「なに?」
驚きの声をもらす。
「ふふふ、気がついた?」
「いや……そんな……」
目の前の機械が、最初のころと比べて、何割か、大きくなっている。機械の上にいる猫の位置が、数十センチ高くなり、まわりを取り囲む猫の目が、大きくふくらんだように見える。そして、向こうのスキンヘッドの男も、机も椅子も、やはり、大きくなっているのだ。
というか……おれが小さくなっている?
検察官のメス猫が、皮肉っぽく言った。
「わかった? あなた、縮んでいるのよ? 猫裁判ではね、嘘をつくたび、体が縮んでいくの。体も、着ている服も、靴も、みんなね。もちろん、これからも嘘をつくたびに、どんどん縮んでいく。さあ、加賀京介、尋ねるわよ? あなた、先週の金曜の夜、辻元杏奈のアパートへ行ったわよね? そして、そこから去るときに、猫をひき殺したわよね?」
「知らない、知らない、そんな、おれは……おれは、あの晩、石田亮太と呑んでいたんだ。本当なんだよ」
京介は必死に否定した。パニックを起こして、何度も何度も否定した。
そのたび、彼の体は縮み、相対的に、猫も、機械も、工場の建物も、どんどん大きくなっていく。
そして、否定を続けたために、体が猫よりもずっと小さくなってしまったころ――。
ようやく京介は白状した。
「……そうだよ。おれが、
顔中を、涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしていた。
「はい、裁判長、被告人が犯行を認めました」
「よろしい。では、判決を言いわたす。被告人、加賀京介を有罪とする。準備ができしだい、処刑を開始する」
冷酷な声だった。
「お……おい、処刑、って、それ……?」
京介の疑問には答えず、検察官のメス猫が、スキンヘッドの男に呼びかけた。
「ねえ、お願い。こいつの縄を切ってやって」
スキンヘッドの男は、音楽を聞いていたくせに、猫の声だけは聞こえるらしい。机の上からハサミを手に取って、立ちあがった。大股で歩いてくると、すっかり小さくなった京介のそばにしゃがみこみ、ハサミで、京介の縄を切った。
手足が自由になると、京介は血行のとどこおった手首をさすった。おびえて、視線をあたりにめぐらす。
そんな彼に向って、裁判長の猫が告げた。
「では、被告人に説明する。いまから五つ数える。どこにでも逃げなさい。五つ数え終わったら、人間狩りの刑を開始する。ひとーつ」
京介はぎょっとした。すぐには頭が追いつかない。
その間に、裁判長が「ふたーつ」と数えた。
「うわっ」
叫んで、京介はよくわからないまま走りだした。
窓からのかぼそい光を頼りに、出口へ向かう。
すっかり小さくなってしまった彼にとって、出口ははるかに遠かった。
背後で、「みっつ……よっつ……」と、無慈悲にカウントが続く。
そして、ついに「いつーつ」という声が聞こえた。
とたんに、背中に、ドーンという圧力とともに、激しい痛みが加えられた。
たまらず床に転がった。
間をおかず、巨大な猫の足がのしかかってきて、そこから突き出た大きな爪の列が、京介の腹に突き刺さった。猫による人間狩りだ。
「ぎゃあっ!」
いまや京介にとってライオンよりも大きくなった猫が、目の前で大きな口を開いた。
口のなかに見えるのは、もはや歯などではなく、牙ではないか。
工場内に、あわれな悲鳴があがるのを聞きながら、検察官の猫がつぶやいた。
「バカな男ねえ。もう少し早く白状していたら、ちょっとは助かる見込みがあったのに」
〈了〉
猫裁判 岫まりも @Kuki_Marimo
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