第20話 決戦! 柚子崎ビーチフェス(後編)

 楽屋代わりのタープテントを出て、ステージへ上る階段脇で出番を待つ。

 機材の入れ替えのため、スタッフが慌ただしく駆け回っている。

 間もなくボクたち、空想クロワールのステージが始まる。

 日は西に傾き始めているけれど、日差しはまだ衰えていない。ジリジリと肌を焼く感覚。火照った肌を、吹き抜ける潮風が冷ましていく。

 ステージ上では、一つ前のバンドの演奏が終わったところだ。間もなく、審査結果が発表されようとしている。

 司会が読み上げた点数は、八八点だった。暫定王者アウスレンダーが叩き出した九七点には、遠く及んでいない。

「マジかよ。やっぱり強いな」

「九七点とか、そうそう出せませんもんね」

 そう、ブッチギリの最高得点で、リンカさんたちが暫定王者の座を守り続けている。ボクたちがアウスレンダーを倒すためには、九七点という化け物じみた点数を超えなければならない。

「あんな点数、超えられんのか?」

「超えられるかじゃないだろ? 超えるんだよ!」

 そう言ってヒデさんが笑う。

「そろそろだな。行くか……」

 ヒデさんの言葉に、四人は円陣を組んで手を突き出す。四人の手を重ねて目を閉じると、この三ヶ月の出来事が走馬灯のように駆け抜けていった。

 全ては、ヒデさんの壁ドンから始まった。

 ユキホに背中を押されて、空想クロワールの一員となった。

 初ライブに向けた練習。対決には惨敗して悔し涙を飲んだ。

 フェスでの優勝を誓っての再起、そして特訓……。

 夏合宿に入ってからも、本当にいろんなことがあった。合宿を通じて、メンバー同士が通じ合えるようになった。一体感とでも言えばいいのだろうか。こうやって手を重ねていると、皆の思いが流れ込んで来るようだ。

「楽しもうぜ。そして楽しませよう。そのための力は、すでに在るんだから」

 皆が力強くうなづく。

「大丈夫。努力は決して裏切らない」

 そう言うとヒデさんは、息を吸い込み目を閉じた。

 次の瞬間、客席に届くほどの大声で叫ぶ。

「空想クロワール! いくぞ!」

「おう!!」

 メンバー全員、気合い充分だ。


 ステージの上に立ち、客席を臨む。

 千人か、二千人か、はたまた三千人か、いったいどれくらいのオーディエンスが居るのだろうか。ステージ前のスタンディングスペースに、続々と観客が押し寄せてくる。

 スタンディングスペースの後方でも、レジャーシートに座ったり、クーラーボックスに腰かけたり、たくさんの人たちがステージに注目している。

 人波の向こう側には、青い海が陽の光を受けて輝いている。そして海と同じくらい青い空、沸き立つ真っ白な雲……こんな開放的な場所でライブができるだなんて……どんなステージを演ることができるのか、期待に胸が膨らんでしまう。

 最前列にいる男性の集団が、ステージを見上げて騒いでいる。彼らの視線の先には、どうやらボクのスカートが在るようだ。スカートの中がちょうど、見えそうで見えない位置なのだろう。彼らの気持ちはよく解る。見えそうで見えないスカートがあれば、男ってのは本能的に覗いてしまう生き物なのだ。

 男性客たちに手を振って、ドレスの裾を少しだけ持ち上げてみる。すると、驚くほど大きな歓声が返ってきた。彼らはボクが男だと知ったら、どんな顔をするのだろう。想像すると、可笑しくなってしまった。

 リラックスしている。驚くほどに。

 開放的なステージのおかげだろうか。それとも、積み重ねてきた練習のおかげだろうか。不意にキラービーでのライブが思い出される。あのときは何もかもが初めてで、頭が真っ白になってしまった。今から考えれば、余裕なんてまるでないステージだった。

 モニタースピーカーの陰に貼りつけた、セットリストを見遣る。五曲の曲名が書かれたセットリスト。今日はアップテンポのナンバーだけを選んでいる。割り当てられた時間は、二十分と短い。MCを挟まず、バラードで緩急を付けることもなく、張りつめたテンションのまま一気に駆け抜ける作戦だ。

 スタンバイが終わる。

 メンバー全員で顔を見合わせ、うなづき合う。

 PAのタープテントにOKサインを送る。

 会場に流れていたBGMが絞られる。

 始まる……。

 ユキホがスティックを打ち鳴らす。

 カウントに合わせ、イントロのフレーズが鳴り響く。

 ドラムとベースの低音が、ギターの歪んだ音が、体の芯を震わせる。

「ボクたちのステージへようこそ! 空想クロワールです!」

 イントロをバックに、オーディエンスを温めていく。

「思いっきり楽しんでいってください!」

 叫んだ後、天を仰いで目を閉じる。

 両手を広げて宙を抱く。

 オーディエンスの歓声を耳に、静かに息を吐き切る。

 刹那のブレス。

 右手を掲げて天を指し、会場をつんざくシャウトを放つ。

 観客が息をのむ。

 水を打ったように客席が静まり返る。

 シャウトを放ちきった瞬間、爆発的な歓声が巻き起こる。

 一瞬にして魅了する。

 二千だろうが三千だろうが関係ない。誰一人として逃しはしない。

 オーディエンスの熱気が、いきなりレッドゾーンに叩き込まれる。

 ユキホのドラムが、ノリさんのベースが、ヒデさんのギターが、そしてボクの歌声が、客席をさらなる狂乱へといざなっていく。押し寄せるオーディエンスの波がぶつかり合い、興奮の渦がビーチ全体を巻き込んでいく。

 激しい衝動が体をつき動かす。オーディエンスが放つ熱に煽られて、ボクのテンションも上がりっぱなしだ。

 けれども頭の芯が、驚くほどに醒めている。爆音と熱狂の中に在って、メンバーの息づかいが聞こえてきそうなほど冷静だ。

 リズムを、メロディーを、ハーモニーを、まるで元から一つの楽器であったかのように、完璧に重ね合わせていく。

 ドラムを、ベースを、ギターを、そしてボクの歌声を、一つの音楽に束ねあげていく。渾然一体となった四人のグルーブは観客を熱狂させ、観客の熱狂からまた新たなグルーブが生まれる。

 ボクたちの音楽は止まらない。

 観客と一体になり、トップスピードのままで駆け抜けていく。

 ギターソロを終えたヒデさんが、その場に楽器をおろす。ノリさんの舌うちが聞こえてきそうで、思わず苦笑してしまう。

 すかさずユキホが、ドラムをソロフレーズへと切り変える。ヒデさんがオーディエンスの波へ飛び込もうとする。

 呼んでいる。

 オマエも来いと呼んでいる。

 ボクに向かって手を伸ばして呼んでいる。

 ためらうことなくその手を取る。

 手を握り、客席に向かって全力で駆け出す。

 真っ青な空を目がけてダイブを決める。

 熱気の中に溶け出してしまいそうな浮遊感。

 体の境界が曖昧になる。

 オーディエンスの狂乱の渦に、ボクたち二人が飲み込まれていく。

 無数の手が突き上げられ、ボクとヒデさんを受けとめる。

 観客の波間を揺蕩たゆたいながら、二人で顔を見あわせる。呆れるほどの大笑い。ヒデさんが笑っている。きっとボクだって、馬鹿笑いしているはずだ。

 オーディエンスの波に揺られながら、思考力がゼロになった頭の中で「この瞬間が永遠に続けばいいのに」そんなことを考えていた。


 あっという間だった。

 気がつけば、ボクたちのステージは終わっていた。

 演りきった。

 積み重ねてきた全てを出し切った。

 演奏を終えたボクたちは、ステージの最前で観客に向かって並び立つ。

 いつまでも醒めやらぬオーディエンスの熱狂を制して、司会が結果を発表する。

「九七点!!」

 アウスレンダーと並ぶ高得点に、オーディエンスが再び沸き立つ。

「同点とはな」

 つぶやいて、ヒデさんが唇を噛む。

 司会がアウスレンダーの名を呼び、メンバー三人をステージに上げる。最高得点を叩き出した二つのバンドが、ステージ上で相対する。リンカさんの表情が険しい。

 司会が叫ぶ。

「五人の審査員による、決選投票をおこないます!」

 審査員たちが、次々に登壇する。柚子崎と鷺丘のライブハウス関係者たちだ。シドさんの姿も見える。一番最後に、ステージへ上がってきた。

「お一人づつ、どちらのバンドに投票するか伺っていきます」

 司会が一人目の審査員にマイクを向ける。

 審査員が、迷いを断ち切るように声を発する。

「空想クロワール」

 その言葉に、オーディエンスが沸き立つ。

 まずは一票。いい滑りだしだ。

 次の審査員へとマイクが向けられる。

「アウスレンダー」

 一対一。

 大丈夫、並んだだけだ。

「アウスレンダー」

 これで一対二。

 次の審査員がアウスレンダーに投票してしまえば、ボクたちの負けが決まってしまう。

 四人目の審査員は、マイクを向けられてなお迷っている様子だった。やがて宙を見上げ、ようやく投票の言葉を絞り出す。

「空想クロワール」

 ビーチ全体が大きくどよめく。

 二対二だ。

 これで勝敗の行方は、五人目の審査員シドさんに委ねられることになった。

 マイクを向けられたシドさんが、肩をすくめて溜息を吐く。

 そして次の瞬間、司会からマイクを奪い取って叫ぶ。

「オマエら! 今年のフェスは最高だな!」

 シドさんの声が、ビーチ中に響きわたる。

 この街のオーディエンスで、シドさんを知らない奴なんて居ない。突然のマイクパフォーマンスに、客席から割れんばかりの歓声が上がる。

「つまんねぇことになったな! オレの投票で優勝が決まるなんてよ!」

 観客の前を行き来して、大きな身振りで訴えかける。

「もう、どっちも優勝でいいんじゃねぇか? どうだ、オマエら!」

 そう叫んで、オーディエンスをあおる。

 客席から、大きなブーイングが湧き上がる。

 その声にシドさんは、満足げに頷いた。

「そうだよな! 勝負のカタはつけなきゃいけねぇ! そうだろ?」

 観客たちが口々に叫ぶ。

 そうだ、決めろ!

 どっちだ! シド、どっちだ!

「いいだろう、選んでやる! このフェスの勝者は……」

 沸きたっていた観客が静まり返る。

 ただただ、シドさんの言葉を待っている。

 ボクたちだって、そしてリンカさんたちだって、祈るような気持ちで待っている。

 会場全体が固唾を飲んで見まもる。

 やがてシドさんの声が高らかに響く。

「勝者! 空想クロワール!!」

 地が割れるかと思うほどの大歓声が、オーディエンスから巻き起こった。

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