第15話 男の子、女の子(前編)
エグゾーストノイズを響かせながら、赤いアウディーが峠を上っていく。きつい坂道ををものともせずに、スポーツタイプのクーペは力強く走り抜ける。
頂上に差しかかったとき、車は脇のカフェへと進路を変える。何度か切り返した後カフェの駐車スペースに収まったアウディーは、ひときわ大きく吠えた後にエンジンを止めた。
運転席に座る女性が腕時計を見遣る。高台のカフェ『ル・ミリュウ 柚子崎』で十三時。待ち合わせの時間には早いが、サアヤは店の中で二人を待つことにする。
ドアを開けると、焼けたアスファルトの熱気が流れ込んできた。七月も終わりに差し掛かり、猛暑日が続いている。正午を過ぎ、まもなく気温もピークに達しようとしているところだ。それでも高台である分、そして緑に囲まれている分、街中よりも過ごしやすい。
「いらっしゃいませ、
店に入るとすぐに、馴染みの男性スタッフが歩み寄ってきた。
予約している旨を伝えるまでもなく、すぐに席へと案内される。この店のスタッフは皆が若いが礼儀正しく所作美しく、よくもここまで教育が行き届くものだと感心する。
店の中を抜け、スタッフの案内に従いテラスへ出る。何も言わずとも、大きなパラソルが影を落とす席に案内してくれた。
この陽気に好んで外に出る客は少ないようで、昼時だと言うのにテラス席にはサアヤの他に一組の先客があるのみだった。汗をかくほどの陽気かと覚悟していたのだけれど、渡る風が思いのほか爽やかで日陰であればさほど暑さを感じることはない。後から連れがくることを告げ、アールグレイをアイスでオーダーした。
サアヤは、この店のテラス席を気に入っている。テラスに出るつもりで、UV対策も念入りにしてきたし、サングラスとツバ広のハットで武装している。日陰が得られなかったときの準備として、日傘はもちろん薄手のカーディガンまで用意している。それだけの準備をしてでも、テラスへ出るだけの価値がある。街の喧騒から離れて緑に囲まれ、山を渡る風に身を預けながらお茶を頂く……ささやかながらも贅沢を感じる時間が、人生には必要なのだとサアヤは考えている。
この店のテラスからは、柚子崎の街を一望することができる。街並みの向こうには、蒼く煌めく太平洋が広がっていた。時折海岸線に沿って、二両編成の車両が横切るさまが小さく見える。
眺望を堪能していると、よどみない所作でアイスティーがサーブされた。
スマートフォンを手に、ヒデからのメッセージを確認する。「飯いきません? ジュンも連れていくんで」から始まる一連のやり取り。五月にヒデと食事したとき、二人が仲良くなったら一緒にご飯を食べよう、確かそんな約束をしたはずだ。
ピロートークの他愛もない約束だったけど、こうして守ってくれるとは相変わらず律儀な子だ。そして約束を守ったということは、きっと二人は仲よくなったのだろう。喜ばしいことだとは思ったが、ヒデにアプローチしながら袖にされ続けているサアヤとしては複雑な心境でもあった。
メッセージに目を通していると、スマートフォンが震えて新しいメッセージの着信を知らせる。送り主はヒデで、店の近くで待機しているとあった。腕時計を見やると、約束の時間の五分前だ。早すぎず、遅すぎず、見かけに依らないヒデの生真面目さを、サアヤはとても気に入っている。テラスに居るから入っておいでと返信した。
程なくして、スタッフに先導されて二人の男の子が姿を現す。
「早いっすね、サアヤさん」
スタッフの後ろでヒデが手を振っている。ヒデの後ろには、サアヤの見知らぬ男の姿が在った。これが噂のジュンくんか、そう思って手を振り返す。
「よく来たね。遠かったでしょ」
二人を迎え、テーブルを挟んで席に着く。
「ジュンくんでいいかしら? アタシは下の名前で呼んでくれてかまわないからね」
「それじゃ、サアヤさんと呼ばせてもらいますね」
そう言ってジュンがはにかむ。
会ってまだ二、三言しか言葉を交わしていないが、サアヤは愛らしさすら感じるジュンの容姿や所作に驚いていた。
ヒデも顔立ちが整っているが、どこか野性味が感じられて男性として美しい印象だ。でもジュンは中性的、いや女性的な魅力にあふれている。顔立ちの幼さや可愛らしさはもちろん、声やしゃべり方、そして立ち振る舞いから滲む美しさがとても女性的なのだ。
ヒデが気に入るのも無理からぬことだと思った。並んで座る二人が、お似合いのカップルのように見えてしまう。ヒデを可愛がっているサアヤとしては、彼を取られてしまったようで面白くはない。嫉妬心が芽生えていることに気づき、サアヤは慌てて取り繕う。
「二人とも、どうやって来たの? バス?」
「自転車だけど?」
さも当然といった風にヒデが答える。
「あの坂道を、自転車できたの!?」
「クロスバイクだし、そんなに大変じゃないですよ。なぁ、ジュン」
「いや、ボクはもう、二度とごめんですね」
「なんだよ、情けないなぁ……」
「そんなに頑張ったんじゃ、お腹空いてるでしょ。アタシの奢りだから、好きなの食べてね」
二人がメニューを開き、「ヒデさん何食べます?」「ジュン、これ旨そうだぞ」などと言い合いながら選んでいる。様子のいい男の子が二人、陽の光がこぼれるテラスで仲良くランチの相談……なんて微笑ましい光景。先ほどの嫉妬心なんてどこへやら、思わず頬が緩んでしまう。
ヒデがハンバーガーセットを、サアヤとジュンはキッシュのセットをオーダーした。ほどなくして料理と飲み物がテーブルに並ぶ。
「旨そう!」
ヒデが真っ先に手を伸ばし、ハンバーガーに齧り付く。
「ヒデさん、がっつき過ぎですよ」
「そういうのいいから、お前も食えよ」
「もう、ほら、横からソースこぼれてるし」
「え、マジ? げっ、手に垂れた!」
何だこの夫婦漫才。何だこの世話焼き女房。こんなに仲よしになっているなんて、いったいどんな魔法を使ったのだろうか。
「なんか二人、とっても仲良しみたいね」
「合宿で四六時中一緒に居ますからねぇ。仲良くなきゃ、やってられませんって」
「今日は練習お休みなの?」
「そそ。たまには休みも必要!」
指についたBBQソースを舐めながら、ヒデが答える。
「ジュンくん。この子、壁ドンして勧誘したんでしょ?」
「な、なんで知ってるんですか!」
ジュンがジロリとヒデを見遣る。
ヒデは気づかないふりをして、ハンバーガーに齧り付いていた。
「驚いたでしょ。ごめんね、この子お調子者で」
「なんでサアヤさんが謝るのさ」
無関心を装っていたヒデが割って入る。
「おかげでボク、学校ではヒデさんの彼女ってことになってますよ」
思わず笑ってしまう。でもジュンの容姿であれば、彼氏じゃなくて彼女という扱いになってしまうのも納得だ。
「ジュンくんってさ、すっごく可愛い顔してるよね」
もちろん、褒めたつもりだった。
しかし、わずかにジュンの表情が曇る。
「サアヤさん。それ、ジュンの地雷……」
隣でヒデが、大げさに天を仰いでいた。
「ごめん。もしかして顔のことで、辛い思いをしてきた?」
しばしの沈黙。
やがておもむろに、ジュンが口を開く。
「……そうですね。小学生の頃からずっと、からかわれてきましたし」
「そっかー。アタシも、容姿じゃ結構やられたよ。女子校だったしさ、足の引っぱり合いが凄かったもん」
「女子校だと、なんだかドロドロしてそうですね」
「ほんと酷かったよ。大学ははさすがに、そういうのなかったけど。逆に男の子にも女の子にも、ちやほやされ始めちゃったりして。でも、それまで悪く言われ続けてきたからさ、容姿を褒められても素直に喜べなかったよね。なんでそんな嘘つくんだろうって、そんな風にしか思えなかったよ」
「そんな。サアヤさん、お綺麗なのに……」
「あら、ありがと。お世辞でも嬉しいわ」
「そんな、お世辞なんかじゃ……」
身を乗りだしてジュンが慌てる。
「解ってるって。ありがとね、ジュンくん」
この子、とても真面目でいい子だ。すごく面倒を見てあげたくなってしまう。
「それでね、時間が経つにつれて冷静に受け止められるようになってきたのね。もしかすると本当に褒めてくれてるのかなって。少しづつそう思えるようになってきたかな」
ジュンはきっと、自分に自信が持てずにいるのだろう。容姿のことだけではなく、全てにおいて自信が持てないのだ。少しだけ自信を持つことを覚えれば、もっと楽に生きられるんじゃないだろうか、そんな風に思ってしまう。
「ジュンくんもさ、せっかく可愛く生まれてきたんだからさ。もっと自信を持ってもいいと思うな、驕らない程度にね」
頷きながらも、納得はできていない様子だ。
そうなのだ。いくら言葉を重ねたところで、決して届くものではない。そんなことは、サアヤにも解っていた。他人に言われて、納得できることではないのだ。時間をかけて自分で認識を変えていくか、何かの切っ掛けで一気に認識が書き変わるようなことでもなければ、納得なんてできる訳がない。
「あ! いいこと思いついた!」
手を叩くサアヤを、ヒデが訝しげに見詰める。
「ジュン、気をつけろ。どうせ、
「失礼ね。とってもいいことですぅ!」
「ほうほう。お聞かせいただけますでしょうか。そのいいこととやらを」
「棘があるわね。まぁ、いいわ」
テーブルの向こうへ手を伸ばし、サアヤの指先がジュンの頬に触れた。
何をされるのだろうかと、ジュンが不安げな表情を浮かべる。
「あのさ、ジュンくん……」
「ふぁ、ふぁい」
サアヤの指先が、ゆっくりと頬をなぞる。
やはり肌のキメも細かい。これはきっと映える。
「お化粧してみよっか!」
あっけにとられて、ジュンが呆けた表情をさらす。
返す言葉もなく、情けない表情のままで固まっている。
間のぬけた顔も可愛いわね、そう思ってサアヤはニヤリと笑った。
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