第11話 因縁の対決(前編)

 ついにやってきた、ボクたちの初ライブ。そして、アウスレンダーとの対決の日でもある。今日の出演バンドは二組で、ボクたち空想クロワールの出番が先だ。つまり、トリはアウスレンダーが務める。

 五月に軽音へ入部してから……そう、空想クロワールの一員となってから約一ヶ月間、この日のために練習を重ねてきた。今日の勝負に勝利して、そのまま八月のビーチフェスへ弾みをつけるのだ。そしてもちろん目指すのは、ビーチフェスでの優勝! そのためにも、前哨戦である今日の対決に負ける訳にはいかない。

 柚子崎駅で待ちあわせたボクたち四人は、揃ってキラービーへと到着する。入口をくぐるとエントランスのテーブルに、三人の男女の姿があった。ヒデさんが、アウスレンダーのメンバーだと教えてくれる。三人はすでにリハーサルを終えた様子で、テーブルを囲んでくつろいでいた。

 ヒデさんの姿に気づくと、ピンクに染めたマッシュウルフをなびかせながら、一人の女性が駆け寄ってきた。

「ヒデ、久しぶりやな」

「リンカ。元気にしてた?」

 リンカと呼ばれた女性……ヒデさんが、アウスレンダーのギター&ヴォーカルだと紹介してくれた。リンカさんの後で手を振るメンバー二人に、ヒデさんが手を上げて応える。

「今回も負けへんで! 去年みたいにコテンパンにいてこましたるわ!」

「はは……。お手柔らかにね」

 ヒデさんが苦笑する。

 大阪弁、初めて生で聞いた気がする。ものすごい勢いを感じるのは言葉のせいなのか、それともリンカさんのキャラなのか。

「いてこま……なに。ユキホ解る?」

 声を潜めて助けを求める。

「ワタシに解る訳ないじゃん」

 コソコソとしたやり取りに気づき、リンカさんがボクたちを指さす。

「ボッコボコにしたるっちゅう意味や。アンタら、覚悟しときや!」

 思わず引きつった笑いが浮かんでしまう。かろうじてヒデさんの真似をして、「お手柔らかに」と返すのが精一杯だった。

「自分ら、初めて見る顔やな」

 リンカさんの遠慮のない視線が痛い。

「ヴォーカルのジュンと、ドラムのユキホだよ。仲よくしてやって」

「敵と仲よぉせぇ言われても、無理な相談やな。てか、ヴォーカル入れたんかいな。ヒデはもう歌わへんの?」

「そうだねぇ。俺よりも、ジュンが歌った方がいいからな」

「ヒデよりエエとか、ホンマかいな」

 先程にも増して、ジロジロと舐め回すように品定めされる。

「どれほどのもんか、楽しみにしとくわ。また後でな」

 手を振りながら、リンカさんはメンバーの元へと帰っていった。

「嵐みたいな人ですね……」

「ノリが熱いんだよねぇ。情熱的ていうの?」

 ちょっと違うような気がする……。

 アウスレンダーとの邂逅を果たしたボクたちは、エントランス奥のカウンターにアキさんを訪ねる。今日のアキさんは、誰が見ても判るほどに上機嫌だ。よほどチケットの売れ行きが良かったのだろう。

「本当にコンテスト形式にするんです?」

「オーディエンスの盛り上がりを見て、勝敗を決める感じかな。ちょっとしたお遊びだ。いいだろ、それくらい」

「良いも悪いも、もう決まってるんでしょ?」

「まぁ、そうなんだけどね」

 そう言ってアキさんが苦笑する。

「リハ済ませてきなよ。PAが待ってるよ」

 楽屋に荷物を突っ込んで、リハーサルのステージに立つ。ヒデさんとノリさんが、忙しそうにシールドをつなぎ、ユキホはドラムにペダルを取りつけて調子を確かめている。

 念のために用意したセットリストを床に広げて、曲順を確認する。ライブで演奏する六曲の曲名が、演奏順にかかれている。曲順なんてもちろん、歌詞だって完全に頭に入っている。いや、もうすでに、体に染み付いていると言っても過言ではない。だけどもしものときのお守りだと、ヒデさんに持ち込みをすすめられた。

 ヴォーカルマイクの前に立って、ホールを見渡す。

 今日はオールスタンディングだ。椅子もテーブルも撤去されたガランとした空間……観客の居ないホールは、とてつもなく広く感じられた。このホールを五百人のオーディエンスが埋め尽くすところを想像すると、思わず脚がふえてしまう。

「リハお願いします!」

 PAの声が響く。

 セットリストの一曲目から、曲を順に確認していく。曲ごとにPAがバランスを取り、曲を止めるごとにボクたちからも要望をつたえる。

「ギター側のモニター、もうちょっと音ください」

「あー、ベースもお願いします」

「ヴォーカルは大丈夫ですか?」

「あ、はい。OKです」

 オーディエンスが居ないホールには、とてもよく音が響く。練習スタジオとはまったく違う音響に戸惑ってしまう。オーディエンスが入れば、また響きが変わるらしい。モニターの音に集中してれば大丈夫と、ヒデさんが教えてくれた。

 音出しが終わり、PAさん、照明さんを交えて進行の確認を済ませたらリハは終了。あとは本番を待つばかりだ。

 初めてのステージ、初めてのリハーサル……慣れない空気に緊張してしまい、胸が締め付けられるように苦しい。緊張するだろうとは覚悟していたけど、ここまで苦しくなってしまうとは思わなかった。なんだか膝まで震え出した気がする。

「なんか緊張してきました」

 本番の衣装に着替えながら、思わず不安を口にしてしまう。

「気楽にやりな。今日はそれだけでいいよ」

「そうそう、初ライブだしな」

 ヒデさんとノリさんが、フォローしてくれる。

「でも、やっぱり勝負には勝ちたいですし……」

「だったら余計、気楽にやることだ。気負ってたら、実力だしきれないしな」

 ヒデさんとノリさんが、緊張をほぐそうとアドバイスをくれる。二人は中学の頃から、ステージに立っているのだという。ボクから見れば大ベテランだ。緊張する様子もなく、淡々とライブの準備を進めている。

「外の空気、吸ってきますね」

 気持ちを切り替えようと思い、裏口から外に出た。

 空を見上げると、ビルの群で切り取られ空には鉛色の雲が広がっていた。ビルの谷間のこの薄暗い路地裏には、雨の気配を含んだ生ぬるい空気が満ちている。じっとりと湿った空気が纏わり付く不快感で、さらに息苦しくなってしまう。

 深呼吸してみたけど肺を満たす空気はドロリと重く、さらに気分が落ち込みそうだ。

 不安に再び天を仰いでいると、不意に裏口のドアが開く。驚いてドアを見遣ると、ユキホがドアから顔を覗かせていた。

「どうしたの、ユキホ」

「ジュンちゃんが、泣いてるんじゃないかと思ってさ」

「泣いてねえし……」

 切り返して思わず失笑した。

 そして驚いた。ボクの中にも、まだ笑える余裕が残ってたんだ。幼馴じみの軽口は、ボクの気持ちを少しだけ軽くしてくれた。

「なにしに来たのさ」

「だから、ジュンちゃんが心配で来たんだって」

 だけどボクは気づいてしまう。気丈に振るまっているユキホだけど、指先がかすかに震えていることに。

 考えてみれば、ユキホだって初めてのステージなのだ。緊張しない方がどうかしている。ボクだけが緊張している訳じゃないと知って、また少し気持ちが軽くなった。

「はいはい。ご心配いただき、すいませんね」

「まったくだよ、もう……」

 ユキホの緊張には気付かないふりをして、他愛もない会話を続ける。非日常の真っ只中にいるボクたちにはきっと、ほんの少しの日常が必要なのだ。

「今日シドさん来るの?」

「わかんない。行けたら行くって言ってた」

「それ、来ないやつじゃん」

 一ヶ月ほど前、突然シドさんが部室に姿を表した。そして練習が終わったあと、ボクたちはシドさんとヒデさんを残して練習スタジオを後にした。あの後二人になにがあったのか、ボクは知らない。

「まだアニキのこと気にしてんの?」

「気にしてねぇし」

 嘘だ。むちゃくちゃ気にしてる。

 だってあの二人、最近まで付き合ってたんだから。焼けぼっくいに火がついたり、元サヤに収まったりしないかと、実のところ気が気ではない。

「もう告っちゃってさ、ハッキリさせたら? そしたら変な心配しなくて済むじゃん」

「ば、ばっか。そんなんじゃねぇし。憧れてるだけで、好きとかそんなんじゃ……」

「はいはい。わかった、わかった。その憧れのヒデくんも、ジュンちゃんのこと好きだと思うよ。積極的に動けばさ、受け入れてくれると思うけどな」

「そんな話、今しなくてもいいじゃん。もうすぐ本番なんだからさ」

 言ってしまって後悔した。

 いつもの他愛のないやりとりの間、緊張を忘れることができていたのに、わざわざ自分で本番のことを思い出すなんて。

 だけどさっきまでのように、押しつぶされてしまいそうな不快感はない。心地よいと言っては、言いすぎだろうか。同じ緊張でも心が軽い。ユキホの指先の震えも、いつしか止まっていた。

「なぁ、ユキホ」

「なによ」

「勝とうな……」

 ボクの言葉に、ユキホは驚いて目を見張る。そうなのだ、勝負事でボクが「勝ちたい」なんて言い出すのは、それほど珍しいことなのだ。

 ユキホは何も言わず、目の前に拳を突き出す。

 コツンと拳を合わせ、そして二人で顔を見合わせて笑った。

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