第12話 因縁の対決(後編)

 暗転したステージへ上る。

 メンバーの登壇にホールのざわめきが収まり、ステージに注目が集まる。

 ユキホがキックの調子を確かめる音や、ヒデさんとノリさんが接続を確かめるために放つ音が控え目にホールに響く。

 セッティングが終わりPAへサインを送ると、ホールの照明が落とされた。暗転したステージの上、オーディエンスの息づかいを感じて身を硬くする。。

 大丈夫だ、落ち着け……。自分に言い聞かせて目を閉じた。

 暗闇の中、ユキホが打ちならすカウントが響く。

 始まる……。

 緊張が一気に高まる。

 イントロの音が放たれる。

 スポットライトを浴びて、目がくらむ。

 頭の中が真っ白に焼き付いていく。

 オーディエンスの歓声が聞こえる。

 曲が進むにつれて緊張は高まるばかりだ。

 歌いだす前に、緊張がレッドゾーンまで振り切ってしまう。

 慌てて、全ての息を吐き切る。

 刹那のブレス、一瞬で肺を満たす。

 腹の底から突き上げるように、喉を震わせ歌を生む。

 ホールいっぱいに、ボクの歌が響き渡る。

 ボクたちの音に応えて、オーディエンスが熱を上げている。

 燃えるような熱気が、ステージの上まで押し寄せる。

 音と光、そして熱気の洪水。

 思考力ゼロの、何も考えられない頭のままで歌い続ける。

 スポットライトを浴びた瞬間から、頭の中は真っ白に焼き付いたままだ。

 ボクの歌は皆に届いているのだろうか。

 ボクたちのパフォーマンスは皆に響いているのだろうか。

 解らない……。

 でも歌うしかない。

 力の限り全力で歌い続けるしかない。

 あっという間に時間が駆け抜けていく。気がつけば二曲目の演奏が終わっていた。

 ヒデさんがボクの肩を叩き、なにかアドバイスを伝えようとしている。けれどもその言葉は鼓膜を震わせただけで、意味が滑り落ちてしまい理解することができなかった。

 短くMCを挟む。観客に今日の対決のことを、手短に伝えた。きちんと伝わったのだろうか。オーディエンスとの掛け合いは成立していた。大丈夫、伝わっているはずだ。

 三曲目のカウントが打ち鳴らされ、ユキホの踏むバスドラと、ノリさんの爪弾くベースが腹に響く。歌い出しをイメージしようとしたけど、歌詞が浮かんで来なかった。あれほど完璧に憶えたはずなのに、思いだそうとするほどに歌詞がすり抜けていく。

 歌い出しまで時間がない、早く思い出さなくては……焦って周囲を見回す。そんなことしたって、思い出せるはずもないのに。

 察したヒデさんが、ボクの名をさけぶ。爆音の中に在っても、その声だけは奇跡のようにボクに届いた。足元のモニターを指さしている。モニターの陰に貼り付けたセットリスト……三曲目の曲名を見ると、不意に歌詞が蘇ってきた。ヒデさんはセットリストのことを、お守り代わりだと言っていた。今になってその意味を理解する。

 曲が進むにつれ、観客の熱気が上がっていくのが判る。手が届きそうな距離でオーディエンス同士がぶつかり合い、もっと寄越せと気を放つ。

 最後のギターソロは、その日で一番の盛り上がりを見せた。ソロを弾き終えたヒデさんが、驚くべき早さでその場にギターを下ろす。

「あのバカ!」

 ノリさんが叫ぶよりも早く、ヒデさんは客席にダイブしていた。オーディエンスの突き上げる無数の腕に掲げられ、ホールを揺蕩たゆたっている。

「ユキホ!」

 ノリさんの叫びに応えて、ユキホがドラムをソロフレーズに切りかえる。

 ギターの音がない間、曲をつながなければならない。ドラムとベースのソロフレーズの応酬……驚くべき手数でユキホがドラムを打ちならすたび、そして力強くノリさんがスラップを叩くたび、観客の熱がさらに高まっていく。

 オマエも来いと、ヒデさんが呼んでいる。

 けれども観客の中へダイブする勇気なんて、どこをどう絞ったって出てくるはずがない。それでも何度か駆け出そうと試みたけど、全て失敗に終わってしまった。

 オーディエンスの熱気が極まった頃、ヒデさんがステージへの帰還を果たす。揉みくちゃになった衣装を直しもせずギターを担ぐと、ボクたちは最後のフレーズへと雪崩れ込む。

 オーディエンスの熱気は最高潮のまま、ボクたちはフィニッシュの音を決める。

 演りきった……。

 最後まで演りきった……。

 この清々しい気持ちは、何と呼べばいいのだろうか。訳の解らない感激で、胸がいっぱいだ。鳴り止まない拍手と声援に、名残惜しさを感じつつステージを後にする。


 舞台袖で、アウスレンダーの三人とすれ違った。リンカさんはボクたちのステージを讃えることもなく、不機嫌な面持ちでステージへと向かっていった。

 アウスレンダーのステージを観るため、客席へと急ぐ。最後列の壁にもたれかかり、オーディエンスの向こう側にセッティング中の三人の姿を臨む。

 ホールの照明が落とされた瞬間、不意にリンカさんの声が響いた。

「アンタら! ウチの音に着いて来れるんか!?」

 慌てて彼女にスポットライトが当てられる。

 ステージの上に立っているのは、一年前に地元からフェス優勝をさらっていったバンドだ。そんな相手から突然のように煽られ、観客は口々にブーイングの声を上げる。

 そんな声などお構いなしに、さらに彼女が叫ぶ。

「ヘタレとったら、しょうちせぇへんぞ!」

 ノイズのように放たれるドラムやベースの煽りが、さらに観客の熱を上げる。曲が始まる前からすでに、最前列のオーディエンスはメンバーに掴みかからんがばかりにヒートアップしている。

「かかって来んかい!」

 絶叫からはじまったアウスレンダーのステージ。屈服させるかのように叩きつけられる音の暴力。一瞬にして五百人のオーディエンスが魅了される。オーディエンスだけじゃない。ボクたちまでもが、アウスレンダーの音に圧倒されていた。

 期待をはるかに上回るパフォーマンスに、客席の熱気はいきなり最高潮に達する。上等だ! 食らいついてやる! 俺たちを満足させてみろ! オーディエンスが大挙して、ステージに詰め寄っていく。

「ヒデさん……こ、これって」

「解るか?」

 そう言ったヒデさんの眼差しは、ステージに向けられたままだ。

 解る……。

 痛いほどに理解できてしまう……。

 けれどもヒデさんの横顔を見上げながら、泣きそうな顔で頷くことしかできなかった。

「解るなら大丈夫。もっと上に行ける」

 そう言ってヒデさんは、ボクの肩を抱いてくれた。

 ヒデさんの腕に縋り付いたまま、ボクはアウスレンダーの音に打ちのめされていく。ドラムの音が、ベースの音が、ギターの音が、大きな塊となって絶え間なくボクを打ちのめし続ける。

 リンカさんの声が、ボクの心をこじ開ける。彼女の歌声に、シャウトに、スクリームに、ボクの心は鷲づかみにされてしまい、揺さぶられっ放しだ。

 結果を待つまでもない、こんなのボクたちの完敗だ。

 涙が止まらなかった。

 彼女たちの音に感動しているのか、それとも悔しいのか……。

 解らない。

 解らないけど、とにかく涙が止まらなかった。

 アウスレンダーのステージが終わり、勝者が発表された後も、ボクたちは最後列の壁際から動くことができなかった。ホールを後にするオーディエンスの哀れみに満ちた視線を受けながら、ボクたちは長い時間ホールの隅で立ちつくしていた。


     ◇


 開口一番、リンカさんが叫ぶ。

「オコや! ウチは激オコやで!」

 足を踏みならして、怒りをあらわにしている。

 ライブがはねた後、反省会を行うのがキラービーの習わしなのだそうだ。エントランス奥のカウンターに集まったメンバーに、リンカさんが怒声を浴びせる。

「期待外れもええトコや! わざわざ大阪から、何しに来たんか解れへんわ!」

 そう、ボクたちのステージが期待外れだったことに腹を立てているのだ。

 後から教えてもらったのだけれど、キラービーの反省会はブッキングマネージャーのアキさんから講評をもらって終わるものらしい。出演者同士で批評することは稀だという。

「ヒデ、アンタ解っとんのやろ? 負けた理由」

「……ま、まぁな」

 さすがのヒデさんも、アキさんの勢いに押され気味だ。

 リンカさんが、肩をすくめて溜息を吐く。

「まぁ、エエわ。フェスまでには仕上げるんやろな?」

「もちろん」

「それ聞いて安心したわ。ヘナチョコバンドに勝ったかて、自慢になれへんからな」

 ひとしきりヒデさんに詰めよったリンカさんが、今度はボクへ歩みよってくる。

「ジュンとか言うたな。アンタの歌が客に響けへんの、何でか解るか?」

 それが解かれば、こんな悔しい思いなんてしていない。

 答えを返せないボクに、呆れたように溜息を吐く。

「しゃあないから教えたるわ。魂がないんや。魂が入っとらへんから、客に届かへんのや」

 魂!? リンカさんの言っている意味が解らず、呆気にとられてしまう。

「歌なんてもんはな、小賢しいテクニックと違うねん。お行儀よくまとまって、どないすんねん。リズム? メロディー? そんなもんは二の次や……」

 さらにリンカさんが詰めよってくる。

 そして、ボクの左胸を小突いて叫ぶ。

「自分をさらけだして歌わんかい!」

 気圧されたボクは、思わずその場にへたり込んでしまう。

「頼むで、ほんま……」

 そうつぶやくと、リンカさんはメンバーと一緒にエントラスを出ていってしまった。

「そ、そんじゃ、そういうことで。お疲れさま!」

 見守っていたアキさんも、居たたまれなくなってその場を立ち去る。エントランスには、空想クロワールの四人だけが取り残された。

「ほら、ジュン……」

 床にへたり込んだままのボクに、ヒデさんが手を差しのべてくれた。立ち上がったボクの胸の内側に、不意に悔しさがこみ上げてくる。

「悔しい……。ヒデさん、ボク悔しいです……」

 気がつけば再び、涙がこぼれていた。

「知ってるよ。フェスで見かえしてやろうぜ」

 そう言って、力強くボクの頭を撫でてくれる。

 ヒデさんの向こう側で、ユキホが俯いて唇を噛み締めている。負けず嫌いのユキホが、この結末に平気でいられる訳がない。ユキホだって、悔しくて仕方がないはずだ。

「帰ろうぜ。一からやり直しだ」

 苦い思いを味わいながら、ボクたちの初ライブは幕を閉じた。

 けれども悔しさの中に在って、四人の胸の内には再戦への炎が燃え上がろうとしていた。

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