第08話 バンドやろうぜ!(後編)

 日暮れ前に、キラービーまでたどり着くことができた。自転車で走れば、あっという間だ。ボクたちの学校から、下り坂で一直線なのだから。

 建物の壁に寄せて自転車を駐める。壁面を見るとフライヤーを貼り付けた糊と、はがしきれない切れ端が幾重にも重なっていた。

 薄汚れた外壁は、このライブハウスが刻んできた三十年の年輪だ。はがした跡にまた新しいフライヤーが貼られ、さらに年輪を重ねようとしている。

 柚子崎と鷺丘のバンドの隆盛は、この老舗ライブハウス『キラービー』の存在なくしては語れないという。今でこそ鷺丘にも『鷺丘南レッドエッジ』と『ハウスライデン』という新しいライブハウスが生まれているが、それまでこの一帯のバンド文化を支え続けてきたのは、キラービーなのだそうだ。

 入口脇に立てかけられた外看板には、今日の出演バンドの二組の名前が書かれていた。七時開場、八時開演……開場までには、まだ時間がある。ライブハウスの周辺に客の姿はなく、ライブハウスの関係者とおぼしき男性が一人、入口のまわりをうろつきながら煙草をふかしていた。

「おはようございます」

 入り口の男性に、ヒデさんが声をかける。

「ヒデくんじゃん! 久しぶり」

「ご無沙汰です。アキさん居ます?」

 そう言いながら、ライブハウスの中を指さす。

「居るけどアレよ? ほら、いつもの……」

 入り口の男は煙草を咥え直すと、両手の人差し指を立てて自らのこめかみに添えた。

「あぁ。どうしたんです? 今回は」

「ブッキングに問題があるみたいでさ」

 ヒデさんが苦笑しながら、建物の中に入っていく。ノリさんとユキホが後に続く。入口の男性に頭を下げると、ボクもライブハウスの中へと足を踏みいれた。

 リハーサル中なのだろうか、建物の奥から楽器の音が漏れ聞こえてくる。機材の調子を確かめるかのように何度も演奏は中断され、マイクで何やら指示をだす声が響いていた。

 エントランスの奥にカウンターがあった。カウンターの内側で金髪の女性が一人、難しい顔をしてPCの画面をにらんでいる。

「アキさん、ひさしぶり」

 声をかけられた女性が、訝しげな表情で顔を上げる。

 しかしヒデさんの顔を見ると、驚きの声を上げた。

「ヒデじゃん! なに、元気してた!? 年末のライブ以来だっけ?」

「そうっすね。あの後ドラムが抜けたから……」

 入口の男性がゼスチャーで、機嫌が悪いと言っていた割には声が弾んでいる。

「またライブできそう?」

「その件で来たんですよ」

 ヒデさんが、ボクとユキホをカウンターの前へと呼んだ。

「新メンバー入りました」

「よろしく……って、ユキホじゃん!」

 またもやアキさんが、驚きの声を上げる。シドさんのライブで何度もキラービーに足を運んでいるユキホは、すっかり顔なじみのようだ。

「こっちがジュンね」

 ヒデさんの紹介に、アキさんが勢いよく右手を突き出した。握手を求められ、僕も恐る恐る右手を差し出す。彼女の握手はとても力強く、とても頼もしく感じた。

「来月、ブッキングできます?」

「またそんな無茶を言う……」

 ヒデさんの問いに、アキさんが呆れた声を返す。

「ビーチフェスまでに、ステージ踏んどきたくて」

「一ヶ月先なんて、さすがに全部埋まってるよ」

「そこをなんとか、敏腕ブッキングマネージャー様のお力で!」

 ヒデくんがおどけて両手を合わせると、アキさんは苦笑して言った。

「わかった、わかった。他ならぬヒデの頼みだ。どっかに無理やり……」

 そこまで言うと、アキさんは何事かに気付いた様子で言葉を止めた。

 口元を右手で覆い思案を巡らせてた後、おもむろに声を上げる。

「……そうか、その手があったわ」

「何です?」

「オーケー、オーケー。来月のブッキング、何とかしましょう」

「マジっすか! さすがアキさん!」

 ダメ元で頼みに来たのに、あっさりとブッキングが通ってしまい歓声が上がる。

「その代わり、覚悟しなさいよね」

 喜びをさえぎるように発せられた言葉に、ボクたちは不安に顔を見合わせた。


     ◇


 キラービーのホールは、想像よりもはるかに広かった。オールスタンディングにすれば、五百人のキャパがあるらしい。このホールを五百人のオーディエンスが埋め尽くすところを想像してみたけど、うまくイメージすることができなかった。

 テーブルと椅子を並べたオールシッティングの状態でも、百五十人のキャパだ。つまり、最低でも百席を埋めることができなければ、キラービーへの出演は叶わない。

 最後列の四人がけのテーブルに陣取り、リハーサルの見学をする。目の前でリハーサルをしているのは、最初に出演するバンドらしい。すでに音出しは終わり、バンドとPAが進行の確認をしている。

 ブッキングに問題を抱えていたことが、アキさんの不機嫌の原因だったらしい。皆があるバンドとの対バンを嫌がり、予定を組むたびにキャンセルされていたのだそうだ。

「ヒデ、本当に受けるのかよ?」

 ノリさんが、不安げな声を上げる。

「願ったり叶ったり。逆にラッキーじゃない?」

「まぁ、そうだけどよ」

「相手にとって不足なし。そうだろ?」

「いや、そうなんだけどよ」

 誰も引き受けなかった対バンを、うちが引き受けることになったのだ。

「フェスの前哨戦として最高だろ。なんたって、去年の優勝バンドなんだからさ」

 そう、皆が対バンを嫌がったバンドというのは、去年ヒデさんたちから優勝をさらっていった関西のバンド『アウスレンダー』なのだ。

 去年のフェスの優勝バンドとして、柚子崎でその名を知らない者は居ない。アキさんはその知名度で集客を狙って、フェス前の六月にブッキングしたのだそうだ。

 ただ、皆の反発が予想以上に大きかった。とはいっても、観客の反応は決して悪くない。いや、むしろ上々なのだそうだ。反発しているのは、出演者側だ。

 アウスレンダー憎しと思っているのか、優勝できなかった地元バンドを不甲斐なく感じているのかは解らない。ただ、地元のバンドが皆、アウスレンダーと関わりたくないと思っていることだけは確かだ。

「今年もアウスレンダー、フェス出るんだろ?」

「みたいだねぇ……」

 ノリさんの問いに、ヒデさんがステージをながめながら呑気に答える。

「優勝、キツくねぇか?」

「だからこそ、今回の話はラッキーだよ。対バンで同じステージに立てるんだしさ。彼を知り己を知れば百戦あやうからず……ってね」

 おそらく、一番喜んでいるのはアキさんだ。組んでも組んでも対バンに逃げられ、いっそアウスレンダーのワンマンにするか、それとも今回のブッキングを取り下げるか、そろそろ答えを出さなくてはならない時期だったようだ。そこへ因縁浅からぬヒデさんが、出演させてくれとやって来たのだから。

「嬉しそうでしたね、アキさん」

 OKしたときの、アキさんの笑顔を思いだす。

「アキさん、お世辞ぬきで敏腕だからな。あおった集客かけて、ガッポリ稼ぐつもりだぞ」

「あおった集客……ですか」

「因縁の対決再び! とかさ、ビーチフェス前哨戦! とかさ……この街で去年の対決を知らないヤツは居ないんだから、その辺を突いて集客するだろうな」

「そういや、チケットノルマの割当も少なかったしな。自分トコでさばく自信あるんだろ」

 なかなか生臭い話だけど、ボクたちも助かって、ライブハウスも助かるのなら、いい話ではないだろうか。

「美味しい対バン組んでくれて、集客までしてくれて、いいことばっかりですね!」

 ボクの言葉に、ヒデさんとノリさんが驚いて顔を見合わせる。

「なかなかどうして、うちの新人は頼もしいじゃないの」

 ヒデさんが失笑しながら、ボクの肩を叩く。

「……なにか変なこと言いました?」

 不思議顔のボクに、ノリさんが教えてくれる。

「あのな、ジュン。フェスの因縁に絡めて集客すれば、客は当然コンテストでもないのに勝ち負けを付けたがる訳よ。解るだろ?」

「え?」

 思わず言葉を、失ってしまった。

「もしかしたらアキさん、今回の対バンをコンテスト形式にするとか言いだすかもよ」

 脅すように、耳元でヒデさんが囁く。

「えぇぇぇぇぇ!」

「となれば、当然ウチが負ける訳にはいかなくなる。気軽な経験値稼ぎのつもりが、いきなり負けられないボス戦にチャレンジって感じだな」

「そんなぁ! 断りましょうよ」

「遅いよ。もうOKしちゃったし」

「えぇぇぇぇぇ。アキさんって、すごくいい人だと思ったのに!」

「あの人が、そんなタマかよ……」

 そう言って笑うヒデさんが、背後の気配に気づいて黙りこむ。

「聞こえてるわよ……」

 抑揚なく発せられた言葉は、アキさんのものだった。いつの間にかヒデさんの後ろで、腕を組んで仁王立ちしている。

「コンテスト形式はいいアイディアね。やってみようかしら?」

「えぇぇぇえぇぇぇ!」

 メンバー四人が、一斉に悲鳴をあげる。

「盛り上がるよ、きっと!」

「そんなぁ……」

 慌てる四人を見下ろしながら、アキさんがサディスティックな笑みを浮かべていた。

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