第07話 バンドやろうぜ!(前編)
軽音のスタジオ前で立ちつくしている。
防音扉のノブに手をかけはしたものの、入る勇気が出なくて引き返しそうになった。けれどもユキホのことを思い、かろうじて踏み留まっている。
個人練習中だろうか。スタジオの中からは、無秩序な楽器の音が漏れ聞こえてくる。防音扉の小さなガラス窓をのぞきこむと、部屋の奥にドラムセットに向かうユキホの姿が見えた。手前にはベースをつま弾くノリさん、そしてもちろんヒデさんの姿もある。
ギターを掻き鳴らすヒデさんを見た瞬間、胸が締め付けられるように苦しくなった。サアヤさんと寄り添って歩く姿がフラッシュバックする。仲睦まじい二人を、まともに見ることができなかった。これは嫉妬なのだろうか。今になっても自分の気持が解らなくて困っている。
四月にこのスタジオへ呼び出された日、そうあの日からずっとヒデさんはボクの中で特別な場所に居る。そしてもしかするとヒデさんの中でも、ボクは特別な存在なんじゃないかと期待してしまっている。でも、シドさんと付き合っていたと聞いて、そしてサアヤさんと歩く姿を見て、ボクは特別なんかじゃないと思い知らされてしまった。
勝手に期待して、勝手に裏切られて、一人相撲のショックに打ちひしがれるボクを、ユキホが元気づけてくれた。幼馴染の優しさに、ボクは報いなければならないと思っている。
あの日以降、ユキホは以前に増して軽音への入部を勧めてきた。いつも気のない返事で答えを保留してきたけど、いつまでも煮え切らない態度でかわす訳にはいかない。
けれども、なかなか入部を決めることができなかった。人前で歌うことに対する気後れはもちろんのこと、ヒデさんと一緒にバンドをやること自体、うまくやっていけるのかどうか自信を持てずにいるのだ。数回しか顔を合わせていないたった一ヶ月の間に、これだけ気持ちが揺れ続けているのだから……。
ユキホは言う。「ヒデくんと向きあって、自分の気持ちを確かめなよ」と。まったくもって正しい。いつだってユキホは、真っ直ぐで正しい。ユキホに接すると、勇気を持てずにいる自分を不甲斐なく感じてしまう。
もちろんボクの中にだって、期待に応えたい気持ちはあるし、ヒデさんと一緒にバンドをやりたいという気持ちだってある。だから今日、全ての不安を振り切ってこの場に立っているのだ。散々ユキホに背中を押してもらって、ではあるのだけれど。
そう、ユキホのためにもためらっている場合じゃない。
意を決して、ドアノブに力をこめる。
ただでさえ重い防音扉のノブが、ことさら重く感じられた。
ドアが開く気配に気づいて、楽器の音が止んだ。
三人の視線が、一斉にボクに注がれる。
「ジュンちゃん!」
真っ先に声を上げたのは、ユキホだった。ドラムスティックを片手に駆け寄ってくる。そしてボクの手をとり、スタジオの中へと導く。
「ヒデくん。ジュンちゃん来たよ!」
ヒデさんもノリさんも、笑顔でボクを迎えてくれた。けれどもどんな顔をしていいか解らず、なにも言えないまま俯いてしまう。
「歌う決心、ついた?」
問いかけるヒデさんに、ボクは小さくうなづくことしかできなかった。
「ようこそ! 軽音楽部へ!」
そんなボクでも、三人は拍手をもって迎え入れてくれた。拍手で迎えられる経験なんてなかったものだから、照れかくしに頭をかくばかりだ。
「ほんとボク、人前で歌ったことなんてないですから……」
この期に及んでなお、言い訳じみた言葉が口を突く。
「大丈夫。ジュンには才能あるよ」
そう言い切るヒデさんの言葉に、嘘やお世辞の匂いは感じない。
「最初は自信なくて当たり前。自信なんて、あとから勝手に着いて来るから」
「誰かみたいに、自信過剰なのも困りものだけどな」
ベースを抱えたノリさんがツッコミを入れる。
「バンドマンなんて、自信過剰なくらいでちょうどいいんだよ。ビジュアル系なんて、ナルシストじゃないとやってられないぞ?」
「うち、ビジュアル系じゃないけどな」
「パンクだって、ある意味ビジュアル系だろ?」
「まぁ、間違っちゃいないな」
二人のやり取りを見守るボクとユキホに、ヒデさんが向き直る。
「さて、ギター、ベース、ドラムに加えて、ジュンのヴォーカル。当面はこの構成で固定するけどいいよね?」
「オッケー」
ノリさんの返事に合わせて、ボクとユキホが相槌をうつ。
「眼前の目標は、八月の柚子崎ビーチフェス優勝だからね」
「ゆ、優勝!?」
思わず驚きの声を上げてしまう。
「去年は関西のバンドに優勝さらわれちまったからな。今年は俺たちが獲る!」
「怖いOBもうるさいしな」
そう言って、ノリさんが肩をすくめる。
「怖いOB?」
ボクの疑問に、ヒデさんが答える。
「柚子崎ビーチフェスって今年で三回目だろ? 二回目の優勝が関西のバンド。じゃ、記念すべき第一回の優勝バンド、どこか知ってる?」
問われてボクは、首を横にふる。
「ユキホ、知ってるだろ?」
「ここだよ。柚子崎学園高等学校の軽音楽部」
「正解!」
ヒデさんが指を鳴らして、ユキホを指差す。
「アニキが居たときだよね」
「そうだよ」
「ってことは、怖いOBって……」
「そう、シドさんのこと」
そこまで聞いて、やっと記憶がつながった。
メジャーデビュー目前と噂されるシドさんのバンド『スナッフアウト』は、二年前の軽音楽部が母体になっているらしい。
シドさんはビーチフェスのコンテスト優勝を切っ掛けに、インディーズシーンで一目おかれる存在になった。確かそのとき、三年生だったはずだ。
卒業後、シドさんはスナッフアウトを結成した。そして結成から一年でバンド激戦区の柚子崎に在って並ぶ者は居なくなり、今やその名前は全国に鳴り響いている。
柚子崎や鷺丘のバンドマンは皆、スナッフアウトに憧れている。そして皆がスナッフアウトに追いつけ追いこせとばかりに競い合っているのだ。
「フェスが八月の頭。今が五月だから、三ヶ月で優勝レベルまで仕上げるから覚悟してね。夏休みに入ったら合宿やるから、そのつもりで」
たった三ヶ月で、優勝できるレベルまでたどり着けるのだろうか。ライブの経験なんてないボクは、またもや不安になってしまう。
「まさか、初ステージがフェスだったりします?」
思いきって尋ねてみる。
「いや、フェスまでに何回かライブやるつもりだけど……」
丸椅子に腰をおろし、ヒデさんが腕を組んで思案する。
「来月辺りやるか? 一ヶ月あれば、ステージ踏めるくらいに仕上がるだろ」
初ライブの提案に、ユキホが色めき立つ。
「ハコはキラービー?」
「そうだな。あそこがいいだろ……」
ハコの名前を聞いた途端、ユキホが目を輝かせてヒデさんに詰め寄る。
「つまり、キラービーでライブ演るってことだよね!?」
「ブッキング取れたら……だけどな」
「マジで!? やった!!」
飛びはねんがばかりの勢いで、喜びをあらわにする。
「喜びすぎだろ。どうした!?」
「だってあそこ、アニキのベースじゃん! 同じステージ踏めるなんて感動だよぉ」
ユキホのお兄さん好きは、今でも変わっていない。
「ブッキングがてら、今からキラービー行くか。挨拶もしときたいし」
そう言って、ヒデさんがギターを下ろす。
「誰か一緒に行く?」
「行く! 絶対に行く!」
真っ先に名乗りを上げたのは、ユキホだった。
「オレも行くよ」
ノリさんも同行するようだ。そして、三人の視線がボクに集まる。
「えっと……その……い、行きます……」
消えてしまいそうな声を聞いて、ヒデさんがボクの不安を察する。
「予定あるなら無理しなくていいよ?」
「そうじゃなくて、ライブハウスなんて行くの初めてで……」
そう、ライブハウスなんて行ったことがないのだ。どんな所かという興味よりも、不安の方がはるかに大きい。
「あー。キラービーに来る奴、みんな厳ついもんな」
「そうなんですよね……」
ボクの中にあるライブハウスのイメージなんて、パンクスを見て眉根をよせる大人たちとさして変わらない。厳つい格好でたむろして、関われば何をされるか解ったものではない……そんなイメージだ。
「みんな気のいい奴ばかりだよ。気楽にいこう!」
ヒデさんが、ボクの肩をたたく。
「しかしブッキングとれるかな。一ヶ月前じゃ、さすがに空いてないよな」
「キャンセル待ちだろうな。アキさんだっけ? ブッキングマネージャー。あの人だったら、ねじ込んでくれるんじゃない?」
「だといいけどな」
「ダメなら他のハコあたるか」
そんな会話をかわしながら、ヒデさんとノリさんが手際よく楽器を片づけていく。その様子ををぼんやりとながめていたボクに、ユキホがそっと耳打ちする。
「ノリさんと先いくからさ。ジュンちゃんは、ヒデくんと一緒においでよ」
不意の耳打ちに振りかえると、ユキホはノリさんの手を引いて駆け出すところだった。
「待ちきれねぇのかよ……」
苦笑しながらヒデさんが、ユキホたちの後ろ姿を見送る。
期せずしてヒデさんと二人、スタジオに残された。ここで唇を重ねたことを思い出してしまい、思わず赤面する。
「どうした? 行こうぜ」
せっかくユキホがくれた、二人きりのシチュエーション。うまく活かしたいとは思うのだけれど、どうすればいいのか解らずに立ち尽くす。ヒデさんに会ったら訊きたいことや、伝えたいことが沢山あったはずなのに……。
まんじりとするボクの頭を、不意にヒデさんの右手が撫でる。
「焦んなって。ゆっくりでいいんだからさ」
気持ちを見透かされて慌てた。同時に、あの日と変わらない優しい指先に、少しだけ気持ちが和らぐ気がした。
屈託のないヒデさんの笑顔を見ていたら、悩み続けていたことが馬鹿らしくなってしまった。ヒデさんと一緒に居られる、それだけでいいじゃないか。そんな風に思ってしまう。
「そうですね。待たせちゃ悪いし行きましょう」
ヒデさんと二人、肩を並べて歩きだす。
期待と不安に彩られたボクのバンド生活は、こうやって幕を開けたのだった。
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