025. 超常現象の起こし方①入門編


 放課後、僕が掃除を終わらせて部室に行くと、すでに江坂ゆきのはいつもの席に陣取って本を読んでいた。暑いからなのか、部室のドアが開け放しになっている。よく見ると部屋の奥の窓も開けられている。江坂は、僕が来たことに気づかないまま、読書を続けている。静かに本を読んでいれば、古風な美少女に見えるのだ。


 二階にあるこの部室の窓からも、誰もいない教室でいつか見たのと同じように桜の木が見える。だが、もう花びらは面影もなく、代わりに初夏を感じさせる青々とした葉が揺れている。ときおり、入学したてのころに桜の花びらを流していたのと同じ緩やかな風が小さめの窓から入ってくる。江坂の長い髪が一瞬ふわりと浮き上がり、また元の位置に戻った。


 僕は吉徳とのやりとりを思い出す。吉徳は前に、別にどちらかの江坂が本当で、どちらかが嘘だとは限らない、と言っていた。いま目の前にいるのは、傍若無人な独裁ぶりなど微塵も感じさせない、教室で見せる静かな水面のような江坂ゆきのだ。

 部室に入ると、江坂はようやく僕に気づいて、本を机に置く。


「遅い!」


 掃除が終わってすぐに部室に来たのだが、コイツは一体どうやっていつもこんなに早く部室に現れるのか。


「部室に一番乗りするために、掃除をさぼってるのよ。」

「さぼるなよ。」

「うるさいわね。別に誰も何も言ってこないし、かまわないでしょ。」


 おそらく、同じ掃除場所の同級生たちも、江坂がいないことには気がついていつつ、誰も本人に面と向かって指摘できないでいるのだ。毎日掃除が免除されるなら、深窓の令嬢になってみるのも悪くないな、なんて思う。

 机の上にはブックカバーがかかった江坂の読みかけの本が置いてある。


「江坂、教室でもいつも本読んでるよな。」


 江坂ゆきのは、江坂、と呼ばれたところで本から顔を上げ、きっ、と僕をにらむ。いい加減、名前を呼ぶたびににらむのをやめてくれ。


「だから?」

「いや、何の本読んでるのかなって。」

「なんだ、そんなことね。」


 江坂は嫌がる素振りもせず、意外にも素直にブックカバーを外し、表紙を見せてくれた。


 いわく、『超常現象の起こし方①入門編』。


 コイツは、いつも教室で黙々と、これを読んでいたのである。

 拍子抜けしてしまう。


 何が深窓の令嬢だ。江坂ゆきのは、結局のところ、どんなときでも江坂ゆきのだったのである。教室にいようと、部室にいようとそんなの関係ない。

 そう思うと、今までの疑問が急に馬鹿馬鹿しく思えて、笑いが込み上げてきた。


「なんで笑うのよ? 失礼なやつね。」


 江坂は少しふてくされた様子で、急いでブックカバーをかけ直す。


「もう絶対見せないから。」

「すまん、つい。」


 気になることは、もう一つあった。


「ところで、教室では何であんなに黙ってるんだ?」

「別に理由はないけど。強いて言えば、誰も話しかけてこないからね。わたし、なんの理由もなくだらだらとおしゃべりしたり、誰かに合わせて適当に相槌打ったり、そういうの得意じゃないと思うの。」


「でも自分から話しかければいいじゃないか。」

「だって、……しい」


 江坂はうつむいて、急に小さな声になった。


「え?」


「だって、自分から話しかけるのは恥ずかしい……。」


「でも、屋台の店主とかとは失礼なくらい仲良く話してるじゃないか。」

「同級生と話すのが恥ずかしいのよ!」


 江坂は、あのおっさんに対して何で緊張しなきゃいけないのよ、とかぶつぶつ文句を言っている。

 何のことはない。コイツは単なる人見知りだったのである。それが、一年E組の深窓の令嬢の正体だった。


 周りの人間が勝手に彼女のイメージを作り上げ、それで深く関わりもせず、自分勝手なイメージのなかに彼女を押し込めて、安心しあう。あの子はああいう人だから。だから放っておけばいい。そのイメージの正当性を自分から検討することもなく、ただ他者にそれを貼り付ける。

 そういうことは、僕が一番嫌いで、許せないことだったはずだ。それなのに、知らず知らずに、自分もその一部になっていたことに今更気づいた。


「もしかして、本当は話しかけてほしかったのか?」

「うるさい、バカじゃないの。」


 コンボ炸裂、ごちそうさまです。


「その、うるさい、ってすぐ言うやつ、話しかける人減るからやめた方がいいぞ。」

「うるさい! 別に誰にでも言うわけじゃない。」


 僕だけに言うのだとしたら、それはそれでやめてほしいのだが。


「そんなことはどうでもいいのよ! それより、死に至る屋台について、考えはまとまったんでしょうね?」


 まあ、そうだな。


「ねえ、どういうことなの? 早く話しなさい!」


 江坂が目を輝かせながら、身を乗り出すように僕に問いかける。

 僕が考えを話そうと話すまいと、おそらく結果はそれほど大きくは変わらないだろう。死に至る屋台は倒され、僕たちの放課後は終わりを迎える。

 それとは関係なく、僕は選ばなければならないと思った。曲がりなりにも、江坂に奇譚を語るということは、自分が奇譚研究会の一員になる、ということだ。


 僕はもともと自分が何かの一員になる、なんて望んでなかったじゃないか。


 だが、いま、僕のことを見つめる江坂を前にすると、最初から自分が話し出すことは決まっていたようにさえ感じる。こんな期待に満ちた顔をされたら、迷うことも馬鹿らしいじゃないか。


 僕がこの部の一員かどうか、ここに居続けることを自分が本当に望んでいるのか。


 そんな問いは、今はいい。


 目の前で僕の話を待っている江坂に、高飛車で意地っ張りで、そのくせ妙に人見知りで照れ屋だったりする江坂ゆきのという少女に、僕はただ、物語を語り出せばいいのだ。


 そして、僕は語り出す。

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