021. 晴天

 次の日は久しぶりの晴れだった。

 だが、江坂ゆきのは今日も変わらず、窓の外の空をにらみつけて、盛大に文句をたれている。


「やっと晴れたと思ったら、なんでこんな暑いのよ!」


 夏を一ヶ月以上も先取りしたような三〇度超えの急激な暑さだった。


「誰かが熱波でも送り込んできてるんじゃないかしら。」


 そんなことが可能とは思えないが、本当にそうなら迷惑なのでやめていただきたい。

 狭い生物準備室はクーラーもなく、夕方になっても暑さがなかなかひかなかった。狭い窓から入ってくる風を頼りにするしかない。

 涼を求めて窓に近寄った江坂だったが、頼みの風もほとんど入らず、夕方の光にじりじりと焼かれただけだった。


「もう、なんで制服ってこんなに暑いのよ!」


 相変わらずのご機嫌ななめである。


 それでも、久々に屋台に出かけるころになると、すずしくなったこともあってか、江坂はいつもの活力を取り戻したようだった。それはそれで僕には迷惑なことなのだが。


「さあ、出かけるわよ。今日こそ死に至る屋台のしっぽをつかんでやる!」

 

 僕たちがS坂を降りて屋台に行くと、店主がよお、と手をあげる。

 ご無沙汰してます、と僕も軽く頭を下げる。

 その日は珍しく僕たち以外にも一人客がいた。比較的若い男で、作業服のようなものを着ていた。すでに注文したラーメンは、半分くらい食べ終わっている。

 人のことは言えないが、こんな暑い日にラーメンを食べにくるとは、殊勝なことである。


「この店、冷やし中華とか冷麺とかはないの?」


 手でぱたぱたと顔を仰ぎながら江坂が言った。


「ないよ。うちはラーメンにこだわりをもってるからね。」


 夕方になってだいぶ涼しくはなってきたが、それでもS坂を歩いくるとまだまだ暑く感じられた。

 僕と江坂は、結局いつもと変わらず塩ラーメンを注文する。


「そういえば、例の常連客がこの間また来たんだ。」


 僕と江坂が数日来ない間に、しじみラーメンばかり注文していたあの常連客が来た、というのだ。


「実はな、そのお客さん、女連れで来たんだよ。自分がいつも食べてたから、その娘にも食べさせてやりたかったってね。それで、やっぱりと思って、この間の名探偵くんの推理をそのまんま話したんだ。さも俺が推理したかのようにね。」

「それで、真相はどうだったの?」


 江坂は興味津々で、カウンターから乗り出さんばかりだ。


「それがだな、残念ながらそこの名探偵くんの推理には間違いがあったんだ。」


 店主はわずかににやにやして、なぜか嬉しそうに言う。


「そうなの?」


 江坂、どうしてお前までそんなに嬉しそうなんだ。


「ああ、釣り銭の五円玉を投げてた、っていう話だったが、本当は一二五円の釣り銭、全部投げていたんだそうだ。」


 しじみラーメンは八七五円、毎回もらった釣り銭をぴったり全額、賽銭にしていたのだ。


「どうも、十二分にご縁がありますように、という験担ぎらしい。」

「ただのだじゃれね。」

「それ以外のところは名探偵くんの言う通りだったな。」

「なんだ、それじゃあ間違いがあった、って言ってもほとんど正解みたいなもんじゃない!」


 江坂はひどくがっかりした顔をしている。店主といい、江坂といい、僕が真相を言い当てたのがそんなに嫌なのか。


「まったく、大したもんだよ。ところで、あんたたち、奇譚研究会とか言ったっけ? 妙な屋台の噂を調べてるって言ってたな。あっちはどうなったんだ?」

「そちらは、正直あまり進んでないです。」


 それを調べるために、この屋台に来ているのだが、毎日ただラーメンを食べて、店主と話して帰るだけなのだから、進展も何もない。

 そうか、と店主は言う。

 その顔は少し安堵しているようにも見えた。


「何かご存知のことでもあるんですか?」

「いや、そういうわけでもないんだがな――」


 店主は奥歯にものが挟まったような言い方をする。


「何か隠し事があるならいいなさいよ!」


 江坂がラーメンをもぐもぐしながら、店主に突っかかる。

 せめてお前は食べ終わってから話せ。


「いや、俺は呪いだとかなんだとかは本当に知らないんだって。あんたらも毎日食べにきてるんだから、わかるだろ。」


 その通りである。


 もし死に至る屋台が本当に食べると呪われたり、死に至るラーメン屋であったのなら、僕と江坂は二人ともとっくの前にこの世にはいないはずなのだ。

 だから、この屋台は死に至る屋台とは関係がない、はずだ。

 江坂と店主はしばらく押し問答を続けていたが、埒があかないままだ。


「そういえば、この屋台って年明けからやってるんですよね?」

「そうだけど、それがどうした?」

「その前はどこか別の場所に店を出してたんですか?」

「まあな。県内の違う町だよ。」

「どうして移ってきたんですか?」


 店主は僕の質問の意図を測りかねて、訝しんでいる。


「そりゃ、理由はいろいろある。こんなこと言うのはあれだが、一番はこいつの問題だよ。」


 店主は指で丸い輪っかをつくる。


「オーケー?」


 意味がわからず隣で首を捻る江坂に、お金だよ、と小声で言う。あほなのか、コイツは。


「より客の入りそうな場所に移れるのが、屋台のメリットってとこでな。もっとも、ここも期待通りってわけにはいかないが。」

「以前もここみたいな神社の駐車場とかで営業してたんですか?」

「いや、そのときは大きなスーパーの駐車場の一角に出してたんだ。だが、申請だの場所代だの厄介なことも多くてな。」


 僕はもう少し聞きたいことがあったが、店主が話を打ち切る。


「さ、こんな辛気臭い話は終わりだ。高校生は食ったらうちに帰りな。」

「うるさいわね、言われなくともとっとと帰るわよ!」


 まさに、売り言葉に買い言葉である。

 僕たちは会計をして、屋台を出た。

 ちょうど食べ終わってスマートフォンを見ていたもう一人の客も会計をして、僕たちのすぐ後に屋台を後にする。

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