消えた常連客
018. 消えた常連客
次の日の放課後、僕と江坂はいつものように夕方まで時間をつぶし、屋台を訪れた。
「お、いらっしゃい。」
連休前に打ち解けたこともあってか、僕たちの姿を見て、気さくに店主が話しかけてくる。
僕も江坂も毎回一番安い塩ラーメン(六八〇円)を注文する。店主もすっかりそれを覚えて、最近では何も言わなくても、塩ラーメン二つね、と言って準備を始める。
その日も手早く二人分を作り上げ、僕たちの前に置いた。
「そういえば、あんたら、奇譚研究会とかいう部活で、不思議な話を集めてるんだったよな?」
食べ始めた僕たちに、そう店主は言った。
「このあいだ、不思議というか、おかしなことがあったんだが――」
「何それ? 教えて!」
江坂がラーメンそっちのけで、食い気味に尋ねる。
「話すから、麺が伸びる前に食いな。」
「わかってるわよ。」
江坂は塩ラーメンを掻き込みはじめ、店主が呆れ顔でそれを見る。
「屋台をここに出してから、ずっと来てくれてるお客さんがいたんだよ。」
「たしかここに屋台を出したのは、一月でしたよね。」
「そうだ、よく知ってるな。年明けすぐからここでやってる。」
僕は花田みゆうからそのことを聞いていたのだ。
「そのお客さんは一月に店を出し始めてすぐに来て、それからは、ほとんど毎日うちでラーメンを食ってた。」
ここまではこれといって不思議な点はない。
「その人は、毎日決まってしじみラーメンを注文してた。あんたたちが毎日塩ラーメンを頼むのと同じようにな。」
僕は少しでも出費をおさえたいだけなのだが――。
「まあ、しじみラーメンはうちのメニューのなかでは高いほうだから、ありがたい話だったよ。」
「待って、でもわたしたち毎日来てるけど、そんな人見たことない。」
「ここからが不思議なところなんだ。そのお客さんは、四月の途中からぱったりとこなくなったんだ。あんたたちとほとんど入れ替わりみたいな感じだったから、よく覚えてるよ。まるでどこかに消えたみたいだった。」
それって――。江坂が目を輝かせながら僕の方を見る。
呪い、神隠しの類、死に至る屋台につながる話だと思って、江坂は胸を躍らせているんだろう。それにしても不謹慎じゃないか。
「それが、このあいだの連休中、久しぶりにうちに来たんだよ。」
「なんだ――」
隣で江坂があからさまにがっかりした顔で言う。コイツはオカルトじみた展開を期待していたのだ。
「でも、それくらいなら、そこまで不思議とは言えないんじゃ――」
「まあ、常連さんがぱったりと来なくなる、ということは、残念だがないわけじゃない。でも、久しぶりに来たお客さんに、いつものようにしじみラーメンを出そうと思ったんだ。そしたら、その人は、チャーシュー麺を注文した。それから、その人は言った。ほんとは、チャーシュー麺も食べてみたかったんですよ、って。聞けば、それほどしじみが好きってわけじゃないらしい。なら、なんで三ヶ月以上も、ほぼ毎日しじみラーメンを食べ続けたのか。尋ねてみたんだが、しじみラーメンもおいしかったです、とはぐらかすだけだ。どうだ、おかしな話だと思わないか?」
「そんなの全然不思議じゃないわよ。三ヶ月食べて、しじみに飽きたのよ。それが言いづらいから、チャーシューを頼んで、適当に誤魔化したんでしょ。」
しじみに飽きたのだ、と言われて、店主は少しむっとした表情をする。
「いや、それはないと思う。それなら、三ヶ月も食べ続けないで他のメニューを頼むだろうし、チャーシュー麺も食べてみたかった、という言い方はしないだろう。」
僕に否定されて、江坂は不機嫌そうに僕をにらむ。
「じゃあなんだって、その人は三ヶ月も大して好きでもないしじみラーメンを食べ続けたのよ。」
いつもそうやって、人の提案にケチをつけるばっかりなんだから、と江坂が隣でぷりぷりしている。
そうやって江坂をまた怒らせると後が面倒だ。仕方ない、僕も少しは真剣に考えることにしよう。
店主の言うことを整理すると、一月以来、ほぼ毎日しじみラーメンを食べていた常連客が四月になって、突然姿を見せなくなった。五月の連休に再び来店すると、しじみラーメンが別に好きではなかったとわかった、ということだ。
つまり、ここでの謎は、なぜ毎日来ていた常連客が突然来なくなったのか、そして好きでもないしじみラーメンをなぜ三ヶ月も食べ続けていたのか、ということだ。
「前もおもったけど、こうやってあなたに要約されると、身も蓋もないというか、奇譚っぽくなくなるわね。興が削がれる。」
「悪かったな。」
往々にして、世の怪談話やら、オカルト話やらはそういうものなのだ。事実だけを簡潔に取り出すと、そう大層な話ではなくなる。
「そのお客さんはサラリーマンですか?」
「そうだと思う。平日は仕事帰りって感じだったからな。でも、休日にも来てくれてたよ。よっぽどうちのラーメンが好きなんだな。」
「やっぱり、この店主ちょろいわね――」
江坂が耳元で言う。
「何か言ったか、お嬢ちゃん。」
「何でもないわ。」
江坂は、でも、と言ってメニュー表を指さす。
「結構な御身分よね。しじみラーメンはこの店で二番目に高いわ。毎日食べてると結構な金額になる。さすが、わたしたち高校生とは違うわね。」
この屋台で一番高いのは鹿ラーメンの九五〇円。次に高いのが、しじみラーメンの八七五円だ。
「そういうえば、どうしてしじみラーメンは八七五円なんて中途半端な金額なのよ。他のメニューは十円単位なのに。」
店主は少したじろいだ様子をしている。
「いや、仕入れ値が上がったんだよ。もとは八六〇円だったんだ。だけど、急にしじみが値上がりして、少しでも高くせざるを得なかったんだ。」
不運なことが続く、と話していたときに言っていた材料の値上がりとはこのことだったのだ。
「だが、材料の値上がり分以上に値上げなんかしてないぞ。これでも良心的な価格設定なんだ。」
それで、端数が出る値段になった、というわけだった。
「そのお客さん、何か普通の客とは違うところがありましたか?」
「普通とは違うところ?」
「たとえば、何かの目的をもってしじみラーメンを食べに来てるとか。しじみラーメンに何か特別な意味がある、とか。」
つまり、本当はラーメン自体ではなく、死に至る屋台の調査をかねてここに来ている僕たちのように、ということだ。
「うーん、特に思いつかないな。」
あ――。思い出したように、店主は言う。
「別に変わったところではないけど、そのお客さん、食べ終わると毎回神社の方から帰るんだよな。」
そう言って店主は、すぐ横に見える崇鹿神社の鳥居を指さす。こちらは人気のない裏参道だが、神社の中を通って表参道の方に抜けていくと、駅や商店街までの近道になる。そっちの方に家があるのでは、ということだった。
次第にしじみラーメンを食べ続けた理由が見えてきた。あと一押し、というところだ。
「連休中にここに来たときには、何かそれまでとは違うことはありませんでしたか?」
どうかな、と店主は一瞬考え込んでいたが、すぐに言う。
「そういえば、左手に指輪をつけていてな。結婚が決まったらしい。おめでとう、と言ったらおかげさまで、と言ってたよ。何がおかげさまなのかは知らないが、まあめでたいのはいいことだな。」
ほとんどつながった、と思う。
その常連客は、やはりある意味では僕たちと同じだったのだ。だから店主には――。
「なにその顔。もしかしてなんかわかったの?」
江坂が身を乗り出すようにして、僕に迫る。いや、近い近い。
「まあ――」
「早く教えなさい!」
僕は身体をそらして、江坂の顔から距離をとる。
「釣り銭だよ。その客は釣り銭が目当てだったんだ。」
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