016. 回想

 僕は弱くもないが強豪でもない野球部でショートを守っていた。え、ショートも知らないのか。簡単に言えば二塁と三塁の間を守る人だ。

 僕は二年生ながらレギュラーだった。野球がそれほど好きだったわけでもないけど、器用な方だったから、それなりに上手くできた。まあ、今考えてみれば、そういう態度が気に食わない、と思っている人も少なからずいたのだろう。


 ある日、図書委員の仕事があって、僕は部活に遅れて行った。野球場のすぐ横にある部室で着替えて、途中から練習に合流した。その日はベースランニングの日で、他の部員は野球場で延々と走り込みをしていた。練習が終わって、部室に戻ったときに、トラブルが起こった。ある先輩のグローブが引き裂かれていたのだ。

 外部からの侵入の可能性はなかった。部室には窓がなく、入り口は一つだけ。その入り口は、ベースランニングをしている間、ずっと全部員に見えていた。

 つまり、犯行が可能だったのは、僕だけだった。


「あなたがやったの?」

「まさか。」

「まあそうよね、あなたはそんな大それたことができるほどの度胸はないわ。」


 その通りかもしれないが、面と向かって言われると腹立たしい。


「でもそれって、密室、あるいは不可能犯罪ってこと?」


 心なしか江坂は目を輝かせているように見える。奇譚を見つけたときのあの目だ。


「いや、悪いがこれはそんな大層なもんじゃないんだ。」


 面と向かって僕が犯人だと言う人は誰もいなかったが、僕を疑わしい視線で見るその場の雰囲気はよくわかった。状況的には、僕以外の誰の犯行も不可能だったのだ。

 しかし、僕には動機がなかった。僕はショートのレギュラーで、その先輩は控えだった。だから、レギュラーになるために僕が嫌がらせをした、なんてこともない。


 結果的に、野球部の怪事件として、犯人を明らかにすることなく事件はうやむやにされた。証拠もない以上、それが妥協的なおとしどころだったのだろう。

 ただ、三年生の先輩を中心になおも僕に疑いの目を向ける人はいたし、そうでない人もどこかしら腫れ物のように僕を扱うようになった。どことなく会話が自然に流れていかない。僕が来ると、部室の空気にわだかまりができたように、ぎこちなくなる。

 吉徳だけは例外だった。吉徳も二年生ながらレギュラーのキャッチャーを任されていた。中学のときから、飄々としていて、どことなく腹の読みづらいやつだった。最初から、吉徳だけは、ケイはそんなことしないですよ、と言いきっていた。周囲の僕に対する態度が変わっても、吉徳は以前と変わらず半ばにやけたような顔を浮かべて、しつこいぐらいに僕に話しかけてきた。


「一応言っとくが、これは同じクラスの布施吉徳のことだ。」

「そのくらい話の流れからわかるって。」

「江坂がクラスメイトの名前を覚えていたなんて驚きだな。天変地異でも起こるんじゃないか?」

「うるさい! あなたが教室でよく話してるにやけ顔の図体のデカい男子でしょ? そんなやついた、くらいには覚えてるわ。」


 僕のことをにらみながら言う。

 話を戻そう。


 といっても、話はもうほとんど残っていない。

 僕は部活をやめた。吉徳は、ほんとはケイともうちょっと野球したいんだけど、と言ったが、僕の意思が固いとわかると無理に止めることはしなかった。その代わり、部活以外の場所でも何かと吉徳と一緒にいることが多くなった。


 僕は、できる限り知り合いの少ない高校を探して、私立でそこそこの進学校であるS坂高校を受験することに決めた。受験は簡単ではなかったが、もともと不得意ではなかったし、部活をやめた分、時間はあった。そしたら、どういうわけか吉徳もついてきて、今は晴れて同じクラス、というわけだ。

 これで話はおしまい。


「どういうことよ、全然おしまいじゃないじゃない!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る