しばし、引き裂かれたグローブ

015. 信玄餅をほおばる江坂ゆきの

 放課後、奇譚研究会の部室、すなわち生物準備室のドアを開けると、すでに江坂が座って本を読んでいた。僕が入ってくるのを見て、少し顔を上げたが、またすぐに本の方に顔を戻す。僕も江坂の斜め向かいに座り、読みかけの文庫本を取り出す。本を開いてまさに本を読み始めようとしたそのとき、江坂がおもむろに言う。


「お土産は?」


 ほいよ、と言って僕は信玄餅をテーブルの上に置く。江坂はさっそく包みをやぶり、中から一つ取り出して食べ始める。どことなく、しっぽをふりながらえさに飛びつく小型犬のようにも見えた。


「ねえ、あなた野球やってたことあるの?」


 黒蜜をかけた餅をほおばりながら、突然江坂は僕に聞いた。


「なんで?」

「体育で見たのよ。」


 入学から早一ヶ月、ようやく退屈な体力テストが終わり、連休明けから体育の授業はソフトボールになった。僕はショートを守ることになり、決して内野を抜けさせない素人泣かせの守備をして、吉徳に大人気ない、と笑われたのだった。たしか江坂は、体調が悪いといって見学していたはずだ。


「あなたにあんな特技があったなんてね。そこらへんの野球部よりもうまいじゃない。」


 そんなことで江坂に褒められるなんて思わなかった。というより、部活に関わること以外をまともにしゃべったことがほとんどなかっただけなのだが。


「中学の途中まで野球部だったんだ。」

「へー、意外ね。中学のときから生気のない目をして、放課後の学校をふらつく帰宅部のゾンビだったわけじゃないのね。」


 いくらなんでもその言いようはひどすぎる。というか、先日の今里といい、江坂まで、一体僕を何だと思っているのか。僕はもともと、部活に真剣に打ち込んでいたタイプだったのだ。野球部をやめるまでは、僕だって毎日美しい青春の汗を流していたんだ。


「それで、あれだけ上手でなんで続けなかったの?」

「大したことじゃないよ。面倒になったからやめたんだ。」

「何かきっかけがあったんでしょ? もったいつけずに話しなさい。」


 僕は少し迷ったが、たしかに別にもったいぶって隠すような話でもない。吉徳にも言ったが、僕はもうそれほど過去にこだわっているわけではないのだ、たぶん。

 そうして、僕は江坂に中学二年の五月、野球部で起こったある出来事について語ることになった。

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