012. 死に至らないラーメン

 そのあと僕が懸命にとりつくろう羽目になったのは、ご想像の通りである。

 いきなり指を差され、意味のわからないことを言われた店主の戸惑いは、当然のものである。


 シニイタル屋台? キタン研究会? 


 となる店主に、ぺこぺこと頭を下げ、江坂の頭もついでに無理矢理下げさせる。


「死ぬほどうまい屋台って評判で、露店研究会で実食にうかがったんです。」

「露店研究会? キタン研究会って聞こえた気がしたけどな。」

「こいつの滑舌の問題じゃないですかね。」


 頭を押さえつけた手の下から江坂が僕をにらんでくる。


「ああ、君たちS坂高校の生徒だよね。あそこはいろんな部活があるって聞くけど、露店研究会なんてのもあるのか。」


 店主が僕たちの制服を見て、勝手に納得してくれて助かった。僕の必死のごまかしの成果もあってか、それ以上追及されることはなかった。

 なおも不満げな江坂には、とりあえず客を装って潜入した方がいい、と小声で告げる。江坂は、そういうことね、と納得する。扱いやすいやつで助かった。

 どうぞ座って、と店主に促され、僕たちはカウンターに並んで座る。


「ここは、ラーメンの屋台なんですよね。一番のおすすめは何ですか?」

「鹿ラーメンってのが看板メニューだ。神社にあやかってね。」

「ってことはジビエですか?」

「まさか、鹿を祀る神社の前で鹿肉は出せないよ。海老天を二本、鹿の角に見立ててラーメンに載せてるんだよ。」


 店主は写真つきのメニュー表を僕に見せながら言った。


「へえ、ラーメンに海老天、って珍しいですね。」


 そうだろ、と言って店主は笑う。


「あとはこの、しじみラーメンも看板メニューだな。」


 江坂は不機嫌そうに頬杖をつき、メニューと店主の顔を見比べるように視線を動かしている。


「おっちゃん、わたし、塩ラーメン。」


 江坂はどうでもよさそうに一番安いメニューを注文する。おすすめを説明してくれた店主に悪い気がして、僕はしじみラーメンを注文した。


「はいよ。お、よく見るとお嬢ちゃん、べっぴんさんだね。」

「うるさい。」


 江坂の圧力に気圧されたのか、店主は黙り、そそくさとラーメンの準備に取りかかる。


「おい、お前のせいでいろいろと聞き出しづらい雰囲気になったぞ。」


 僕は江坂に小声で話しかける。


「うるさいわね。わたしが何とかするわよ。」


 こいつの何とかする、は面倒ごとを引き起こす気しかしない。

 どうするのかと思っていると、ラーメンの湯切りをする店主に江坂が尋ねる。


「ねえ、この店の黒い噂を聞いたんだけれど、何かやましいところがあるんじゃない?」


 そんな明け透けに聞くやつがあるか、と驚いたが、もっと驚いたのは、店主が明らかに狼狽する様子を見せたことだった。リズミカルにお湯を切っていた腕が一瞬止まった。そして、それを取り繕うように笑い、


「いきなり変なこと聞くね、何のことかな」と言った。


 その様子はどう見ても不自然で、ぎこちなかった。江坂もそのことに気がついたようで、追いうちをかけるように問いただす。


「この屋台でラーメンを食べると呪われるって噂のことよ。知らないとは言わせないわ。」


 え、と素っ頓狂な声がした。店主は目を丸くして僕たちを見る。


「呪われる? そりゃ一体なんのことだ?」

「ここは死に至る屋台なのよ! 食べた人が不審死したり、呪われたりするって、噂になってるのよ。」


 店主はあからさまに気分を害したようで、語気を荒らげる。


「こっちも客商売なんだ、そんな適当な噂を広められるのは困る。」

「適当な噂じゃないわ。証拠を見せるわ。」


 江坂は自信満々にそう言って、スマートフォンを取り出して何やら操作している。

 店主は撫然とした表情で腕を組んでいるが、江坂が何を出してくるのか気にしているようで、カウンター越しの江坂をちらちらと見ている。


 一方の江坂は、先ほどからひどく焦った様子で、画面を指で上に下にスクロールして、あれ、とか、おかしい、とか、このへんのはずなのに、とか言っている。


「あの、江坂、たぶんお前が探していると思われる掲示板の書き込みだけど、さっき花田先生が削除しておいたって――」

「何でそれを早く言わないのよ!」


 江坂は半分涙目である。こうなった以上、客観的に死に至る屋台の噂を証明するものは何もない。


「校外の掲示板とかSNSとかに情報は出てなかったのか?」

「そこまではまだ調べてないわ。」


 僕たちのやりとりを見て、おそらく証拠が出せないことを悟ったのだろう。


「言いがかりはやめてもらいたいね。食ったら帰ってくれ。」


 店主は僕たちの前に、どん、とラーメンを二つ置いた。

 すみません、と言って、僕はラーメンを食べ始める。江坂はしばらく、何だって消すのよ、などぶつぶつ言っていたが、結局、出された塩ラーメンを食べ出した。


 学校帰りの空腹にしじみラーメンは美味しく感じられたが、それほど味わって食べることもできなかった。屋台にはぴりぴりとした空気が流れていて、食事をかきこんで、一刻も早く立ち去らなければならない雰囲気だった。江坂も黙々とラーメンを口に運んでいる。


 食べ終わるとすぐに、追いたてられるようにして僕たちは屋台をあとにした。会計をして、ごちそうさまでした、と僕が言うと、店主は無愛想に、はいよ、とだけ言った。




「なによ、あの態度、むかつくわね。」


 学校に向かって戻る道中、腹の虫がおさまらない江坂が悪態をつく。

 下校時刻は過ぎていたが、僕たちは学校のなかを通って家に帰ることにした。僕は駐輪場に自転車が置きっぱなしだったし、江坂は学校の敷地を突っ切った方が近かったからだ。下校時刻を過ぎると校舎や体育館などの施設には入れないが、通用門は比較的遅くまで開いている。


「こっちが先に言いがかりをつけたようなもんだ、無理もないだろ。」

「ほんと、むかつく。」


 花田がいけないのよ、と江坂はなおも掲示板の投稿を消されたことに文句を言っている。


「だが、江坂、あの店どこか怪しいと思わないか?」

「だから最初から怪しいって言ってたじゃない。」


 それは単なる当てずっぽうだっただろう。


「何か根拠でもあるの?」

「お前が最初に、何かやましいことがあるのか、と聞いたとき、店主は明らかに様子がおかしかった。」

「そういえばそうだった。わたしも怪しいと思って、それで死に至る屋台のことを問い詰めたのよ。それなのに証拠が消されてて――」

「いや、死に至る屋台、というか呪いやら不審死の噂は、本当に聞いたことがなさそうだったぞ。」


 江坂に噂について問われたときの、まさに寝耳に水、といった店主の表情を思い出す。


「それなら、一体何が怪しいっていうの?」

「それは――」


 やましいことがあるのか、という問いの答えは、イエスだ。店主は、何かしらやましいこと、知られてはまずいことがあるのだ。だが、少なくともそれは死に至る屋台の噂に関するものではない。それなら一体何を店主は隠しているんだ?


「まだ、わからない。」


 僕は正直に答えるしかなかった。

 ふん、と言って、江坂は僕を半にらみしている。


「なんだその使えないな、という表情は。」

「まあ、いいわよ。とりあえず、何かしらあの屋台が怪しいことはわかったし。」


 それもそうだ。僕としては、わざわざ遠くにある屋台を調べに行かなくていい、というだけでもありがたい、というのが本音だった。


 そんな話をしながら駐輪場についたときには、あたりは完全に暗く、僕たち以外に学校に残っている学生は誰もいないようだった。白い蛍光灯に包まれた駐輪場は、場違いに夜のなかに浮かびあがっているように見えた。


 駐輪場に置いてあった自転車を回収し、乗らずに押しながら、江坂と並んで歩いた。江坂は学校からそう遠くないところに住んでいるらしく、歩いて通学しているという。


「そんなに遠くないし、歩きでも問題ないのよ。」

「そうは言っても、自転車の方が何かと便利だろう。」

「だって――」


 江坂はそこで言葉につまる。


「もしかして、乗れないのか?」

「うるさい!」


 どうやら本当に江坂は自転車に乗れないらしかった。本人はそれを気にしているのか、すごい形相で僕をにらみつけている。別に自転車に乗れないくらいで、それほど恥じる必要もない気がするが。

 僕がそう言うと、江坂は、全然そんなことない、と投げつけるように言う。


「できなくても別にいい、って思うことなんて何にもない。どんなことでもできないより、できる方がいいに決まってる。」


 妙なところで自分に厳しいというか、強情なやつだ。でも、何となくそう言い切ってしまえることは、清々しいと思った。


 僕はどうだろうか? 

 僕はそれほど多くのことを自分に求めてはいない。

 できることはできるし、できないことはできない。

 それでもいいと思ってしまう。

 だから、江坂の迷いない言葉を聞いたとき、心の奥底が少し揺さぶられるのを感じた。


「そんなに言うなら、今度練習に付き合ってやろうか?」

「うっ――」


 街灯の白い光の下で、心なしか江坂の顔が赤くなっている気がする。怒りなのか、恥ずかしさなのかは、わからないが――


「うるさい!」


 返ってきた言葉は、特大の文句だった。



 学校から少し歩いた十字路で、僕たちは反対の方向に別れる。


「それじゃ、明日からもあの屋台の調査を続行する。いいわね!」


 少し前までの不機嫌さは消えて、やる気に満ちあふれた表情。江坂はいつもの野性味あふれる笑顔を浮かべていた。


「明日もあの屋台に行くのか?」

「当たり前でしょ。」


 さすがに気まずい、とか思わないのだろうか、こいつは。


「怪しいところを突き止めるまでは調査するわ。」


 江坂は確固たる決意である。こうなったら江坂を止めることなんて、不可能なのだ。

 僕は毎日放課後にラーメンを食べて、財布の中身がもつだろうか、と考えていた。最悪、小遣いを前借りしなければならない。母にも夕食を少し減らしてもらうように頼むしかない。

 やはり、どうやってでも手っ取り早く死に至る屋台の問題を解決しなければならない。江坂とは全く異なる理由で、僕も決意を固め、僕たちはそれぞれの帰路へと別れた。

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