010. 今里あかり
「遅い!」
僕がドアを開けて、開口一番がそれだった。人を適当に使っておいてそれはないだろう。
「それで、花田先生はなんて?」
「部活としての活動は許可しないけど、俺と江坂のデートは止めないってさ。」
「ど、どういうことよっ!」
ものすごい剣幕で僕に詰めよる。あんまりからかうと後が怖いので、僕は素直に職員室でのやり取りを伝える。
「つまり、部としてではなく、個人的に調査する分には黙認する、ってことだよ。」
江坂は、なんだ、そういうことか、と合点がいったようだ。
「いかにもあの教師の言いそうなことね。」
江坂も何回かの交流のなかで、花田みゆうについて思うところがあるあらしい。
「とにかく、これで障害はなくなったわ。何となく腹立たしいけど、花田の言う屋台に行きましょう。」
「行くって、まさか今から?」
「あたり前でしょ。善は急げよ。」
一体どこらへんが善なのかはわからないが、下校時刻までもうそれほど時間もない。帰るにはちょうどいい時間だった。
「鍵、返してくるから昇降口で待ってて。」
江坂がそう言って、僕たちは部室の前でいったん別れる。
昇降口で江坂を待っているのは何となく落ち着かない気分だった。
考えてみれば、昇降口から江坂と一緒に帰るのは初めてのことだ。普段、解散して僕はそのまま帰宅するが、江坂は職員室に鍵を返しに行く。だから、誰かと一緒に帰るのは新鮮な気持ちだった。中学で部活が一緒だったころは、よく吉徳と帰っていたが、今は遅くまで野球部の練習に出ている吉徳と帰ることはない。まして女子と一緒に下校するなんてことは――。
そこまで考えて、いやいや、と僕は思い直す。相手は自己中独裁者、脳内オカルト少女の江坂ゆきのである。一緒に下校するといっても、女子にカウントしていいのか、はなはだ疑問である。
少なくとも、待ち合わせて下校する甘酸っぱい青春、などと言うものとは程遠い、はずだ。
だが、同級生たちはどう思うだろうか? 教室での江坂はE組の深窓の令嬢、常に孤高の静謐さをたたえたミステリアスな美少女である。畏れられる反面、秘かに憧れをもつ男子も少なからずいると聞く(吉徳情報だ)。一緒に下校しているところを誰かに目撃されると、面倒なことになるのではないか――。
「中津くん。」
不意に後ろから肩をたたかれ、驚いて振り返る。ショートカットに人の良さそうな自然な笑顔。人懐っこい猫を思わせるような少女。
「今里さん――」
同じクラスの今里あかりだった。
「いま帰り? この時間ってことは、部活終わりだよね。」
そうだ、とうなずく。特に親しいわけではなかったが、彼女とは何度か話したことがある。男女問わず誰にでもフレンドリーに話しかけ、多くの同級生から好感を持たれる、そんなタイプだった。
「今里さんも?」
「そうだよ。あたし、料理研究会なの。」
へー、料理研究会。
一度見学に行こうとしたときのことを思い出す。男子禁制女の園がかもしだす雰囲気がトラウマになっている。よくあんなところに混じっていけるものだ。
「えー、そうかな。みんな優しい人ばっかりだよ。」
今里あかりは、僕の話を笑って打ち消す。
「内部生が多くて混じるのは大変じゃない?」
「うん。でもみんな優しくしてくれるし、すぐなじめるよ。」
みんな優しい、か。少なくともその優しさが僕に向けられることはなさそうな雰囲気だったのだが。
「それより、中津くんは何の部活入ったの? 何となく部活とかやらなそうだから意外。」
一体僕をどんなイメージで見てるのか、と思ったが、僕だって全く部活に入る気などなかったのだから、文句も言えないだろう。
「奇譚研究会。」
「何それ? はじめて聞いたかも。」
あはは、と笑いながら今里あかりは言う。僕が彼女をからかっているのではないか、と疑わしそうな顔で僕を見る。無理もない。二週間前まで生徒手帳のすみに名前だけ書かれていて、実質部員ゼロ、活動実態のない同好会だったのだから。
「まあ、何となく楽そうな部活に入りたかっただけだから。」
「そうだよね。それ、すごく中津くんっぽい。」
おい。だから一体僕をどんなイメージで見ているんだ?
「部員は何人くらいいるの?」
「二人――」
「え、二人?」
さすがに驚いたように今里あかりが言う。
「もう一人はどんな人なの?」
江坂のことを言うのは少し躊躇われたが、ごまかしても仕方ないだろう。
「江坂ゆきのだよ。」
「え、あの江坂さん? ウチのクラスの?」
「そう、その江坂ゆきの。」
今里はさっきよりもさらに驚いた様子だった。
「江坂さんがそんな部活に入ってたなんて知らなかったよ。」
正確に言えば、江坂が奇譚研究会に入った、というより江坂が奇譚研究会を再び始めてしまったようなものなのだが。
「江坂さん、部活ではどんな感じなの?」
「聞いて驚け、江坂は部活ではよく喋る、喋りすぎるくらいよく喋る。」
「えー、嘘でしょ?」
今里あかりは、僕の冗談が面白かった、とでも言うように、あはは、と笑う。
「それで、そのよく喋る江坂さんと二人きりで何をする部活なの?」
「それがよく俺にもわからないんだ。」
「またまた、中津くんってば。」
あはは、という今里の笑い声が人のいない放課後の昇降口に響く。
まったく、よく笑うやつだ。でも、花田みゆうの何を考えているのかわからない表情に比べて、今里の笑い方は、あっけらかんとしていて心地よい。
「なんか面白そうな部活だね。」
「部室は生物準備室だから、そう思うんなら遊びにくるといい。」
他人事だから面白そう、で済むのだが、江坂の気まぐれな活動に付き合わされる部員としては、迷惑もはなはだしい。
「そうなんだ! じゃあ調理室から近いね。こんど遊びに行かせてもらうね。」
にこっ、と人懐っこく笑って、今里あかりは言った。
「じゃあ、そろそろバスの時間だから、またね!」
今里あかりは手をあげて、夕暮れのなかに小走りで駆けていく。こういうのが昇降口での甘酸っぱい青春の一幕のあるべき姿なのだろうか、などと今里の後ろ姿を見ながら考えてしまった自分を少し恥ずかしく思った。
「いま誰かと話してたわよね?」
今里あかりの姿がすっかり見えなくなったあと、現れたのは全身から不機嫌をにじませた江坂ゆきのである。
「ああ、同じクラスの今里だよ。」
「誰よそれ?」
江坂の同級生に対する無知は、もはや手の施しようがない。不機嫌なせいか、いつもよりさらに刺々しい。
「出席番号、一つ違いだろう。席もお前の目の前だ。」
お前、と言ったところできっ、と僕をにらむ。何だっていつにもましてそんなに喧嘩腰なんだ?
「うるさい! 知らないっていってるでしょ。」
これ以上この話をしても不毛な争いが続きそうだった。
「ところで、やけに時間かかったな。」
「花田よ。あの教師、鍵を返そうとしたら、わたしを呼び止めて、仕事を増やすな、とか迷惑をかけるな、とか言うのよ。うるさいったらありはしない」
なるほど、それで江坂はこんなに不機嫌だったのだろう。
「第一、わたしがあの教師にどんな迷惑をかけるって言うのよ。」
江坂が花田みゆうにかけそうな迷惑に関しては、僕は何十通りも浮かんだのだが、あえて何も言わないでおく。無益な争いはしない主義なのだ。
「ほら、突っ立ってないで、歩きなさい。」
待っていたのは僕なのだが、靴を履きかえた江坂は、ずんずんと勝手に歩いていく。
まったく。僕はため息をつきながら後ろから江坂についていく。
悲しいかな、こちらが僕におあつらえ向きの昇降口での一幕なのである。
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