009. 花田みゆう

 高校職員室の入り口で花田先生の名前を告げると、部屋の奥の方から、こっち来てくれる、という声がした。声をたよりに教員のデスクの間をぬって、進んでいくと、こっち、と再び呼ぶ声。


「何か私に用事?」


 椅子をくるっ、とわずかに回転させ、若い女性教師が僕と向い合いながらにこやかに言う。


 たしかに、吉徳作成の美人教師ランキングの上位だけあって、整った顔立ちだと思った。ショートカットに丸顔、柔和に笑ったところは、なかなか愛嬌がある。童顔なうえに、小柄なこともあって、高校生くらいと言われても信じてしまうかもしれない。服装も、ゆったりとしたワンピースに薄桃色のセーターを重ねていて、可愛らしい格好だった。


 だが――。


「ごめんなさい、今ちょっと食事中で、片付いてなくて。」


 僕の視線に気が付いたのか、にっこりと笑ったまま花田教師は言う。


 デスクの上には食べかけのカップラーメン。その両側には、僕の肩のあたりまで積み上げられた書類やらノートやら本の山。小柄な花田教師の身長と変わらないほどの高さあるのではないか。そう、彼女のデスクは尋常じゃなく汚かったのだ。


「ご用って何ですか? その靴の色、一年生だよね?」


 あまりの光景に圧倒されていたが、僕は本題を思い出す。


「あの、奇譚研究会に入部した中津圭一郎です。顧問の花田先生ですよね?」


 花田は合点が入った、というようにぽん、と手をたたく。可愛らしいとも言えるが、どことなく芝居がかった仕草でもある。


「ああ、あなたが中津くんね。あの奇譚研究会の。この間、江坂さんから少し話は聞きました。やる気に満ち溢れた手下が入会したって。」


 あいつは一体僕を何だと思っているのだろうか。


「顧問の花田みゆうです。二年B組の副担任をしています。担当教科は古典。よろしくね、中津くん。」


 柔和に微笑みながら花田みゆうは言う。きっとさぞかし生徒に人気があるだろうな、と思いながら、僕も軽く頭を下げる。


「一年E組の中津です、お願いします。今日は校外活動の許可がいただきたくて来たんですが。」

「奇譚研究会なんて部活に入ったわりに、あなたはまともそうね。」


 にこやかな笑顔のまま、花田先生は言った。あんたはその奇譚研究会の顧問だろう、と思うが、何も言わない。たしかに江坂はまともとは言えないだろうし、こんなことで先生に噛みついても仕方がない。

 僕はかいつまみながら、今までの経緯を説明する。


「奇譚研究会の活動として、学校の掲示板で奇譚らしきものを募集し、それを調査したいんです(江坂が)。その調査のために(江坂が)校外で活動したいと思い、僕が許可をいただきに来ました。」

「なるほど……。」


 花田先生は、おもむろにデスクの方に向き直ってなにやら探し始める。積み上がった荷物の山を崩さないように慎重に引き抜いたのは、ノートパソコンだった。先生はカップ麺を押しのけてパソコンを広げ、何やら操作する。


「じゃあ、これはやはり、あなたたちだったのね。」


 そう言って、僕に見せたのは、学校ホームページの生徒用掲示板だった。


『奇譚大募集! 誰かこの学校の近くで起こった不思議な話を知りませんか? 人が不審死したり、神隠しにあったり、亡霊が出たり、恐ろしい出来事に遭遇した人はこの掲示板に書き込んでください!』


「今朝の職員会議で問題になったのよ。何やら物騒なことが掲示板に載せられてるって。」


 まったく、江坂には常識というものがないのだろうか。学校の掲示板で奇譚を募る、といっても、もう少しやり方があるだろう。この書き込みなら問題になっても仕方がない。


「これは、江坂さんの書き込みで間違い無いですね。」


 花田先生は、やわらかく微笑んだまま僕に尋ねる。はじめから、僕ではなく江坂の書き込みかと尋ねるということは、誰が書き込んだか予想していたのだろう。


「そうです、すみません。」

「学校の方で、この投稿とそれに対してのいくつかの返信は削除することになりました。」


 妥当な判断だと言うべきだろう。しかし、これで掲示板を使ってさらなる情報収集をすることは不可能になった。それが僕にとって喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのかは微妙なところである。


「それで、今日はこのことに関係した用事ですか?」


 話が早くて助かる。


「はい。ご覧になったかもしれませんが、掲示板には怪しげな屋台の噂が書き込まれていたそうです。それについて校外で調査したいので、許可をいただきたいです。」


 花田みゆうは、にっこりと微笑む。


「許可しません。」

「え――」


 思わず先生を凝視してしまう。目を細めて笑うところは、やはり可愛らしい様子だ。


「あの――」

「許可しません。」


 えっと、それは……。僕の戸惑いをよそに、花田先生は相変わらず可憐な笑顔のままである。


「だって、仕事が増えるじゃないですか。」


 にこやかな笑顔と明るい口調とは裏腹に、花田みゆうが挙げた理由はそっけないものだった。


「部活の顧問が校外活動を許可する場合、引率の義務が生じます。当然、あなたたちの行動に関する責任もです。」

「でも先生は奇譚研究会の顧問ですよね?」

「私がこの部活の顧問をしているのは、奇譚研究会が活動実態のない同好会で仕事が増えないからです。」


 柔和な表情にごまかされそうになるが、言っていることは怠惰そのものである。とても顧問の教師が部員にする発言とは思えない。


「つまり、先生が面倒だから校外での活動許可は出せない、ということですか?」

「その通りです。」


 目の前に咲いた満面の笑顔。一瞬僕も微笑み返しそうになるが、騙されてはいけない。この先生、教師としてとんでもないこと言ってないか?


「じゃあ、校外での調査はするな、ということですか?」

「そんなことは言ってませんよ。私の仕事を増やさないでください、ってお願いしただけです。あなたたちが放課後に屋台をめぐってデートすることを止めたりはしていませんよ。」


 花田みゆうは、少し首を傾けて、一段とにっこり僕に微笑みかけた。

 つまり、花田みゆうは、部として申請して活動することは許可しないが、勝手にやる分には黙認する、と言っているのである。笑顔の裏でずいぶん陰険な考えを働かせているものである。


 僕は、どうして江坂が花田先生を苦手だと言ったのか、わかった気がした。花田みゆうは、柔和な笑顔を絶やすことはないが、その実、何を考えているのかわからない。少なくとも部室での江坂は自分の欲望に忠実で、正直な人間である。江坂にとって花田先生が得体の知れない人間に思えても、そう不思議はないだろう。


「ありがとうございます。」


 僕が言外の意味を読み取ったことに満足したのか、花田先生は軽く頷いた。江坂とデート、などと言われたことは心外だが、一応は活動を認めてくれたのだ。ここは例を言っておくべきだろう。


「ただ、くれぐれも私に迷惑をかけないでくださいね。」

「善処します。」


 僕もそう願っているのだが、何せこちらには江坂ゆきのがいるのだ。江坂がどんなトラブルを巻き起こしても不思議はない。

 それでは失礼します、と軽く頭を下げて立ち去ろうとすると、そうだ、と花田みゆうが僕を引き止める。


「S坂を降りたところに崇鹿神社があるでしょう? その駐車場のところに最近屋台が来ている、という話を聞いたことがあります。おいしいお店だといいですね。」


 にっこりと笑って、花田みゆうは言う。

 まったく、腹の読めない教師である。一体この人は僕たちの活動をどう思っているのだろうか? やめさせたいのだが、手伝いたいのだが、いまいち判然としない。だが、とりあえずこれで今日の活動の足掛かりはできた。


 なおも微笑んでいる花田先生に頭を下げ、職員室を出て江坂の待つ部室へと足早に向かった。


「あら、ラーメン冷めてる。」


 後ろでほんの少しばかりうらめしそうな声がしたが、聞こえないふりをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る