007. 墓穴を掘る
江坂は、それから数日間、生物準備室には現れなかった。
僕は念のため理科棟をまわり、鍵がかかったままなのを確かめて帰った。自分でも馬鹿馬鹿しいことをしているような気にもなったが、どこか江坂に悪いという思いもあった。
教室での江坂は、相も変わらず無口な能面少女だった。男子たちの間では、実は大金持ちの令嬢で同級生全員を見下しているとか、人には言えない秘密を抱えていてそれに勘づかれないように同級生を遠ざけているのだ、とか怪しげな噂がささやかれ始めていた。
「ケイ、江坂さんと喧嘩でもした?」
教室で昼食をとっているときに、ニヤニヤしながら吉徳が聞いてくる。飄々としているようで、吉徳は妙に勘が鋭いところがあるから厄介だ。
「いや、そういうわけじゃ――」
「仲直りしてこいよ。」
「だから違うって。」
僕は仕方なく、ここ最近の奇譚研究会の活動について吉徳に説明した。
「それは、――ケイが悪いな。」
「やっぱり、そうなのかなあ。」
だが、奇譚なんてそう易々と身近に見つかるものでもないのだから、仕方がない。
「でも、江坂さんって、部活というかケイの前ではよくしゃべるんでしょ?」
「まあ、そうだな。」
「気にしてるんなら、普通に教室で話しかければいいじゃん。」
「席が遠い。なんでわざわざ俺から話しかけに行かなきゃいけないんだ。」
名簿順の席で、江坂は教室入り口近く、僕は反対側の窓のそばで、端と端だった。
しかし、言われてみればそうである。教室で普通に江坂と話せば、無口な江坂と活発な江坂、どちらが本物か、という疑問も解消されるのではないか。だが、教室の隅で本を読む仏頂面の江坂は、どこか話しかけづらかった。
「それに――」
「それに、なに?」
「なんか恥ずかしい。」
ぷぷっ。僕は吉徳を睨みつけるが、こらえきれなくなったのか、あはははは、と大きな声を上げて笑い出した。周りで昼食を取っていた同級生の何人かが、何事か、とこちらに振り向く。
「おい。」
「いや、すまん。ケイのくせに、教室で女子に話しかけるのが恥ずかしいなんて、一丁前に思春期男子みたいなことを言うから。」
吉徳はなおも笑い続けている。腹の立つ野郎である。
僕だって、これでも一応は思春期男子なのだ。
「だって、友達は一人いればいい、群れるのは面倒だ、集団行動は時間の無駄、って言ってたあのケイがねえ。」
そんなこと言っただろうか。まあ、吉徳が言うならそうなのだろう。
「大人数ではしゃぐのが苦手なだけで、別に他人の目を全く気にしてないってわけじゃない。そりゃ、女子に話しかけるのは緊張するし、気後れだってする。」
それに、相手がE組の深窓の令嬢の異名をとるあの江坂ならなおさらだ。
「そうかそうか、からかって悪かったね。」
「殴るぞ。」
「それはそうと、せっかく部活に入る気になったんだ。つまらないプライドなんかで無駄にするのは、もったいないよ。」
まったく、ふざけてるように見えて、妙に見透かしたようなことを言ってくる。
これだから、この親友はまったく、厄介なのである。
帰りのホームルームが終わると、同級生たちは一気にそれぞれの目的地に向かって解き放たれ、散り散りになっていく。僕は人気のなくなっていく教室で、目的もなくゆるやかな時間を過ごす。だから、その解放の瞬間は、穏やかな放課後へとつながる僕の最もお気に入りの時間だった。
だが、今日は僕にもやることがあった。
教室から出て行く同級生たちのなかに、江坂の姿を見つける。今日も部室には寄らずに帰るつもりらしい。
僕は立ち上がり、江坂のことを追いかける。ちょうど教室を出たところで、リュックを背負った彼女に追いついた。
「江坂!」
江坂ゆきのが振り向く。いつも通り、きっ、と僕をにらむその表情は、話しかけてくるな、と言わんばかりだ。
「何?」
「ちょっと来てほしい。話がある。」
何人かの同級生が僕と江坂が話しているのに気がつき、好奇心とともにこちらを見ているのがわかる。
僕はとくに理由があるわけでもなかったが、理科棟生物準備室の方に歩いた。江坂ゆきのは、特に文句も言わず、黙って僕の後ろについてきていた。理科棟の一番奥、生物準備室の前まで来ると、近くには誰もいなかった。
「何?」
もう一度、問いかけるその顔は、相変わらず僕をにらんでいた。
「部活のことだけど。」
一瞬、心に迷いが浮かぶ。僕は平穏な放課後を何よりも大切にしていたはずだ。今からすることは、それと矛盾するのではないか?
しかし、ここまで来たら後戻りはできない。
「奇譚を探したいなら、学校の掲示板を使えばいい。」
掲示板といっても、ネット上の掲示板だ。学校のホームページから生徒用のサイトにログインすると生徒たちが情報交換を行う掲示板に入れるのだ。そんなものがあるとは全く知らなかったが、吉徳が教えてくれたんだ。
「誰よ、それ?」
「同じクラスの布施吉徳だよ。」
「知らない。無駄に縁起の良さそうな名前ね。」
コイツのクラスメイトに対する無知ぶりは、今さら追及しても仕方がない。吉徳の名前が無駄に縁起が良さそう、という点には激しく同意しておこう。
「とにかく、誰かに聞きこんだり、個別に奇譚を集めたりするのには限界がある。その掲示板には、匿名で校内に質問できる機能もあるらしい。これを活用してみたらいいんじゃないか?」
江坂はまだ僕のことを半にらみしていた。
「どうしてそんなこと教えてくれるのよ。」
勢いとは言え、一度会員になったからには責任がある。それに、江坂が持ってきたあれこれの話を全て否定しておいて、自分は何の話も出さないのは、さすがに卑怯と言うものだ。と正直に言うのは何となく癪にさわった。
「無益な争いは避ける主義なんだ。」
「なにそれ、まあいいけど。」
江坂は、そう言って一瞬何かを考えるようにうつむいた。そして、顔を上げたときに、僕が見たのは、野性的で、目をきらきらと輝かせた江坂ゆきのだった。
「そう、それよ! なるほど、そんな手があったのね。あなたにしてはいい考えね。」
うんうん、それでいこう。江坂は、今後の活動を勝手に決めて納得したらしく、何度かうなずいてからこう言った。
「今日は解散して、帰ってすぐ掲示板で情報収集をするわ。明日の放課後、ここにまた集合すること、以上!」
それは、はじめて見たときのような活力に満ちあふれたこれ以上ないほどのドヤ顔だった。
まったく、僕もえらくお人好しなことをしたものである。これでまた、平穏な放課後はしばらくやってきそうにない。
その予想通り、いや僕の予想以上に早く、かつ面倒な奇譚が次の日、江坂ゆきのによってもたらされることになる。
*
以上、長い回想終わり。
この物語は、やっとここから本当の奇譚、僕たちが関わることになった死に至る屋台にまつわる話について語り始めることになる。僕と江坂ゆきのが出会った、本当は単純なのにややこしく、どこまでもありふれているのに、どうしようもなく奇妙な、そんな奇譚について。
そう、つまりこれは、最初から最後まで、僕と江坂ゆきのにおあつらえ向きで、僕と江坂ゆきののための話だったのだ。
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