002. ようこそ!我がS坂高校奇譚研究会へ
担任が帰りのホームルームの終わりを告げ、放課のチャイムが鳴る。その瞬間、押しこまれていた空気が一気に外に逃げていくように、解放された生徒たちが散り散りになっていく。部活見学の相談をしていた同級生たちが一人、また一人と教室から去っていくと、穏やかな放課後の時間がやってくる。入学して約一週間。目下のところ、そのときが高校生活で最も心休まる時間だった。しかし、今日は、僕の平穏な放課後を邪魔する奴が目の前にいる。
「ねえ、本当に何の部活にも入らないつもりなの?」
同じ中学から唯一このS坂高校に入学した友人、布施吉徳だった。身長は高いが、ひょろひょろとしていて、見透かしたようなにやけ顔がトレードマーク。基本的には情に熱いやつだが、なかなかの曲者でもある。そして、僕が一人でのんびり過ごす放課後を邪魔しようとする大罪人である。
「何度も言ったろ、俺は平穏な放課後が好きなんだ。」
「でも、全員何らかの部活か同好会に所属するのを強く推奨するって、長居も言ってたよ。」
長居というのは、我らが1年E組の担任の名前である。
「推奨だ。強制じゃない。」
「逆に何にも入らないと悪目立ちするって聞いたよ。」
なんとも面倒な話だった。それなら最初から全員強制にでもすればいいものを。
「ほら、ウチの高校の校是ってやつだよ。自主の精神をもって、真理を追求する、ってやつ。」
自主の精神って言っても、ほとんど強制みたいなもんじゃないか。
「あはは、そういうところ、ケイは相変わらずだね。」
「ところで、お前はこんなところで何してるんだ? 野球部の見学に行くんじゃなかったのか?」
吉徳はひょろひょろしているくせに、やたらと肩だけは強くて、中学のときからずっとキャッチャーをしている。
「そうだよ、それでケイを誘いに来た。」
「冗談はやめてくれ。俺はもう野球部なんてごめんだって。」
「冗談じゃないよ。」
吉徳は、勝手に僕の前の席に座って、僕の顔をじっと覗きこむ。顔はいつも通りの飄々とした笑顔だが、目は真剣だった。
「またケイと野球でもしようかなと思って。」
「だから俺は平穏な放課後を過ごしたいんだって。それに運動部は内部生のなかに混じっていける気がしない。」
S坂高校には附属中学があり、そこから進学した内部生が四クラス分、百二十人を占めている。高入生は三十人の一クラスだけで、高校2年から合流するという仕組みだった。
「まあ、はじめはね。でもきっとすぐ慣れるでしょ。」
「ヨシは相変わらず楽観的でうらやましい。」
「飛び込んで解決するときには、まず飛び込んでみるのさ。」
そう、そうやっていつも、僕を引っ張ってどこにでも飛び込んでいこうとするのだ。まったく、琵琶湖だろうがエーゲ海だろうが飛び込むのは勝手だが、一人でやってくれ。
「まあ、そこまで言うならもう良いけどさ。でも、もったいないよ。」
「もったいない?」
「いつまでも過去にこだわって、集団のなかに入っていくのを拒否してると、手に入るはずのものもみすみす逃すことになるよ。」
「別に過去にこだわってるわけじゃない。ただ、部活ってものが性に合わないと気づいただけだ。」
「ふうん、まあいいよ。また野球がやりたくなったら、いつでも見学に来なよ。」
ふん、と言って僕が肩をすくめると、吉徳はニヤっと笑った。
じゃ、俺は行くね、と言って立ち上がると、吉徳は足早に教室から出て行った。
すでに傾きかけた陽が窓から差しこみはじめていて、机の脚が長い影をつくっている。教室には、もう僕以外誰もいなかった。
*
S坂高校は、附属中学のついた私立の中高一貫校で、このあたりの地域では一応、進学校ということになっている。過去には難関大学に数十名を送り込んでいた時期もあったようだが、現在は、進学成績自体は今ひとつである。ただ、台地の斜面を利用して建てられた広大な土地に、中学棟や高校棟をはじめとして、理科棟、巨大な体育館、野球場など様々な施設を有している。このため、運動部、文化部を問わず多種多様な部活が存在しており、のびのびとそれぞれの青春に打ち込める、というのがもっぱらの宣伝文句だった。部活への参加を強く推奨する、というのもそういう事情もあるのだろう。余計なお世話である。ちなみに、S坂高校という名前は、正門の前から続くS字の下り坂から付けられた愛称らしい。以前、吉徳がそんなことを言っていた。
次の日の放課後、文化系の部活や同好会の活動場所が集まる理科棟にふらふらやって来たのは、前日の吉徳の言葉に影響されたからなどではない。断じて違う、と思う。
単に、何の部活もしてないだけで悪目立ちするのはごめんだと思っただけだ。それなら、ゆるくて活動日の少ない文化系の同好会にでも入ろう、そう思ったのだ。あるいは、活動実態がない適当な部の幽霊部員になってもいい。
僕は、昼休みのうちにあらかじめ掲示板の勧誘ポスターを見て、いくつかあたりをつけてきた。
それが、ここ理科棟で活動している文芸部、料理研究会、そしてSF研究会だ。このうち一番活動日が少なくて、ゆるそうな団体に入ろう。
理科棟は、特別教室や理科系の実験室が集まった二階建ての建物だ。化学、生物、物理、地学のそれぞれの実験室、準備室が完備されていて、理科系の授業はほとんどがそこで行われる。S坂高校は理系の教育に力を入れているらしい。一階奥には、調理実習室もあって、放課後には料理研究会の活動場所となっていた。まずはそこに行くとしよう。
行ってすぐにわかったことだが、料理研究会に入ろうなどと考えたことは、完全な失敗だった。
僕が教室のドアを開けると、そこには異物の混入を許さない女の園が広がっていた。
考えてみれば、料理研究会が女子ばかりなのは想定できることだった。だが、調理実習室のドアを開けた瞬間、華やかな女子生徒たちが一斉に闖入した虫でも見るような目で僕の方を見たのには、さすがに心臓が凍りついた。
「間違えましたっ!」
思わずドアを閉めた。ドアの前で一瞬、黙考する。
いや、考えようによっては、ここは楽園なのではないか?
そんな血迷った考えが一瞬頭をよぎった。あの華やかな女子たちの手料理を合法的に食し、味わうことができるなんて。
待て待て、僕のような高入生の地味な男子生徒をそうやすやすと受け入れてくれるはずがない。大方ほとんど不審者か変態のような扱いを受けるのがオチだろう。そもそも、楽な部活に入りたいだけで、僕は料理が得意でも何でもないのだ。やめておこう。
次に当たりをつけていた文芸部は、その日は活動していないようで、二階の生物実験室は電気も消えていて誰もいなかった。
最後に残ったのは、隣の教室、生物準備室で活動しているSF研究会だ。勧誘ポスターには、活動不定期と書かれていたから、ここも今日は休みかもしれない。だが、ドアの前まで行くと、電気がついていた。曇りガラスで見えないが、中に誰かいるらしい。ノックをすると、はあい、と中から女子生徒の声がした。
ドアを開けると、すぐ目の前に彼女はいた。
そして、すべての人を彼女のなかに引き込んでしまうような、会心のドヤ顔で、高らかに言った。
「ようこそ! 我がS坂高校奇譚研究会へ!」
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