序章
001. 謝れ、キルケゴールに
以上、我らがS坂高校奇譚研究会の活動場所たる理科棟生物準備室で、江坂ゆきのが僕に語った奇譚である。
「どう、おもしろそうでしょ?」
江坂ゆきのは、これ以上ないドヤ顔で、僕の方を見た。自分に送られる熱狂的な賛辞を期待するような眼差しで。
「出来の悪い怪談話にしか聞こえなかったけど。」
心底憤慨した顔で、うるさい、と江坂は言う。
うるさい、というのは僕に対しての彼女の口癖だ。
「れっきとした本当の話なんだけど。わたしがきちんと調査して、断片的な情報をまとめた結果得られた事実よ。」
「でも死に至る屋台、って呼び方、自分で作っただろ?」
「うるさい、違うって言ってるでしょ。」
数分に及ぶ言い合いの結果、はたして、彼女は自分が命名者であることを白状した。しかも驚くべきことに、江坂ゆきのは、キルケゴールも『死に至る病』も知らないらしかった。偉大な哲学書の駄洒落のような名前になったのは、単なる偶然だという。
そのことを話すと、江坂は、よけいに自分のネーミングが気に入ったようだ。
「わたしが真似をしたんじゃない。その何とかって哲学者がわたしの真似をしたのよ。」
またわけのわからないことを。謝れ、キルケゴールに。
「上手いこと言ったつもりかもしれないが、別にそんなに上手くもない。」
「うるさい。」
江坂は立ち上がったまま軽く机を叩いて威嚇してくる。血の気の多いやつである。
僕はといえば、無益な争いは避ける主義だ。別の話に変えよう。
「それで、そんな話でっちあげて、どうするつもりなんだ?」
でっちあげて、のところで江坂は僕のことを、きっ、とにらむ。
「どうするつもり? バカじゃないの?」
バカじゃないの、というのも僕に対しての彼女の口癖だ。
実際のところ、僕はそれほど馬鹿ではないし、成績だって良い方だと思うのだが、そんなことは言わない。無益な争いは避ける主義なのだ。
「わたしたちが、真相をつきとめて、死に至る屋台を倒すの。」
江坂ゆきのは、立ち上がったまま両手を腰に当て、再びこれ以上ないドヤ顔で、宣言した。しかも彼女はどういうわけか、その言葉がえらく気に入ったらしい。その証拠に、もう一回言った。
「わたしたちが、真相をつきとめて、死に至る屋台を倒すの。」
僕はその瞬間、どうやらこれは逃げられそうにないぞ、と思った。まだ知り合ってそれほどの月日は経っていないが、こういうときの江坂ゆきのは、どこまでも執念深く、面倒くさく、そして真っ直ぐだ。みすみす僕を見逃してくれるはずがない。それはわかる。
不本意ながら、僕はそこで、平穏でのんびりした数週間分の放課後を諦める覚悟を決めることになる。とりあえず彼女が満足するまで付き合うしかないだろう。さらば、僕の平穏な放課後たち。
はあ。
僕は思わずため息をつく。
いったいどうしてこんなことになったのか?
僕がこの奇譚研究会で、江坂ゆきのの気まぐれかつ独裁的な同好会活動に付き合わされるはめになった発端は、入学式からまだ間もない二週間ほど前の放課後までさかのぼる。
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