一三 ラブコメしよ?

 湯気がのぼる椀には油揚げとわかめが浮かび、味噌の香りがボクの鼻腔を蕩かす。網目状に軽くついた焼色が味を保証するような気さえしてくる鮭の切り身に滲んだ油分が光をはじく、黒緑をたたえた海苔と赤みの強い醤油、ぷるんとしてだしをたっぷり巻き込んだ玉子焼き。それから香の物が添えられている。艶をまとったふっくらとした白飯が膳にならび、ボクのひだるいお腹がくぅっと鳴った。朝ごはんだ。


「それじゃ、いただこうよ」というユウの言葉を受けて、ふたりで手を軽く合わせてから汁椀に手を伸ばす。出汁の利いた味噌汁の芳醇な風味が口いっぱいに広がってほのかな幸せが満ちる。日本人の魂がここにはあった。


 朝早くからユウの両親とうちの家族は何処いずこへかと出かけていった。すべての家事をさっくりと放棄して。なぜか残されたボクたちは朝ごはんを分担して拵え始めたのが一時間半前。物心がついたころからの付き合いなので言葉は交わさなくとも作業に滞りなどあるわけもなく順調に出来上がり、ようやく食卓についたところだった。


 それから、ユウがお箸で口元に湯気ののぼる炊きたてのごはんを運びながら言った。

「そうだ、ラブコメしようよ?」

「えっ、それってしようとして始めるものだったりした?」

「難しいことはいいんだよ。ラブコメのない異世界なんて剣も魔法もないファンタジーと同じだよ。ということでやるよ~」

「いや、よくわからないけど」

 まぁ付き合いますかね。


「コメとしてはやっぱりゆめぴりかが好き、いや愛してるラブと言っても過言ではないよ」

「おいまさか、ラブ米とかくだらないだじゃ……」「みなまでいわないで! お米は異世界の必需品なんだよ」

 話しかけたボクの言葉を遮るようにかぶり気味でユウが言葉を挟んでくる。


「そうだな。米と味噌そして醤油を求めちゃうお話はよくあるものな」

「デオキシリボ核酸レベルで刻み込まれてるからね」

「日本人ならではだな。実際、何カ月もご飯を食べない生活とか考えられないものな」

「そうなんだよ、異世界転移群発地帯日本神々の勇者の狩場におけるマストアイテムなんだよ」

 なんか拗らせてませんかねぇ?


「確かに、コレには同意せざるを得ない」

「でしょ、転移してさぁ、何日かのひもじい思いをしてさぁ、ようやくありついた食事がさぁ、クズ野菜の気持ち入ったうっすい塩味のスープとマジ歯が立たない黒いパンとかさぁ、ありえなくない、なくなくなくなくなくなくなーい? ドMかな。忖度してよ異世界!」

「なにかほとばしってるな。あと“なく”が多すぎて理解できまてん」


「ということで種籾たねもみがほしいなり、あと大豆!」

「そうきたか。栽培前提なのね」

「あ、大豆は枝豆のスーパーでうってる枝付きのやつを植え直してから乾燥させればいいかも」

「えっ、そんなんでいけるのか?」

「そのうち実験しよ?」

 あ、これはまた付きあわされるやつだ。


 精米されていないお米なんていざ手に入れることを考えると難しいな。農家とか農協とかにツテもないし知り合いもいないし。ワンチャン、ホームセンターとかで売って……いないよな。日常的に食べている白ごはんへの道は意外と遠かったわ。生産者さんまじでありがたいな。


「というかそれは、育てられるものなの? 異世界で田んぼを作って田植えするの? 発芽させて苗を育み、畦を作って田起こしとか代掻きとかしちゃうの? 水源の確保は? 最低一年はかかるけれども」

「いつものチートでなんとかする!」

「チートの万能感よ」

「というかいきなり定住する方向だけれど、冒険はいいのか?」


「ち、ちーとは凄いんだよ! あと冒険そっちも並行してやれるから」

 異世界ものではセットと言っていいほど同列で語られるチート(Cheat)なんだけど、脳死してるレベルで考えることを放棄できちゃうから便利だよね。もともとは騙す、欺くなんて意味で、ゲームとかで不正ツールとかを利用してズルする行為から転じてるから、どうしてもネガティブな印象が拭えないというのはあるんだけどね。


「問題は麹菌こうじきんだよ。持っていくにしろ見つけるにしろ方法がわからないよ。見えないもん」

「納豆とかもそうだけど、発酵食品はなかなかに難しいところかもな。そもそも見た目では発酵なのか腐敗なのかの区別がつかないしな。生物は入れられないけれども、アイテムボックスにいれると菌などは除去されるとか設定をもられているのに味噌とか入れてるしどうするんだろうなーっていつも思ってた。ナチュラルチーズをアイテムボックスに入れると乳酸菌が死滅してプロセスチーズに近いものになるのだろうかとかの疑問もある」


「うっわ、めんどくさ。だるい部分はチートに任せとけばいいんだよ~。だからハゲるんだよ」

「は、ハゲげてねーし」

「えー、こことかここがさぁ」

 とかいいながらボクのおでこや頬を指先で軽くつつくように触れてくる。

「そうだね、つるつるだよね。頬とかおでこだからな。ヒゲはなぜか生えないしな。まぁオデコとかがもさもさだったら人かどうかを疑うけどな」


「…………」

 きょとんとしないで! え、ボクの毛根は大丈夫だよね? 近くだけど自分では直に見えないから不安になるわ。それにしても距離が近い。ボクの身体を支えにしてつま先立ちになってまでおでこを突きにくる必要あった? しとやかな指先から溢れるユウの微熱に翻弄されるまでがワンセットなんだよな。きょどきょど。


「ねぇねぇ、こんなに大接近したのになんで押し倒してこないの?」

「ちょっと意味がわからないんだけど」

「リト神を見習って! 近づいたら足がもつれて問答無用でスカートの中に頭をつっこみつつ、胸をわしづかむのがラブコメだよ?」

「偏ってるな~、そのラブコメは敷居が高いぞ」

「あっという間に半裸にする技術を身に着けるべきだよ」


「え、そんなことされたいの?」

「ぐぬぬ。ラブコメのためなら甘んじて受け入れる。なんだったらわたしに種籾をまいちゃう的な?」

「……おじょーさーん。めっちゃ下品じゃないか。アクセル踏みっぱなしにも程がある」


 そんなの暴走トラックだけで十分だよ。ともあれ。変な煽りをするなよ、顔がびっくりするぐらい赤くなっちゃってるじゃないか。めっちゃ自爆気味に羞恥心刺激されてるじゃん。かわよ。


「ある意味、いさぎよいなぁ~、そんでもってアホだな」

「あーまた、アホって言った!」

「そうゆうのは、リアルでやったら秒で逮捕されるやつだからな、刹那の楽しみのために全てを失いたくないわ」

「楽しみなんだ~にやにや」

「ち、ちが。言葉の綾っていうか。やるんだったら正々堂々といくから」


「ええ~コメ要素放棄しないでよ~。じゃあ、あれだ。鈍器でなぐったら血まみれになって、次のコマではピンピンしてるやつやろう?」

「おい、その手にもってるおりはる棍をおいてから話を聞こうじゃないか」


 怖い怖い。なんかまたサイコパス成分が混じってる気がするぞ。コメディを通り過ぎて事件性しか感じ取れないわ。というか刺突武器よりも鈍器のほうが犯行現場は凄惨になる気さえするぞ。


「めんどはげ」

「おい、めんどくさいやつだなぁ~はげろをまとめて変な言葉作るな。なんだよめんどはげって」

「えへへ。理解がはやくて嬉しいよ」

 喜ばれちゃった。なんだよもうくっそカワイイな。


 なんて話していたら、ユウがちょっとふらついてこちらに倒れかかってきた。とっさに両肩を抱えるように抱きとめると、目の前にはユウの頭頂部がみえる。ほのかなシャンプーの香りに思考がぐるぐるする。


「……だ、大丈夫か?」月並みな言葉を紡ぐのでやっとだわ。

「ごめん。なんかふらついちゃった。そうだ、ちょうどいいし頭をぶつけて人格が入れ替わるヤツとかどーかな?」

「そうゆうのもあるけれども、コメディばっかりでラブ味が足りなくないか」

「ラブ味って……ちぇっ、せっかくのラブコメちゃんすだったのに空振りじゃん」

「そういうのじゃなくて、まったく」


 なんとなく頭をなでながらぎゅっとしたら、手足をパタパタさせてるし。なんだろーなーこの小動物感。それから頬に手を滑らせる。

「あ、こら。本気っぽくしたらそこでラブコメは終了だよ!」

 なんて胸元を軽く押してボクから離れられた。

「安◯先生みたいなこと言いだしたぞ」

「ラブはまだ早いからね」

「ユウに任せてるとコメしかないんだが。ラブとコメの混合比率は難しくてボクにはわからないわ」


「ふーん。じゃあ、逆に聞くけどキミ的にラブコメはどうすればいいのかなー?」

「んーそうだなぁ。ななつぼし……とか」

 ここで踏み込みきれないのが自分でもヘタレって分かっているんだけれどもね。この後の関係がどうしようもなく変化してしまうのを恐れてしまった。隣にずーっといた弊害だよな。


「はいはい、天丼天丼。胸とかに傷があるとかも結構だからね」

 くっそ、超適当に流されたわ。炊きあがるとちょっともちっとしていて冷めても美味しんだからね。お弁当におにぎりを持って行きたくなるんだからねっ!


「あっ、忘れてた。アレだよアレ。性別が入れ替わるやつやろ~」

「異世界に行っただけでもアレなのに、性別入れ替わったらもう要素ありすぎでわけわからなくないか」

「大丈夫、アレだから!」


 その発言に導かれてか「チートだから」「チートだもん」とユウとボクの言葉がハモる。そしてユウは間髪をいれずに「はっぴ~あいすくり~むっ!」とドヤ顔でボクを見つめてくる。

 この同時に言葉を発してしまう現象は間柄が親しいほど頻発するのだけれど、この「呪文?」を先に唱えたほうがアイスクリームをおごってもらえるという謎の文化がある。そしてボクはいつもすべからく提供する側になるのがくやしいけどな。


 こういったやりとりも近くに居すぎた弊害なんだよな、なんてぼんやり思ったりもする。もしかしたら「おい、アレ」って言ったら醤油とか出てくるかもしれない。


「ところで、今更なんだがコメディ成分は必要なのか?」

「いや、コメディがなくなったらラブになっちゃうじゃんか!」

「ボクとしては、なにひとつとして問題点を感じないのだが」

「ラブに寄っちゃうとちゅーするじゃん?」

 まぁするかもしれんが、いやしたいけどさ。

「そうとも限らなくないか?」

「嘘だぁ~。目が接吻待ちじゃん。ラブコメはチュ~すると物語が終わっちゃうからね。だからキミはワタシにちゅ~しちゃだめだかんね」

 無念。……目が接吻待ちって。


「あ、アクリル板使えばセーフにしとく?」

「…………ちょ……またそのうちにしようか」

 改めて仕切り直されると、冷静になっちゃって無理だわ。

「ふふっ、キミのそうゆうところ好き」

 これって、もてあそばれてませんかねぇ。



「ふふふ、魂ゲットだぜ」

 後日、嬉しそうに種籾をゲットしたことを報告してきたユウに揺るぎはなかった。どこで手に入れたんだよ!

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